09.綿貫との出会い(中学生時代)-1

 太輝はよく眠る子だった。子供が学校や家で日がな一日眠っても、それは成長期特有の症状なのだから、大抵の大人は様子を見るだろう。太輝の友人たちだって「俺も眠いわ」と揃って笑っていた。


 それでも太輝の母親は違った。太輝が彼女の示す常識からはみ出すことを、極端に嫌っていた。生活に支障を来す類いの過眠症でもないのだから、大輝からすれば放っておいて欲しかった。

 だからこそ、小学生から母親に連れられて心療内科に通うのが恥ずかしかった。母親は最初から心療内科『くつがや』の精神科医、綿貫健三郎わたぬきけんざぶろうに診てもらおうと考えていたそうだ。東京駅から新幹線で一時間以内のリゾート地に『くつがや』はあった。綿貫は、紳士という言葉の似合う、六十前半の美しい男である。


 しかし太輝は反抗した。 


 綿貫にとって、『くつがや』での医者は表向きの顔で、触れた人間の予知夢を見るとうたう『白庭』の教組が本当の姿であった。

 大輝の両親は、新興宗教団体『白庭』の信者だ。母が独身時代から健三郎の患者で、大輝が産まれてからは、もっぱら息子の悩みの助けとなっていたようだ。


「大輝くんは将来、神となります」


 そう予言された両親は、綿貫に衣食住の管理を全て委ね、彼の助言を得ようと心酔しきっていた。教祖にひれ伏し、敬う行為は日常と化し、子供の大輝と雪子を巻き込むまでに発展していた。

 だから太輝は、あそこは怖いから嫌だと訴えた。『くつがや』の入った十一階建てのマンションは『白庭』の信者たちの拠点となっていた。何度か訪れたことはあるが、どうしても恐怖が勝った。


「東京の病院にして、そうすれば行くから」


 太輝の要求に渋々とだが、母親は承諾してくれた。それも、太輝の医者に対する不信感が酷くなり、そう長くは続かなかった。


「やはり言ったじゃない、最初から綿貫先生に見てもらえばいいのよ」


 母親の宣言通り、中学に上がったばかりの太輝は『くつがや』への通院が始まった。


「綿貫先生は素晴らしいの、遠くからも患者さんが来られるってね、わたしは毎月来ているの、先生とお話できるのが楽しみでね」


 一般の待合室で隣り合わせた老年の女性から、綿貫の評判を耳にした。それでも大輝からすれば火に油を注ぐだけであった。綿貫が著名な精神科医であったとして、太輝の信頼は簡単に勝ち取れないだろう。


「もう十年は綿貫先生にはお世話になっているの、あなたもなの、まだ若いのに」


 女性の言葉に大輝はうんざりした。自分も十年通わないと治らないのか。女性は遠回しに、子供がカウンセリングなんて大変ね、とでもいいたそうな目で見つめてくる。精神科に太輝くらいの子供が親の付きそいで来ることはまずない。女性は一方的な会話を楽しみながら、どうみても患者は太輝の方だと判断したのだろう。


 同情の声に相応しい返事はこれしかない。


「母が一緒なんで、僕は大丈夫です」

「そう、大変ね、綿貫先生ならきっと助けてくれるわ、元気出してね」


 精神科医は手品師ではない、カウンセラーも同じく。人が人を救えたら、それは努力のたまものだ。ただし大勢を救うとなれば話は別で、それだけで神に近い存在となるであろう。


「ありがとうございます」

「あら、ちゃんとしてるのね、偉いわ、わたしの孫なんてね、」


 会話が長くなりそうだと、気持ちが引いていく。

 女性が受付に呼ばれ、早々に別室へと消えていく。待合室で独りになった太輝は、不意に落とされた悪気のない優しさに胸をえぐられた。汚れのない真っ白い壁紙、最新型の大型テレビ、活き活きとした観葉植物、それらを見る振りをして、頭の裏では違うことを考えていた。


 先ほどの女性と入れ替わるように、母親が診療室から出てきた。程なくして女性が出てきて、太輝と母親の順番が来た。綿貫とのカウンセリングでは母親も同席した。

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