第9話
その夜、物音が聞こえた気がして、エディスは目覚めた。
硝子の姫君の侍女だからと、エディスは姫君の部屋と続いている侍女用の部屋をもらっていた。ラザルスは小さくないかと心配してくれたが、今までの召使い部屋と違って、個室を占領できるだけでエディスは満足していた。
蝋燭を消した小さな部屋の中を、窓から入った月明かりが青白く染めている。
けれど見えるのは衣装棚や書き物机、ドレッサーばかりで人の姿はない。
「ねずみ……?」
にしてはかなり大きな物音だった気がする。起き上がろうとしたところで、隣からがたっと音が聞こえた。
硝子の姫君は動いたりしない。まさか泥棒? と思ったエディスは夜着の上にガウンを素早く羽織って姫君の元へ駆けつけた。
扉を開いた瞬間、目が合ったのはレナディスだった。彼女は自分の侍女と一緒に、硝子の姫君に抱きついているように見える。
「レナディス様……?」
問いかけは彼女の声にかき消された。
「ちょっと、そこの女を捕まえておいて!」
まだ眠気が残っていたエディスは、横からぶつかるようにして飛びついてきた少女に、易々と抱きつかれて身動きがとれなくなる。
「え? 何、離して!」
異常事態にようやく頭が追いついたエディスは、少女をふりほどこうと暴れた。エディスの動きを止めているのは、何度かレナディスと一緒に来たことのある年下の侍女だ。体格も同じくらいなのに、腕の動きをとめられているせいか、上手く抜け出せない。
もがくエディスの姿に、レナディスが見下すような笑みを浮かべた。
「そこでゆっくり見ているがいいわ。あなたの大事なご主人様を壊してあげるから。そうしたら貴方はただの召使いに逆戻り。人形を失った殿下は目を覚まさざるをえなくなるんだわ。そうしたら陛下だって私を褒めて下さるはずよ!」
くすくすと笑うレナディスは、侍女と共に硝子の姫君をさらに窓の近くへ移動させた。
窓から落とす気だ。三階から落下したら、硝子の像なんてバラバラに壊れてしまう。
「やめて、その像は!」
王妃様が残していく夫と子供のために造った物なのに。
レナディスは焦るエディスを見ながら、硝子の姫君を押し倒そうと腕に力をこめた。
「やめて!」
エディスは自分を捕まえている侍女の足をおもいきり踏んづけた。相手がひるんだ隙に抜け出し、今にも窓硝子にぶつかりそうな像に向かって走る。
硝子の姫君の頭が、窓枠を突き破る。
頭部に白い亀裂を刻みながら、肩ではめ込まれた硝子と木枠を壊していく。そんな硝子の姫君を、エディスは抱きしめた。
けれど自分の身長に近い大きさの像は想像以上に重く、とてもエディス一人では支えきれない。
硝子の姫君とともに、エディスの体も倒れていく。
背後には割れた窓硝子がある。刺さったら死ぬかもしれないと思った。
けれど硝子の姫君もこのままでは壊れてしまうのだ。彼女がいなくなれば、エディスはもうお払い箱。ラザルスの側にいる幸せな時間が終わってしまうなら……。
全て諦めかけたエディスは、覚悟をきめて目をきつく閉じた。
その時誰かが背後からエディスを抱き留め、硝子の姫君を押し返してくれる。
驚いて目を開くと、硝子の姫君は押し返されすぎて前方へ倒れていくところだった。
「きゃあああっ!」
ちょうどそこにいたレナディスが悲鳴を上げながら避けた。硝子の姫君はティーテーブルにぶつかって止まる。
さらに開いていた扉から入ってきた従僕や衛兵たちがなだれ込んできた。彼らは素早くレナディスを取り押さえた。
「な、なんですのっ。どうして私を拘束なさるんです、殿下!」
レナディスはエディスの方を向いてわめいた。正確にはエディスを抱き留めたままの背後の人物に向かってだ。
「王族の所有物を壊した罪は償って貰うよ、レナディス嬢」
エディスの頭の上から、聞き慣れた声が発せられる。
レナディスは完全にうろたえた様子で言い訳を口にする。
「わ、わたくしではありませんわ! 殿下が間違ってお助けになったその侍女が!」
「君が硝子の像を押した姿を見たんだよ。言い逃れはできないと思ってくれ」
そしてラザルスは、レナディス達を取り押さえた従僕や衛兵に命じた。
「……王宮の近衛に引き渡して拘束させろ。陛下にも今あったことを報告するように」
指示を受けた衛兵と従僕は、呆然とするレナディス達を連れて素早く立ち去った。
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