第6話 引っ越し
料理人を筆頭に、バタバタと慌ただしく動いている。家中に美味しい匂いが漂っていた。
朝早くから活動し始めた執事のフレディを捕まえ、健康観察をする。旅行の疲れは残るものの毒の影響はなさそうだ。その後、厨房を手伝っていたら、食事の後にエミリーがやってきて、セレーナに抱きついた。
「セレーナ、ありがとう!うまくいったわ!」
セレーナはエミリーを連れて、片付けの邪魔にならないように厨房から出た。
レオルドとエマは、親の勧めで婚約したばかりで、まだ親しい間柄ではなかったのだが、今回のことで距離が縮まったようだ。
レオルドも婚約者が来ているのに
エマを家族で出迎えたあと、エミリーとレオルドで案内していった。エミリーが二人の会話を繋ぎ、少し話せるようになったところでレオルドにプレゼントが渡された。エミリーが兄の性格を考えてアドバイスした品物だ。
綺麗な真っ白いハンカチに、コロコロした子犬が刺繍された可愛らしい品であった。レオルドは犬などの動物が好きなのだそうだ。
レオルドの喜んでいる様子を見て、エミリーは胸を撫で下ろしたと言う。
レオルドが様々なことを話しかけ、エマは頬を赤らめて相槌を打っていた。
「よかったわ。」
セレーナもホッと一安心である。
その後エミリーはフレディに見つかり、慌ただしい厨房付近から、自室に帰されてしまった。
エミリーの給仕をしていたカミラが、頬を染めてうっとりしている。
「素敵でした~。」
「エマ様は大変可愛らしい方でしたので、お二人の仲が深まるといいですね。」
「そうですよね!ところで、セレーナさんは、引っ越しですか?」
「そうなのです。」
不安そうに答えるセレーナに、カミラは羨ましそうだ。
「通いになるなんて、出世ですよ!休みの日には、お出掛けしましょうね!」
セレーナは毒入り飴事件の容疑をかけられていたり、商会の手伝いに追われていたりと、忙しかったのでゆっくりお喋りしたことがないのだ。一番の理由は、カミラがセレー
ナのことをレオルドを狙っている嫌な奴だと勘違いしていたことなのだが。
大方の片付けが終わると、使用人や商会の職員にも、ご飯が振る舞われた。旅行中に見つけた新しい野菜や果物の試食もかねているのだと。
最後の片付けを手伝おうとしたセレーナだったが、明日の引っ越しに備えるようにと、荷造りを命じられてしまった。
働き始めて、私物を増やす余裕もなかったから、荷物は多くない。
しばらく部屋で荷物と格闘して、その日は早めに床についた。
爽やかな早朝の空気の中、お腹のすく匂いがどこからともなく漂ってくる。たくさんのレストランが集まっている一角に、堂々と立つ有名なレストランの裏手。仕入れと仕込みで騒々しく従業員が出入りしている。
エリントン家を朝早く、追い出されるかのように出て、まっすぐ向かってきた。新居に運ぶ荷物は、商会の荷馬車で運んでくれている。寝具一式も女性が買いに行くには重たいだろうと、アランからプレゼントされ運び込まれているので、買いに行く必要はなかった。
「わぁ!」
勢いよく飛び出してきた男とぶつかりそうになった。
「すみません。あの、オーナーはいらっしゃいますか?」
まだ驚いたままの男に問いかける。
「うわ!あっ!ちょっ!ちょっと待ってくださいね!!」
何を勘違いしたのか、真っ赤になった男は跳び跳ねて店の中に戻っていった。
「あぁ、誰かと思ったらセレーナちゃんか。」
"さっきの男は何と報告したのだろうか…"
レストランのオーナーである、カルトスがセレーナを応接室に招き入れた。
「父がお世話になっております。少しばかりですが、父の返済の一部にしてください。」
働き始めて色々あり、使う暇がなかったので、少しまとまったお金になった。
「あぁ、ありがとう。」
カルトスは、父の商売が立ち行かなくなったときに、残りの借金を肩代わりしてくれた上に、父を雇ってくれたのだ。とはいえ、働き始めたばかりの父の給料が良いわけはなく、返済は滞っているだろう。
カルトスとて、首都で人気のレストランを構える商売人である。返済されない可能性のある借金を肩代わりするわけがない。彼が快く父を助けてくれたのは、父の人望もあっただろうが、セレーナが返済を手伝うことを予測していたからであろう。
「セドリックに会っていくかい?」
「いえ。やめておきます。私が返済に来たことも伝えないでください。」
父は、商売は下手だが、誰からも愛されるほど優しい人だ。私が返済していることを知ったら、反対するだろう。自分では返済できそうにないのにも関わらず。
カルトスのレストランを後にすると、必要な消耗品を買いに行く。節約中のセレーナは、最低限の消耗品を買うのみですませた。その後は食器だ。高いものを買うのはもったいないが、素敵だと感じるものは、それなりのお値段で悩んでいた。
前に通ったお店の品の方が良い物だったように感じたので、来た道を戻っていると、怪しげな人と目があった。
"なぜ、顔の半分を隠しているのかしら?"
最低限、数枚の皿とカップは欲しいのだが、素敵だと思ったものは高かった。商会の娘として物の良し悪しをがわかるように目を鍛えてきたのが仇となる。まだ借金返済が残っているのに高いものは買えない。だが、やはりいいものに引かれる。
ため息をつき、妥協点を見つけるために引き返した。
"あら?また、あの怪しい人、まさか私と同じように、食器の品質と値段の板挟みになっているわけ、ないわよね?"
買い物客ではないとしたら、不自然な動きと視線から警戒すべきだろう。この通りは人通りも多く乱暴な真似はできないが、家までの道全てが安全だとは限らない。一番問題なのは、家の場所がわからないことだ。地図で大まかな場所はわかっているものの、近くまでいったら探さなければならず、家に逃げ込むことができなかった。
"どうせ逃げられないのなら、買うものは買った方がいいかしら"
セレーナは、買い物で時間を稼いでいるうちに、対処法を考えようと腹をくくった。
しばらく数件の店を行き来し、一つの店の奥の方に気になるものを見つける。店員によると、まだ若い職人の作ったものらしい。品質が安定していないので、店の目立つところには置けないらしい。その代わりに値段は手頃であった。
セレーナは、自分の目利きを信じて、良さそうなものを選んで買うことにした。
皿を購入してしまったのに、怪しい男の対処法は思い付いていなかった。しかも、セレーナに気づかれ開き直ったのか、かなり近い距離で堂々と尾行している。セレーナは、時間稼ぎのために、日持ちする食品を物色することにした。
食品の店が多い通りは、食べ歩きできるような屋台やレストランもあり人通りはさらに多かった。なかには騎士の制服のまま、ご飯休憩に来ている姿もある。借金を返済したばかりで持ち合わせがないが、背に腹は変えられない。騎士に護衛を頼もうと歩みを進める。人の良さそうな騎士を探していると、背後から声をかけられた!!
「セレーナちゃん。大きな荷物だね。それに、顔色も悪いようだ。送っていこうか?」
聞き覚えのある声の主は、金髪の騎士、ウィルである。隣にはマークがいるが、声をかけていいか躊躇うほどの仏頂面だ。
「あっ!ウィルさん。」
"ウィルさんなら、頼みやすい"
明らかにホッとしたセレーナを、ウィルは見逃さなかった。
「買い物にも付き合うよ。」
セレーナのもつ大きな荷物を、有無を言わさず受け取った。
「あの、お休みではないのですか?」
騎士の制服を着ていない二人を見る。休みの日に迷惑をかけてしまう。
「今日はエリントン家に報酬を受け取りに行ったんだ。だから、半分仕事で半分休みかな。」
休みなのに護衛を頼んだら迷惑ではないだろうかとか、護衛を依頼すると幾らくらいお支払いするものだろうかなど考えているセレーナの表情を見て、ウィルは苦笑した。
「セレーナちゃんったら、そんな怖い顔をしてぇ~。独り暮らしかな。ほらぁ~、食べ物も買っておいた方がいいよね。女の子ならフルーツとか好きかな。」
ウィルは、セレーナから奪った荷物の中を失礼にならない程度に覗き込んで言う。
「そうですね。」
柑橘などのフルーツであれば、しばらくもつだろう。
「あっ!ナイフ…。」
帰りに屋台で何か買って帰ればいいいと思っていたので、失念していた。フルーツがあるのならナイフが必要だし、女性の独り暮らしにナイフがないというのは、いただけないのではないか…。
「あれ?忘れちゃったんだね。」
そう言うと、ウィルはお店を勝手に選び、手頃な値段のナイフを選んでしまった。
"私、一人だったら相当悩むところだったわ"
「フルーツだけじゃ、栄養が偏るし、日持ちする薫製肉でも買いに行こうか。」
「薫製肉…。痛まないかしら…?干し肉にしておくわ。」
冷蔵の魔道具があれば問題ないのだが、一度も新居に行ったことがないので、どのような設備がついているかわからなかった。
「干し肉かい?女性には固くないかい?」
「少し炙れば問題ないと思うのだけれど…。」
ウィルは、興味津々といった様子でセレーナの顔を覗き込んだ。マークがそれを引き離す。
"そう言えば、居たんだったわ"
「冷蔵の魔道具はないのに、熱源の魔道具はあるのかい?」
「えっと、まだ部屋には入ったことがないのですが……冷蔵の方は四六時中冷やしていないとならないのに比べて、炙るのは少しの時間でいいですよね?」
ずっと冷やし続けるのは無理であるが、しばらく温めるのであれば問題ない。
「セレーナちゃんは、不思議な
ウィルの言葉に、セレーナは驚いた。ウィルは騎士であり、魔法を使えるのだから、当たり前のこととして話してしまっていたのだ。
「そう、なのですか?騎士の方々の方が自在に魔法を使うのかと…。」
セレーナは困った顔をしてウィルを見上げていた。
たまたま通りかかった制服を着た騎士が、ウィルをからかう。
「おい!ウィル!また新しい彼女か!?そのうち殴られるぞ!」
「殴られるくらい、平気だからいいんだ!!」
「騎士の備品を私情に使うなよ~!!」
「あいつめ、余計なことを!」
セレーナにとっては、どうでもいい話だったので、苦笑いで流す。ウィルおすすめの肉屋に寄り、地図を頼りに自分の家を探しだした。
「セレーナちゃん?明日は出勤かい?」
「はい。そうです。」
「じゃあ、また、朝ね。」
「え?」
ウィルは真面目な顔をした。
「部屋に入ったら、絶対に、鍵をかけるように。」
"怪しい人に付けられていることを、わかっていたんだわ"
セレーナは、ただの軽い男だと思っていたウィルの評価を改めた。
セレーナが家に入り、鍵をかけるまで待ったウィルが、マークに声をかけた。
「なんで、ずっといたんだよ~。あんな怪しい奴、お前なら捕まえられたんじゃないのか?」
マークは、何故か、怪しい男を追いかける気になれなかったのだ。
「無茶言うなよ。俺たちが話しかけただけで、かなりの距離をとって、人混みに紛れてしまったんだぞ。それに、お前が不届き者になる可能性があったからな。」
「お前さえいなければ、警護するためって言って、セレーナちゃんの新居にお邪魔することもできたのになぁ~。」
ウィルの大変残念そうな顔に、マークは大きなため息をついた。
「やっぱりな。俺は、エリントン家に知らせに行ってくる。」
「帰りに旨いものよろしく。」
「はいよ。」
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