08.屋上で挨拶

「うん、そうだね」


 ふわり、と彼らの表情がほころぶ。二ヶ月だけ先に生まれた兄の睦美と、弟の和絃は、目元が似ている。

 大輝は既視感を覚える。白いシャツの下の肌着が突然、窮屈に感じ肌がゾワリと泡立つ。いやな予感がする。これ以上追求しないよう、気を逸らそうと弁当を平らげた。


 ふと視線を感じたから、大輝は顔を上げる。すると睦美と和絃の視線とぶつかる。


「本当だ、兄弟だ。っはは、二人とも不味そうに食べてるよ」


 睦美と和絃は、トマトと卵のサンドイッチを食べている。昼のメニューが同じなのは偶然なのだろうか。しかし、顔をしかめる表情まで同じだとは思いもよらず、大輝は不覚にも笑ってしまう。二人とも鳥が餌をつっつくように、サンドイッチを小さく口に含んでいた。


「似てる」


 笑いのツボに入った太輝がむせると、睦美が前のめりになって聞いてきた。


「えっ、俺って和絃と似てるのか」


 最悪だ、と睦美は大仰に肩を怒らせる。そんな睦美の反応に、大輝は笑いを引っ込めた。


「ご、ごめんなさい」


 気安くしすぎて、不躾だっただろうか。先輩相手に頭を下げ続けた大輝は、不安からみぞおちに力を入れた。


「いや、脅かせたな悪い、こいつと似てるって言われたの初めてだからさ、吃驚してさ」


 睦美が太輝の顔色をうかがっている。不思議なこともあるな。


「目元が似ているんです。いや、兄弟だから、当たり前ですよね、僕なんて妹と顔まで一緒です」


 自分の顔を指さして、大輝は話を続けた。


「へー、妹がいるんだ、いいな、俺も妹だったら良かったわ」


 睦美は鼻で笑い、サンドイッチをまとめて口に放り込む。咀嚼し終えると、


「こんな奴と似て、目つきまで悪くなりたくねぇ」

「目つきが悪いって、和絃はきれいですよ」

「こいつは顔だけが取り柄だからな、なぁ知っているか、和絃のアホな話を聞きたくないか」

「大丈夫です、和絃のそういった話のストックは貯めているので結構です」

「言うねっ、君って意外と話せるじゃん」


 大輝が構えていた壁を、睦美は難なく飛び越えようとする。睦美との共通の話題が和絃という理由も大きいだろう。しかし意外とは何だ、どういうことだ、やはりそう見えるのだろう。


「でもさ、和絃がきれいね、母親が違うけど他人から見たらそうなんだな」

「村瀬さんもきれいです、いや、かっこいいの方かな」


 純粋に思ったままを伝えたつもりだ。それが睦美には唐突に思えたようで瞠目する。隣で黙って口を動かしている和絃も驚いた顔をしている。


「うわ、君って天然だね。あっ、良い意味のね。ってか、俺のことは下の名でいいよ」

「いえいえ、和絃のお兄様にそんな」


 根暗な性格も相まって、睦美の陽気なノリに合わせられない。


「いいから、ほら言ってみなよ、むつみって」


 睦美はテーブルの上で腕を組み、大輝に無理強いをしてくる。相貌を緩ませ、にやにやと企む笑みは、大輝の反応を観察しているようだ。


「和絃っ、助けてくれ」


 大輝が和絃に助け船を求めると、彼は食べ物を持つ手をテーブルにドンと叩き下ろした。


「睦美、いい加減にしろよ。ダイちゃんとじゃれ付くためにお前を紹介したわけじゃないからな」


 眉間に深いしわを寄せた和絃が、勢いよく立ち上がる。


「お前に呼んで欲しいなんて頼んでない。ってか和絃って、そんな心の狭い奴だったんだな」

「黙れ」


 兄弟喧嘩を外野から見ているだけなら、単純に微笑ましく思えてくる。


「いやー、二人とも仲が良いね」


 自分が妹と喧嘩するなら、いつだって大輝が早々に平謝りする。隣の芝生は青いとは正にこれだ。


「俺が和絃と? 冗談だろ、うわ、マジであり得ない勘弁してくれ」

「ダイちゃんは、こいつのこと何も知らないから言えるんだっ、こいつは八方美人で、くっそ兄貴面をするんだよ」


 たった二ヶ月だけ早く産まれたくせに。またその台詞か、と大輝は言葉を濁すよう、お茶パックをすする。


「睦美さん、で良いでしょうか」

「かたくなだな、まぁ、いいんじゃね、響きも悪くないし」


 睦美はため息をもらす。


「睦美さん、よろしくです」


 太輝が睦美に向かって笑いかける。と、不服そうに腰を下ろした和絃の肩が一瞬だけ揺れた。大輝は見逃さなかった。


「和絃どうしたの」

「ダイちゃん、あんまり睦美と意気投合しないでくれよ」

「うん、睦美さんと意気投合なんて恐れ多い」

「そういうことじゃなくてっ」

「まあ、いいんじゃね、よろしくな太輝」


 ここから大輝の人生が、機械で引かれたみたいな線で二つに区切られた。和絃といた二人だけの世界と、睦美との三人だけの世界に。

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