05.唐揚げの味

 今日もびかびか光ってるな、といつまでも見ていたい思いを封じて視線を机に戻す。

 和絃が孤独に怯えているとか、何を考えているのか全部、そのきれいな顔に吸い込まれちゃっている。和絃はなんで僕に飽きないんだろう。


「唐揚げだ、俺にも頂戴」


 和絃は気にも止めない。もちろん太輝も我を通した。太輝は口を大きく開けて唐揚げにありついた。


「おーい聞こえてる? ダイちゃん来たよ」


 いい加減うるさいので和絃に視線を流したら、クラスメイトが自分を見ていた。太輝の上体が揺れた。和絃に一点集中していたクラスメイトの視線が、今は大輝に注がれている。


 嫌々ながら顔を上げた。それでも返答をしない大輝に痺れを切らしたのか、和絃が顔を寄せてくる。


「今日からさっ、屋上で昼を食べようよっ」


 和絃の一語一句、ちゃんと聞こえていた。そんなの分かっているだろうに、和絃が耳元で大きな声を出す。


「うるさっ」


 普段からひょうひょうとした性格の和絃の声が裏返り、語尾は跳ね上がっていた。彼の薄い琥珀色の瞳が、瑞々しい粒子の光をたたえている。


「そういうのは、早めにって」


 何か裏があるな、と大輝は目を眇める。それでも口内で唐揚げの肉汁をしたたらせ、鶏肉の旨みを味わうことをやめなかった。


「なんだよ」


 和絃が机に肘をつき、間合いを詰めてくる。机が床と擦れて鈍い音が出る。


「はい、全部飲み込んで」


 母親みたいな台詞なのに、和絃が言うと妙に卑猥な響きに聞こえてくる。大輝はかみ砕いた肉を、ゴクンと呑み込んだ。


「偉い偉い」


 和絃が頭を撫でる振りをして髪をかき回す。朝礼前に整えた髪型が乱れてしまった。


「なんだよ、和絃」


 大輝は睨み上げる。唇をとがらせ、精いっぱいの不機嫌を表現したつもりだ。が、和絃はニコリと笑い返すだけだ。大輝がこの笑顔に弱いと分かっているのか、今日も和絃は笑顔で黙殺してくる。


 太輝を今日も早々に根負けした。負けだ、どうせ自分は和絃の誘いを断れないのだ。


「分かったよ、えっと、屋上って生徒にも解放されてるんだっけ」

「そそ、むしろ生徒用のベンチもあるって」


 大輝は甘い誘惑にふらりと気を引かれた。しかしどうしようにも睡魔と空腹のせいで、返答が遅れてしまう。

 あくびをした太輝に、和絃は、


「ダイちゃん眠そうだね、ほら、早く行こう」


 と、何故かせっ付く。


「んー、眠い、お腹空いた」

「はいはい、お弁当は回収しますね」


 和絃の大きな影が視界を覆う。と同時に大輝の机上からアルミ製の弁当箱が消えた。蓋が容赦なくカシャンと音を立てて閉まる音がした。和絃はその柔和な声音とは裏腹な態度をする。弁当を没収された。


「ほら、昼寝も出来るし」


 未だに大輝は箸を握り、どんよりと重い眼をヒクヒクと動かしていた。和絃がグイッと大輝の右手首を掴み上げる。


「っな、なんだよ」


 急に手首を捕まれて大輝は動揺する。別段、普段と変わらない態度ではあるが、今日の和絃はいつにも増して強引だった。そんな和絃を見上げた。


「ほらほら」


 和絃はじっと大輝を見下ろしてくる。大輝の手首を片手で優しく包む。和絃の手のひらは熱かった。彼の肉の柔らかさと硬い骨はリアルだ。手の甲をなぞる指が、じゃれ合いよりも愛撫に近い。深い肉欲を呼び起こす。

 大輝の頬がほころんだ。肌に触れられた恐怖よりも、和絃のまなざしの深さが、太輝に高揚感をもたらす。これは夢ではない。限りなく現実だった。


「うるさくないなら」


 大輝の腹が盛大に鳴った。なんて恥ずかしいのだろう。湿度と熱気の高い教室では、甘い菓子パンや醤油の香ばしい匂いが重く漂う。大輝の嗅覚を刺激していた。


 昨夜、日付が変わるまで和絃と電話をし、彼の夢を見た。無理矢理夢から脱出した太輝は泣き続けた。結局、日が上がり始めた時刻に睡魔に襲われた。それで今朝は寝坊してしまい、朝食を食べ損ねてしまったわけだ。授業の合間に手持ちのハッカ味の飴を口で転がした。授業中は腹の虫が鳴らないように、手のツボを押しては空腹をしのいだ。お陰で口の中だけは爽やかで、まるで清浄されたみたいな気分だ。


 和絃の誘いなのに気乗りがしなかった。それでも太輝が肯かなければ、昼休みが終わっても、和絃は手を離さないだろう。和絃はそういう男だ。わがままで頑固なのだ。


「いいよ」


 すると和絃が眉を上げてニカッと笑う。彼の表情はとことん下心を隠しきれていない。


「怖い先輩とかいないよね」


 そう察知した大輝は、ありったけの疑念の眼差しを向けた。


「いない、いない」


 和絃が言葉を継いだ。


「そこまで言うなら、うん、分かったよ」


 渋々といった風を装って席を立つ。すると和絃は、大輝の弁当を持たない手で「早く行こう」と急き立てる。先導する彼の後ろをついて行った。

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