第2話『役作り、それは無間地獄』

「ぬぅうぉぉぉおおおお!! わからんンンンッ!!」


雨の降りしきる公園の中心で傘を片手に振り回しながら、佐藤愛莉さとうあいりは叫んでいた。

既にルーティーンの発声練習を終え完全にウォームアップが完了していた彼女の声帯は凡そ並の人間からは出ないようなデシベル数を叩き出したが、雨天で周りに人気もなく、その声は一段と雨足を強める空に掻き消えていった。


「ガッデム●ィィットッ!!」


海外ドラマの見過ぎで変に癖づいたSワードまで飛び出してくる。

佐藤愛莉の思考回路は今、完全にショートしていた。


「あぁどうしよう……ここに来てまた分かんなくなってきたぁ……」


スマホで時間を確認し、愛莉は頭を抱える。

現在時刻は12:16。

超人気漫画『幻想銀河伝説』のアニメ化にあたってのメインヒロイン『ヤン・貴妃・ウィンディ』役を選考する二次オーディションまで、既に二時間を切っていた。


「いや落ち着けよアタシ! もうここは開き直ってナチュラルに行くって決めたじゃんか!」


一次オーディション通過の連絡を受けた佐藤愛莉は喜びも束の間、それ以降この日までの一週間、悩みに悩みまくっていた。

それはもうシンプルに「どんなお芝居がこの役に合うのか」ということをだ。

前日のバイトも友人に急遽シフトを代わって貰うよう頼み込み、丸一日休みにした。

原作も改めて全巻(既刊13巻)読み直し、作品内で多分にモデルとされている古代中国史の予備知識も復習した。

それでもやはり、分からないものは分からない。

何度も台詞を読み直し、選考用の原稿はもはやト書きを含めて丸々暗記している。前後の文脈を含めて落とし込むために原作漫画の全ての台詞を声に出して演じてみたりもした。

しかしそれでも、読む度に生じる微妙なニュアンスの変化が、全部合っているようにも思うし全部間違ってるようにも思えてくる。


「いやでもうーん、やっぱり基本は時代劇だし、戦記モノのSFだし、ちゃんと大きい芝居の方がいい気もするよなぁ……」


捨てたはずのものが、今度はまた捨てがたくなる。しかし何かを表現するためには、必ず何かを捨てなければならない。

答えの無い感覚の世界に、無理やりにでも自分なりの答えを描出させ、そこに説得力を持たせなければならないという雲を掴むような作業。

例えるなら、航海図と方位磁石も無しに海へと繰り出し、新大陸を発見しろと言われるようなもの。

オーディションの役作りというのは、得てしてそういうものであった。


「一次のテープもなぁ、なんか今聞くとふわっとしててイメージ違って聴こえるし……。ホントなんで通ったんだろ……」


言いながら、オーディション資料に添付されていたキャラクターデザインに目を通す。

ヤン・貴妃・ウィンディ、17歳。

SF作品だけあってモダンなデザインの宇宙服に身を包んでいるが、どこか中華風の顔立ちと化粧。

アニメ化にあたって原作よりはややデフォルメされたタッチで描かれているが、そのモデルとなったであろう人物、世界三大美女と称される古代中国の皇妃「楊貴妃」を彷彿とさせる、絶世の美女という設定だ。


「楊貴妃、かぁ」


時の皇帝、玄宗の過ぎた寵愛によって安史の乱を引き起こし、唐王朝の没落を招いたとされる傾国の美女。

しかし現代では政治には殆ど介入していなかったという見解が主流であり、身内の政治闘争に巻き込まれた悲運の女性という側面で見られる事が多い。

『幻銀伝』でもかなりSFナイズドされてはいるが、元ネタとなった古代中国王朝テイストをふんだんに取り入れており、ウィンディもメインヒロインながら最期は非業の死を遂げるのではないかと考察系の匿名掲示板ではもっぱらの噂だ。


「傾国の美女って、どんな気持ちなんだろう」


この一週間数千回は繰り返されたであろう質問が再び浮かび上がる。

この時愛莉の思考回路はショートし切って一周まわって冷静さすら帯びていた。


「結局ウィンディが描かれるシーンって、避けようのない選択と決意の連続なんだよね」


王族の家系に産まれ、そのあまりの美貌から望まぬ政治的政略の渦中に巻き込まれていく。迫りくる理不尽な選択に、それでも誇りと強さをもって毅然と意志を示しその判断の責任を背負っていくヒロイン。それが愛莉の見たヤン・貴妃・ウィンディの姿であった。


「普通の女の子として生きたかったのに、それをさせて貰えなかったお姫様の気持ち……」


この時、緊張と興奮が限界突破して逆に真っ白になっていた愛莉の内に、不思議とこのヒロインへの共感が――


「いや分かるかーッ! こちとら茨城出身の平民ピーポーだっぺぇ!」


――別に芽生えなかった。

佐藤愛莉はごく普通の中流家庭の産まれだった。人生での選択なぞ、精々が声優を目指すために上京する決意を親に打ち明けたことぐらい。親も親で「好きにすれば?」と特に引き止める様子もなく、オマケに未だに毎月少額ながら仕送りをしてくれている。フッツーに恵まれた境遇に愛莉は感謝しまくっていた。

まあ、だからこそ結果の出ない現状に罪悪感なども芽生えるのだが。


「もーーー知らん!」


しかし共感しようがしまいが役を演じきるというのが役者の仕事である。当然だが殺人鬼役を任される演者で実際に人を殺めたことのある人間などいないに等しい。ヤク中の演技は経験者比率の多いハリウッド俳優の方が平均的には上手かったりするが、未経験者がそれに勝るとも劣らない名演を繰り出す事例はいくらでもある。少なくとも現代日本の声優業界において個々人の実体験の差など誤差の範囲内だろうし、全員条件が殆ど変わらないことに言い訳の余地は無い。

もちろん愛莉だって曲がりなりにもプロの世界で戦っているわけだから、そんなことは百も承知だった。


「もーね! 正解なんて誰にも分からないわけですから! あとは現場で成り行き任せ! 臨機応変一発勝負ですわ!」


お嬢様言葉なのかエセ関西弁なのかよく分からない口調になりながらも、そろそろいい加減に覚悟を決める。

間もなくこの公園で待ち合わせているマネージャーもやってくるし、そこからの時間感覚などきっと光陰矢の如しだ。

手に持った傘を天高く突き上げ、愛莉は雨空に吼えた。


「私がヤン・貴妃・ウィンディだ!! 文句があるなら楊貴妃でも何でも降りて来いってんだァーーッ!!!」


その時――


――突如として光に包まれ、全ての時が止まったような錯覚が、愛莉を襲った。


「へ?」


ピシャァァァアンッ!!!


突き上げた傘に向かって、天空から一筋の落雷が直撃したのだ。


――これ、死――


考える間もなく、愛莉の意識はそこで絶たれた。






―――――――――――――――

(筆者より)

この作品は『「賢いヒロイン」中編コンテスト』に応募しております。

プロローグ + 本編5話 にて第1章「オーディション編」が完結となります。

ハート・星での評価、応援コメントやレビューなど頂けましたら執筆の大変な励みとなります。跳ねて喜びます。ピョンピョン。

それではまた次回も是非!

―――――――――――――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る