第3話『マネージャーも大変です』 〜 『楊貴妃降臨!?』

雨空の下を走り抜ける京王電鉄京王線・高尾山口行に乗りながら、森崎綾もりさきあやは一人ひそかにたかぶっていた。


「(佐藤さん……やっぱり緊張してるかな)」


森崎は声優事務所、オフィスプランに勤めて三年目の若手の女性マネージャーだ。

この日、同事務所に所属する女性声優、佐藤愛莉が超ビックタイトルの二次オーディションという大舞台(当社比)を控えていた。


「(佐藤さんのためにも、私がどっしり構えておかないと!)」


オフィスプランは創設して二十年足らずの中堅事務所だ。

所属する声優の人数は男女合わせて約五十人と業界的には中小規模の事務所だが、マネージャーは僅か三人、その中で森崎は一番の新米だ。

実質マネージャー一人あたり二十人弱の声優をマネジメントしているという計算だが、実際のところキャリアの長い中堅以上の声優はある程度来る案件が決まっていたりするため、マネジメントの対象は主に佐藤愛莉ら若手声優ということになる。

特に愛莉に対して、森崎は以前から並々ならぬ期待を寄せていた。


以下は森崎と、同事務所の先輩マネージャー西村との過日の飲み会での一場面である。


「もぉぜ~ったいおかしいんですってぇ!」


ドンッとビールジョッキを机に振り下ろしながら、森崎はアルコールに火照った顔を上げる。


「ぜぇったい佐藤さんで候補出し決まると思ったのに! だってアナウンサー役を含めた二十代から三十代を二三役兼ねられる人って条件ですよ!? そんなの器用でナレーションも安定してる佐藤さんが真っ先に思い浮かぶじゃないですか。それをあの制作、サンプル聴いて『う〜ん、なんか声がね〜……』って……なんかってなんじゃい!!!」

「まぁまぁ、抑えて抑えて」


既にいい具合に酒が回り愚痴解放モードに突入し始めた森崎を、西村が落ち着いたトーンで諌めた。


「あの現場、ディレクターがもう業界長い人だからさ、気をつかってんのよ。篠田さん、最近入った人でしょ?」


西村泰之にしむらやすゆきはオフィスプランのチーフマネージャーで、森崎の先輩であり指導役を勤める人物だ。業界歴は凡そ二十年、オフィスプランに移ってからは既に十年以上経過している。


「言葉は悪いけど古風な、特に外画の現場だとねぇ、佐藤さんみたいに輪郭がはっきりしたアニメ寄りの声は浮いて聴こえたりするわけで。キャリアが短いと尚更、そういう先入観を捨ててチャレンジするには難しい場面もあるってこと。森崎ちゃんにも経験あるでしょ?」

「むぅ……それは確かに……」


西村の妥当な見解に、森崎は膨れながらも言葉を呑み込む。

自分の感性を信じながら、一方でぶつけられた正論は素直に受け止める森崎の姿勢を、西村は高く評価していた。決して本人には言わないが。


「まぁ、推してる役者を使って貰えないと悔しいって気持ちも、痛いほど分かるけどね」


森崎も森崎で、最後に必ずフォローの一言を入れる西村の優しさと親心をよく理解していた。

だからこそ行き詰まった時には、こうして飲み会という形で愚痴を聞いてもらっているのだ


「西村さんは誰に対してもフラット過ぎなんですよぉ……」

「まぁ、これだけ長くやってるとね」


声優も声優で大変だが、そのマネージャーというのもとんでもなく離職率の高い過酷な職業だ。

人をマネジメントするには高い管理能力、洞察力、そして何よりもタレントを後押しする強い情熱が必要になる。

経験が少ない分荒削りな部分は多いが、三年経っても初々しい情熱を保ち続けている森崎は十二分に稀有な存在というのが、西村からみた素直な評価だった。


「西村さんからすると、やっぱり佐藤さんってアニメ寄りに感じますか?」

「う〜ん、それはねぇ」


難しい問題だ、と言わんばかりに西村は顎に手を当てる。


「結局は外画にしろアニメにしろ、技術的にお芝居をコミットすればどちらでも成立させることは出来るわけさ」

「でもそれをするにはどうしても経験が必要、ですよね?」

「そう。何度も言ってるようにね。でも佐藤さん含めた若手たちは場数が足りないから、どうしてもスタートダッシュの時点では個人の性質による得手不得手が向き不向きに見えたりはする。森崎ちゃんから佐藤さんはどう見えてる?」

「声に華もあるし、音の運びも綺麗だし、若手にしてはかなりお芝居が上手い方だと思います」

「そうだね、僕も概ねだけど、そう思う」

「それなら……!」

「それだからこそ、難しい」


前のめりになる森崎を制しながらジョッキに残ったビールの最後の一口を飲み干し、西村は言葉を続ける。


「声に華がある。それは外画の現場だとさっき言ったように『声が浮いて聞こえる』になりかねない。外画も最終的にメインの役を取っていくには華が必要になるけど、若手のうちはどうしても器用に周りに溶け込む技術の方が重視されてしまう。ただでさえ女性の枠が限られる外画の現場で、佐藤さんタイプは下積みを積むのが難しい」


外画(海外ドラマや海外映画)に登場するキャラクターの男女比は実は思った以上に男性に偏っている。これはジェンダーギャップに関わる問題として議論される事もあるが、物語にされやすい題材の性質上仕方のない部分も多い。実際男性主人公と女性主人公の作品比率は近年では殆ど同じ程度だが、戦争映画や刑事ドラマなどを描こうとするとモブキャラクターは圧倒的に男性に偏らざるを得ない。結果的に、外画の吹き替え制作の現場では女性の枠の方が少なくなってしまうというわけだ。


「じゃあアニメは?ってなると、今度はその『それなりに上手い』って所が弱点になりかねない。つまりそれは言い換えると『予想の範疇を出ない』ってことだからね」

「確かに……佐藤さんのテープを聞いてると、『ああ、上手いな』って思うことはよくあるんですけど、『え、これは予想外!? でもアリかも……』みたいなのはあんまり無いんですよね……良くも悪くも纏まってるというか」

「そう。ウチはアニメのモブ枠は殆ど持ってないから、アニメに決まる場合はオーディションで勝ち残ることがどうしても必要条件になってくるけど、それには何かしら突き抜けたパワーが無いと難しい。まあ、オーディションが難しいのは当たり前だけどね」

「一次のテープって沢山送られてきますしね……」

「それこそ誇張なく何百とね。だから聞く側も耳が馬鹿になってくるし、それなりに上手い新人はいくらでもいる。確かに佐藤さんは僕の目から見てもかなりお芝居に対してストイックだし、雰囲気で上手く聞こえるだけの層とは一線を画してると思う」

「そう! ですよね!?」

「だけど、それだけじゃ足りないってのが今の女性声優を取り巻く現実ってことだね。僕の印象に過ぎないけど、逆に考え過ぎてて思い切りに欠けちゃうきらいがあるのかもなぁ」

「むぅ〜ッ!」


頭を抱えてテーブルにつっ伏す森崎に、西村は苦笑した。


「すんませーん! 生中ひとつ!」

「あぁ、すみません。気が利かなくて」

「いいのいいの」


穏やかに笑いながら、西村は森崎の顔をじっと見つめる。


「逆に聞くんだけど、森崎ちゃんはなんで佐藤さん推しなの?」

「ふぇっ!?」


予想外の切り返しに、森崎は火照った顔を更に赤らめた。


「い、いやぁ〜それはそのぉ……あんまりちゃんとした理由でもないと言いますかぁ……」

「いいのいいの、別にどんな理由でも」

「でも……変な理由で贔屓してるって思われたくないというか……。ちなみに! 他の役者さんを手抜きしてるとかは絶対無いですからね!?」

「分かってる分かってる」


生ビールを運んできた店員に会釈しながら、それでも森崎から視線を逸らさずに、西村は続ける。


「でもね森崎ちゃん、全員を公平にマネジメントしてるとマネージャーが言ってしまったら、それは究極の驕りだよ」

「……そうですかね」

「僕はそう思う。だって僕らは人間だから。だから重要なのは公平性より、原動力じゃないかな」

「原動力……」

「そう。『絶対にコイツを売れさせたい』と思う原動力。不純と言われようが贔屓と言われようが、それは間違いなく役者を後押しするマネージャーの力になる、と思ってる」

「むぅ……」

「まあ枕とかは困るけどね」

「ぶっふぅ! するわけないじゃないですか!」

「ははは!」


噴き出す森崎に、笑う西村。

濡れたテーブルをおしぼりで拭きながら、森崎は訥々とつとつと語り出した。


「実は……高校の先輩だったんです……」

「ほう?」

「代は被ってないんですけどね、丁度私が入る年に卒業して」

「確か、佐藤さんが今二十六だったから……ああ、三つ違いか」

「そういう事です。でも中学生の時に高校見学に行って、その時に放送部員だった佐藤さんが校内のアナウンスをしていたんです」


ゆっくりと、記憶の中に耳を澄ますように、森崎は目を閉じる。


「すごく綺麗な声で、ずっと覚えてて、後から放送部に入って聞いたら、卒業しちゃった佐藤さんっていう先輩だって知って……」

「もしかして、それでウチに来たとか?」

「いえ全然! まったくの偶然なんです! 自分でもまさかとは思ったんですけど、年齢も一致するし、何より佐藤さんの声にどうしても聞き覚えがあって。それで何気なく出身校を聞いてみたら、もうドンピシャで」

「へぇ、そりゃすごい……」

「もう正直、運命だなって思っちゃいました……ああ、この人が売れるのを助けるために自分はここに導かれて来たんだって……」

「なるほどねぇ」


僅かに、沈黙が流れた。


「分かりました!」

「お、おぉ?」


決意したような表情で、森崎は顔を上げる。


「他の役者さんも手を抜きません! でも佐藤さんもちゃんと贔屓します! それで、必ず殻を破らせてみせます!」

「うむ、その意気だ若人よ」


森崎の高らかな決意表明に、西村もゆっくりと頷くのであった。




――そして時は現在へと戻る。


「(ついに来ましたよぉ! 殻を破る機会チャンスが!)」


笹塚駅の改札を通り抜け、傘を差しながら半ば駆け足になる森崎。

ついに『幻想銀河伝説』の二次オーディションを迎えたこの日、二人は笹塚駅付近の公園で合流し、オーディションが開催されるスタジオへと向かう手筈だ。


間もなく見えてくる公園、その中心には佐藤愛莉と思しき人影が、一人傘を差して佇んでいる。


「(あれは……どうやらかなり集中していらっしゃるご様子……!)」


歩調を整え、興奮を悟られぬよう愛莉に歩み寄りながら、森崎は声をかける。


「佐藤さん! お待たせしました!」

「む?」


ゆっくりと人影が振り返る。それは間違いなく森崎の知る佐藤愛莉、と思われたのだが――


「サトウ――確かそれは、この器の主の名じゃったな」

「へ?」


――その喋り方は、まるっきり別人であった。


「ああ、器の主ならば心配は無用じゃ。今は落雷の衝撃を受けて眠っているだけ、直に目を覚ますじゃろう。それよりもおヌシの名は――ふむ、モリサキアヤというのか、けったいな発音じゃのう。それにどうやらおヌシらはいみなしか持たぬようじゃて」

「」


何故か恐ろしいほどしっくりしている『のじゃロリ口調』に森崎、絶句。


「そういえばワシの名を名乗ってなかったのう。姓は楊、あざなは鴎法、かつては称号を以て楊貴妃ヤン・グイフェイと呼ばれておった。おヌシらの発音では『ヨウ・キヒ』とでも言うのかの」


あまりの情報量の多さに森崎のCPUは熱暴走でフリーズする。そんな中、辛うじて絞り出した一言が


「や、役作り……?」


だった。


「む? ああ、このあと『おおでぃしょん』とやらがあるようじゃな。むふふ、心配せんでもよい。この楊が手助けしてやろうというのじゃ。大船に乗ったつもりで構えておれ!」


依然として状況を飲み込めぬまま、森崎の声にならぬ悲鳴が彼女の脳内を駆け巡った。


「(殻破りすぎぃぃぃいいい!?)」






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(筆者より)

この作品は『「賢いヒロイン」中編コンテスト』に応募しております。

プロローグ + 本編5話 にて第1章「オーディション編」が完結となります。

ハート・星での評価、応援コメントやレビューなど頂けましたら執筆の大変な励みとなります。跳ねて喜びます。ピョンピョン。

それではまた次回も是非!

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