第1話『一次オーディションの結果をお知らせ致します』
「はぁ〜……」
2017年、日本国、東京都内。
京王線笹塚駅から程近い場所にある小さな公園のベンチで、
「今日も爪痕……残せなかったぁ……」
佐藤愛莉は声優であった。
業界でのキャリアは養成所を出て現在の事務所に所属してから早五年、新人というには長く、しかし若手というにも踏んだ場数がイマイチ少ない、なんとか業界に食らいついている程度のしがない声優であった。
昨今の若手〜新人声優を取り巻く環境は非常に厳しいと言われている。
役を取り合う苛烈さは、たった300席を2万人で奪い合う椅子取りゲームと形容されることもある。
アニメに出演し一般大衆への知名度を得られる枠の競争率などは、およそこの数字を適用したとして過言にはあたらないだろう。
そして特に――女性声優。
知名度を持たない若手や新人が『主人公枠』に抜擢されるのに適齢期が存在することは昨今の業界では既に暗黙の事実だが、特に女性声優の場合は男性のそれに比べて圧倒的に年数が少ないのだ。
男性の場合、近年でも三十代後半になって大ブレイクする例が毎年片手で数える程度には存在するが、女性の場合はもはやオーディションの段階で年齢制限まで課されていることも少なくない。
当然個人の感覚によって厳密な『適齢期』は前後するであろうが大半の女性の場合、大体二十代後半と見るのが凡そマジョリティの見解であった。
そして佐藤愛莉は――今年で二十六歳を迎える。
「ていうか! 『ありがとうございます!』の一言でどうやって爪痕残すんだって話よ!」
この日はアニメの収録を終えた帰りであった。
最近の若者なら誰でも知っているであろう有名タイトルの漫画を原作としたアニメ化作品。
事務所の先輩にあたる大御所声優が今回のゲスト枠としてキャスティングされたため、そのバーターとしてモブ役に呼ばれた現場であった。
「まぁ、この作品に一言でも出れただけでも本当は幸せものなんだろうけど……」
カバンの隙間から覗く台本のタイトルを見て、呟く。
実際のところ、一般人が認知するタイトルにモブとしてでも出演できるのは業界全体から見れば僅かひと握りと言っていいだろう。
愛莉自身も業界二年目にして初めて国民的女児アニメ「ラブキュア」シリーズに女子生徒C役として出演した際は興奮して夜も眠れなくなったほどだ。その時に貰った台本は机の一番奥に大事に仕舞われているし、オンエアも録画して既に何十回と見直している。
かといって殆ど事務所の力によって決まるバーターの仕事で悠長に喜んでもいられないというのも、また確かに現実的な肌感覚であった。
「でももうアタシ五年目だよー、二十六だよー、そうも言ってられないよー……」
嘆きながら、スマホのカレンダー機能を開いて見る。
スケジュールは一見するとびっしりと埋まっているように見えて、実際はほとんどが飲食店でのバイトのシフト。
声優の仕事と言えるものは良くて週に一か二、それもバーターで呼ばれるモブの仕事か、事務所単位で呼ばれるアプリゲームのモブの仕事、そして稀に呼ばれる企業VP(商品サービスのプロモーション動画など)のナレーションの仕事などがいくつかあるばかりであった。
「そろそろ、考え時なのかなぁ」
廃業。その二文字が脳裏に浮かんだ。
実際、辞めていった人をこれまで何人も見ている。
養成所から事務所に所属出来ず道を諦めた同期、後輩も少なくないが、業界に入ってからは年数を重ねた先輩から辞めていくという現実を目の当たりにした。
そこそこ仕事をこなしていたにも関わらず廃業した人だっていくらでもいる。特にその大きな理由として関わって来やすいのが、「結婚」。
女性にしろ男性にしろ、人生の岐路は否応なく迫ってくるし、それに抗うにはあまりにも無力なのが「売れない声優」という職業だ。
そんな愛莉も、もう長いこと彼氏がいない。出来る気配もない。
それなりに顔立ちは整っているし、見た目にもかなり気を遣っている。しかしそれもあくまで仕事のためであり、何より「余裕がない」のだ。
レコーディングスタジオが集中する新宿区内へのアクセスを確保しつつ、女性が一人暮らしをするに安心できる立地での生活費を稼ぐために、愛莉のプライベートはバイトによって忙殺されていた。
数少ないアフレコの仕事を終える度、家から程近いこの公園で一人延々と反省会をする時間というのが、愛莉にとっての貴重な自由時間ですらあった。
「……帰って来週のチェックしよ」
絡まった思考を投げ捨て、鞄を肩にかけ立ち上がる。
それがかれこれ二年以上も前から繰り返されてきた、愛莉の習慣であった。
――ピロンッ♩
そんな時、メールが届いたことを知らせる通知音が手に持ったスマホから響いた。
仕事の連絡かも、と今肩にかけたばかりの鞄を再びベンチに置き、通知欄に表示された件名を見る。
「幻想銀河伝説……一次オーディション結果のご連絡……あぁ、あれかぁ」
かの有名な大手総合出版社『集米社』の発行する週刊誌『週刊少年ステップ』で現在絶大な人気を誇っているビッグタイトル『幻想銀河伝説』。アニメ化された暁には大ヒットが約束されると目下話題の作品の一次オーディションの結果が、どうやら届いたらしかった。
「結構時間空いたな〜、もう落ちたものだとばっかり」
昨今のアニメーションのメインキャストのキャスティングは、一次オーディションとして選考用の台詞を収録した音声データを事務所経由で提出してもらい、その中から選ばれた声優が二次オーディションという形でスタジオに呼ばれるという流れが一般的だ。
作品の予算規模にもよるがビッグタイトルともなるとテープ審査による一次の時点でかなりの倍率をくぐり抜ける必要がある。
愛莉が最後に二次オーディションに進んだのは果たしていつの事だったか、本人の記憶にも定かではなかった。
「覚えてるよ〜、ヤン・貴妃・ウィンディちゃん」
しかし選ばれる確率が小数点以下であろうと、最大限善処しない理由にはならない。オーディションの度、原作があれば愛莉はその全てに目を通していた。
当然今回テープを収録したこの作品のメインヒロインについても、その元ネタになったとされる史実上の人物まで含めてしっかりとリサーチし、役作りに挑んでいた。
「ま、どうせ一次で候補漏れですよっと……」
当然期待などはしていない。
こういったビッグタイトルの主人公枠に無名の若手がキャスティングされる事が全く無いわけではないが、やはり最低限のキャリアのある人間の方が抜擢される確率が遥かに高い。
当然期待などはしていなかった。
しかしそれでも、メールを開くには一瞬の覚悟を要した。
だって、期待などしていなくたって、本気には違いないのだ。
オーディションで受ける役をマネージャーから伝えられ、原作書籍を買い込みストーリーを読み込む。すると当然自分が受けるその役に莫大に感情移入しながら話を追うことになる。その役がどう笑うのか、どう泣くのか、どんな信念を持って戦い、どんな想いを抱えて生き抜くのか。
否が応でも、役作りをしようとするキャラクターには愛着が湧いてしまうものなのだ。
テープを送ってからもう一ヶ月以上は経っていたが、原作は最新話までしっかりと追っているのが愛莉という
「もー! なにやってんだアタシ! いい加減慣れろ!」
そんな
そう思いながら、意を決してメールを開いた。
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佐藤様
お疲れ様です!
携帯とPCに同報しております。
Umachair制作「幻想銀河伝説」の一次オーディションの結果ですが
ヤン・貴妃・ウィンディ 役
の二次オーディションに候補入りしたとの事です。
二次オーディションの決定連絡はまた改めてとなりますが、ひとまずは第一関門通過おめでとうございます!
また追ってご連絡致します。
森崎
---
「………うそぉぉお!?」
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(筆者より)
この作品は『「賢いヒロイン」中編コンテスト』に応募しております。
プロローグ + 本編5話 にて第1章「オーディション編」が完結となります。
ハート・星での評価、応援コメントやレビューなど頂けましたら執筆の大変な励みとなります。跳ねて喜びます。ピョンピョン。
それではまた次回も是非!
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