第7話 アランの思惑
朝、不安そうな顔を隠しきれていないセレーナを送り出し、商会の力自慢達にセレーナの荷物を届けさせた。
光の差し込む執務室で、休憩を始めたアランにイーリスが話しかける。
「ここだけの話、レオルド様の婚約者を探すときに、セレーナさんが候補に上がらなかったのが不思議でならないのですが。」
アランは当時のことを思い出す。
「あぁ。その頃は、セレーナの父親の商会がかなり傾いていて、今にも潰れそうだったんだ。セレーナが高等学院に通っているということはわかっていたのだが、家が潰れてしまえば学校は中退になり、大量の借金が残るだろ。まさか、飛び級で卒業して、借金もそこまで多くは残らないなんてな。」
セレーナにとって、商売に向いていない父の商会が傾くのは予想できたこと。ただ、思っていたより少し早かっただけだ。それはセレーナに色々なことを教えてくれた母も予見していたことだろう。母は病気で弱っていく中、お金になる隠し財産を残してくれた。もちろんそれを売り払ったのはセレーナだ。人の良い父では買い叩かれてしまう。
「セレーナさんが、うちで働いてくれればどんなに心強いか。」
イーリスは、すでに諦めた顔をしている。アランがそれを良しとしないことをわかっているのだろう。
「そちらは、レオルドを育てるのだな。セレーナはうちの専属医師だ。彼女には、いずれ孫を取り上げてもらいたいものだ。」
まだ先にことなのに、目を細めて嬉しそうだ。昨日のレオルドとエマの様子から、孫のことまで考えられるようになったのだろう。イーリスは、エマ嬢のプレッシャーにならなければいいなと心の中で思った。
準医療者の資格をもつセレーナは、妊婦の健康観察とお産の補助ができる。医者が近くで待機していれば赤ん坊を取り上げることができた。アランとしては、医者は男性が多いので、セレーナにお産に立ち会って欲しいところだろう。
「それなら、何故通いにしたのですか?ずっと外に出さずに囲っておけたでしょうに。」
「セレーナはそんな女性じゃないよ。彼女がどう思うかは置いておいたとしても、周りが放っておかないだろう。彼女の名前は思ったより知れ渡っているのではないかと思ってな。何と言っても、あのカルトスが無条件で借金を肩代わりして父親を雇ったんだ。なにかあると思った奴も多いだろう。あいつにしてみれば、借金返済の確約が見えていたんだろうし、万が一返済されなくても優秀なセレーナを手駒にできる。あいつの動きの早さには感服だよ。他の者にだって、ちょっと調べればセレーナが高等学院を飛び級で卒業し、うちに勤めていることなんてわかるだろう。無理に閉じ込めておけば、うちより好条件で引き抜かれ兼ねない。通いであれば、引き抜くのではなく通う家が増えるだけだ。もちろん、ある程度の好条件は提示するつもりだがな。それに、・・・」
ここで言葉を切ったアランは、遠くを見て呟いた。
「友人の容態を見てもらいたかったのだよ。」
イーリスは、アランの言う友人のことを思い浮かべる。ジワジワと弱っているという印象であったが、最近、急激に体調が悪化したらしい。
「あぁ、御加減が宜しくないようで。」
アランは古くからの友人に思いを馳せた。少しでも長生きを、それが叶わないのなら、せめて心穏やかにと。
その後、鉄鉱石を値上げをしていたガンバス家との取引を減らしていく話をしていると、マークがやってきた。
落ち着いた様子からは想像ができない言葉が飛び出す。
「セレーナが怪しい者に付けられました。」
「どういうことだ?」
強ばった顔で、椅子から立ち上がる。
「付けられているのを見つけたので、声をかけました。家まで送り届けて、今はウィルが入り口を見張っています。」
ホッと胸を撫で下ろし、椅子に座り直した。
「セレーナは、無事だということなんだな。」
「はい。彼女が付けられる心当たりはありますか?」
「いや…。」
しばらく、眉間に皺を寄せて考えていたアランは、渋い顔で呟いた。
「まさか…!エリントン家を狙っているとか…!?」
セレーナは朝エリントン家から出て買い物に向かった。彼女は町娘とは思えない洗練された美人である。エリントン家の娘と勘違いされたか?それともエリントン家の関係者であれば誰でもよかったのか?
「これは、どうしたものかしら。」
地図を頼りに家に辿り着いたときから驚愕していたのだが、ウィル達の前で態度に出すのを何とか堪えた。
大家から受け取った鍵で部屋に入り、思った通りの光景に頭を抱える。
家の中には話題にも上がっていた冷蔵の魔道具と熱源の魔道具があり、当たり前のように光源の魔道具が設置され、水道が通っていた。
家賃の支払いについて考えると頭が痛くなる。
"私を破産させたいのかしら"
頭を抱えてしゃがみこんでいたのだが、暗くなってきたことで魔石がなく魔道具が動かないことに気がつく。暗くなる前に急いで魔道具がどんなものか確認して、寝床の支度をして寝ることにした。
「おはよ~。セレーナちゃん。」
ウィルはいつものように軽い調子で声をかけてきた。マークも居るのだが、声を発することはなく、こちらもいつも通りの仏頂面だ。
「おはようございます。ウィルさん、本日もありがとうございます。あの、護衛っておいくらでしょうか?」
「僕の好きでやっているんだから、お金なんて請求しないよ~。」
"無料って、何か企んでいるのかしら?"
セレーナは、笑顔のままウィルの様子を窺う。
「ちゃんとお支払しますわ。」
「じゃあ、仕事終わりに一緒にご飯を食べて帰ろう。」
セレーナの腰を軽く手を回し歩きだしたウィルが言うと、マークが鼻をならした。
「忙しいのでごめんなさい。」
可愛らしく眉の下げる。
「もしかして、買い物かい?」
「おい!ウィル!」
「わぁかったよ!!」
マークの声に、おもちゃを取り上げられた子供のように不貞腐れた。
「今日の帰りの護衛は決定しているんだよ。もちろん僕は毎日セレーナちゃんと一緒でいいんだけれど、・・」
「ウィル!」
「はいはい。一人で出歩くときに自分の身くらい守りたいんじゃないかと思ってね。」
セレーナは、ウィルをじっと見つめる。
"調子のいい言葉で騙すつもりじゃないわよね?"
「ま、簡単な護身術ってやつだな。僕が一緒にいてあげれば、何の問題もないと思うんだけどね。」
セレーナは、可愛く小首を傾げながらも、ウィルの真意を計り兼ねていた。
「ウィル!ちゃんと説明しろ!」
「あぁ~、もう!だったらマークが説明してよ。」
「俺には無理だ!」
ウィルはマークに向かって鼻をならす。
「ふん!本当に面倒臭いんだから!セレーナちゃんは、魔法が使えるんだろ?しかも、かなり器用なようだ。」
昨日の話を覚えていたようだ。
「一つは逃げながら、水を撒いて、急激に冷やせば転ばせることができるだろ?ツルツル作戦だな!他には自分の重力を小さくして、高く跳んで逃げるとか。ピョンピョン作戦だな。」
作戦名に関しては頭から閉め出し、実行したときのことを想像した。水を凍らせる作戦の方は効果がありそうだが、重力の方はドレスで高く跳ぶのは現実的ではない気がする。
「かなり危険な逃げかたね。」
困惑しながらセレーナが答えると、ウィルは意外にも真剣な顔で言う。
「万が一魔法攻撃だった場合、逃げきれないだろ?」
セレーナは魔法攻撃の原理は知っていても実際に見たことがないことに気がついた。
「魔法攻撃って、どれくらいの射程なのですか?」
エリントン家についたら実践してくれることになった。
エリントン家の庭、いつもは護衛のジュリアンが体を鍛えているところで、木の板を立てそこに向かって、火球を放ってもらうことになった。
「よく見ていてね。」
セレーナは興味深く魔力の流れを観察しながら見ている。
ウィルは、木の板に近いところで魔力を動かし、熱を集め始めた。ある程度の熱が集まると、それを板に向かって進める。板に当たると、板の温度が急激に上がり火が着いた。汲んであった水をかけて、ジュリアンが消火する。
「この距離に意味はあるのですか?」
セレーナは、ウィルが魔力を使ったところを指差して聞く。
「セレーナちゃんは、やっぱりすごいね~。もしかして全部見えていたのかい?」
"質問には答えてくれないのかしら?"
「なぜ、ここだったのかしら?」
首をかしげて、笑顔でマークを見る。
"いつも怖い顔をしていて無口だけど、風が吹いたら飛んでいきそうなくらい軽いよりはマシよね"
「ちょっとぉ!!ちゃんと教えてあげるからぁ~。それはね、熱を集めてから移動させるのが難しくて、命中率が下がるんだ。人によって
魔力は自分の内包していたものだから、熱よりは制御しやすいのだろうと、セレーナは見当をつけた。
「やってみたいことがあるので、もう一度お願いしても宜しいでしょうか。」
「え?もう一回、見たいのかい?」
ニヤニヤと嬉しそうなウィル。
「お願いしても宜しいですか?」
セレーナは、目線をマークに向けた。
「あぁ!わかったって!!セレーナちゃん近づかないでね。」
近づかないでと言われたのに、ウィルが魔法で熱を集め始めるとセレーナは一歩近づいた。まわりで見学していた人が驚いていると、セレーナも魔法を発動する。
ウィルの魔法は不発に終わった。
「セレーナちゃん……?とんでもない
ウィルが熱を集めるのなら、魔力で熱を散らせばいいのではないかと思ったのだ。使う魔力が同じなら、距離の近い方に軍配が上がるはず。
「上手く行ってよかったわ。」
さすがに重力を小さくして、高く跳んで逃げる方法は取りたくない。命には変えられないから、最終手段ではあるのだが。
ウィルはもちろん、マークもジュリアンも、途中から見に来たアランも目を見開いて呆然としていた。
その後、契約の話をしたが、セレーナが訝しむほどの厚待遇であった。家賃の補助も出してくれるらしく、今の家でも、何とかやっていけそうだった。さらにアランの依頼で、もう一軒、仕事ができる家が増えることになったのだ。
使用人の健康観察を終え、アランのマッサージを済ませると、もう帰宅する時間だった。帰ろうとしているところに、ジュリアンが腹から血を流して、駆け込んできた。
セレーナは急いで手当てに当たった。傷口に活性化の魔法をかける。なるべく無駄な力を使わないように、傷口の狭い範囲に魔法を集中させた。セレーナの魔力温存にもなるのだが、ジュリアンの体力温存が一番の目的だった。
活性化の魔法は、身体の働きを活性化しているだけである。ジュリアンの体力を使って治しているのだ。
傷の治りを早めているので、しばらくすると傷が塞がった。
"これでよし!それにしても、エリントン家が標的になっているのかしら?"
額に汗をかいて必死に治療しているセレーナを見て、迎えに来たウィルがアランに声をかける。
「斬撃は防げませんが、騎士が使っている防御の魔道具を持たせておいた方がいいのではないですか?」
「そうだな。そうしよう。」
アランは悔しそうに眉間に皺を寄せていた。
昨日はセレーナの尾行、今日はジュリアンが狙われたのである。
話せるようになったジュリアンによると、目以外を布で覆った奴に襲われたのだと。剣は立つが、魔法の使えないジュリアンは、くせ者が朝のウィルと同じ動きをしていることに気がつき、跳んで避けた。魔法の方に気をとられてしまい、投げナイフを避け損なったらしい。飛び退いたところからは火の手が上がった。火球を勘だけで避けたのだから、ジュリアンは正しかったことになる。
傷が塞がったジュリアンは、次の日、自分で医者に行く事になった。セレーナはアランに頼まれたハワード家に行く事になっていたからだ。
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