第5話 お茶会と報告

 数日後、エナがやってきた。彼女は外交官の娘で、ダークブラウンの髪をアップにした、小柄で可愛らしい女性だった。黒に近い色の瞳を忙しなく動かし、不安そうにしている。

「本日は、お招き頂きありがとうございます。」

 消え入りそうな小さな声で挨拶をした。エミリーが満面の笑みで答える。

「お越しいただいて、ありがとうございます。未来のお姉さまと仲良くなりたいと思っていましたの。こちらは、私の家庭教師をしていただいているセレーナよ。」

 ただの使用人と紹介するよりも、家庭教師の方が自然と話題を振りやすいだろうということで、このようになった。奥さまのフレイヤからは、「これから家庭教師もしてもらえば良いじゃない。」と言われた。といっても、付きっきりで教えるわけでも、決まった時間に勉強を見るわけでもない。エミリーが必要なときにアドバイスするといった簡易的なものである。

「お目にかかれて光栄です。セレーナと申します。」

 セレーナはゆっくりとした動作で、綺麗にお辞儀した。

 エマの従者とカミラが給仕を行い、セレーナは全体を見ながら横に控えていた。カミラ特製の、可愛らしいピンク色のケーキが並べられる。

「か、かわい…。」

 なんとか聞き取れる声で、感嘆の声をあげるエマ。

「カミラのお菓子は、いつも可愛くて美味しいの。」

 エミリーが話しかけて、エマが頷く。

 他の話題を振っても、頷いたりモゴモゴと聞き取れない返事をしたりと話が続かない。

 "これは、どうしたものかしら"

 セレーナは、給仕を手伝いながらエマの様子をじっくり観察していた。テーブルの下で膝に置いたハンカチを握りしめている。

 家柄の良いご令嬢が好きなものといったら、読書や刺繍、楽器、服飾や宝石などである。ティーカップを持つ手に、演奏者特有のタコなどは見当たらない。エミリーが流行りものの話題を振っても、相づちを打つばかりで話題に乗ってこない。

 給仕をする侍女のスカートにちょっとした刺繍があることから考えると、彼女の趣味は刺繍なのでは?


 エミリーにも気づいてもらいたくて、身の回りの物を確認するも、良いものが見当たらない。仕方がなくセレーナは自分の服のボタンホールを指でなぞった。エミリーは一瞬だけ不思議そうな顔をしたものの、すぐに笑顔に戻る。

 セレーナの意図を理解した訳ではないが、エミリーとてエリントン家の一員である。アランの教えが身に染み込んでいた。

 『一人の力は微弱である。力を借りることを厭うな。・・・』

 教えはまだ続くのだが、今は力を借りるとき。

「エマ様!セレーナは、絵を描くのがとても上手いのです。この前起こった事件でも、似顔絵を描いて犯人を見つけてくれましたわ。」

 毒入り飴事件の傷も癒えていないだろうに、その事すらも口実に使う。

「セレーナに絵を描いてもらいましょうよ。」

「え、えぇ。」

「カミラ、紙とペンの場所はわかるかしら?」

「はい。すぐにお持ちいたします。」

 セレーナはカミラが取りに入っている間に自分の椅子を用意し、絵の構図を考える。せっかくの二人のお茶会なのだから、二人が親しげに談笑する姿を描くことに決めた。

 カミラは、紙とペンの他にペーパーナイフと糊まで持ってきてくれた。お礼をいい、お二人の姿を書き始める。

 お茶を取り替え、新しいケーキが提供されている間に、二人が笑顔で談笑している姿が出来上がった。出来上がった絵の周りを蔦と葉っぱで囲っていく。刺繍でよく見る図案と同じにした。

 セレーナがペンを置いたのを確認したエミリーが、声をかけた。

「出来たかしら?」

 お二人に見えるようにひっくり返すと、感嘆の声があがる。

「とても良くできているわ。」

 エミリーが嬉しそうにいうと、エマは目を見開いて、ワナワナと震えている。

「あ、あの!とても素敵です!あ、あの~!!」

 絵に釘付けになり、前のめりになった。ハンカチを握りしめた左手が机の上に出ていた。素晴らしい総刺繍のハンカチであった。

「エマ様。とても綺麗なハンカチですね。」

「ぅあ!あの!私、趣味が刺繍ですの。地味な趣味でお恥ずかしいのですが。」

 貴族社会が撤廃されて、女性も色々なことが出来なければという風習もあった。それでも裕福な令嬢の趣味としては、まだまだ一般的だ。

「素敵だと思いますわ!」

「こんな綺麗な絵が描けるなんて…。」

 ぎこちないながらも話は続き、セレーナの絵を刺繍できるように図案におこして渡すことになった。さらに、レオルドの帰宅時の食事会に参加し、刺繍のプレゼントをするということに決まった。時間も残り少ないので、今まで作ったものでどんなものが良いだろうかと顔を赤くするエマに、エミリーが親身になって相談に乗っていた。




 マークのところに、エリントン家の護衛の仕事が舞い込んできた。エリントン家と言えば、農産物を多く取り扱う大きな商家で、家の警備を頼まれたのだ。マークと一緒に行くのはウィルという男だ。女好きで顔も良いため、よく胸焼けするような言葉を並べる。男に対しては気さくでいいやつなのだが、マークは好きにはなれないでいた。

 エリントン家に着くと早速ウィルが女に手を振った。明るい栗色の髪がきれいな女だった。大きな瞳は利発そうで、儚げな笑顔と華奢な後ろ姿は庇護欲を刺激するのかもしれない。マークの知っているウィルの歴代彼女とはタイプが違った。

「セレーナちゃん。つれないところも可愛いよね。」

 "どうせおまえの餌食になるんだろ?"

 家の主人が馬車に乗り込むときに出発の挨拶をする。見送りに来た人、全員に対するものだった。その後息子のレオルドが口を開いたが、出てきた言葉はセレーナへの誘いの文句だった。こういうとき女というのは、頬を染めて上目使いに男を見ているものなのだろうと、冷めた気持ちでその後ろ姿を見ていた。

 "相手が若旦那じゃ、ウィルには分が悪いか?"


 その後、彼女が商会のトップと出掛けていく姿を見かけた。戻ってきたとき、御用聞きらしい男に話かけられている。

 セレーナは笑顔で返して、すぐに家の中に戻っていったが、御用聞きの男はずっと彼女の後ろ姿を見ていた。

 "若旦那が相手じゃ、あいつに勝ち目はないな"


 それから、セレーナは毎日同じ時間に商会に行っては、昼過ぎには家に戻ってくるという生活を繰り返していた。御用聞きが鼻の下を伸ばして話しかけているのを何度も見かけた。可愛らしく笑って答える、彼女を見るたびに腹が立ってきた。


 メイド長のハンナによれば、今日は来客があるらしい。

 小柄で気の弱そうな女性が、お付きのものを連れてやってきたのだ。他の任務でエリントン家にきたことのあるウィルによると、レオルドの婚約者らしい。ウィルは、若旦那には婚約者がいて、セレーナを恋人にすることはないと知っていて誘っていたのだ。

 "それにしても婚約者のいる男を誘惑するとは、とんでもない女だな"

 来客は娘のエミリーと親しげに話ながら出てきた。二人の笑顔から、よい雰囲気で話が進んだことがわかった。見送りに出てきたセレーナは優しそうな微笑みをたたえ、若旦那の婚約者を見送っていた。

 マークの中に、何ともいえないモヤモヤした気持ちが広がる。

 "若旦那を誘惑している女が、その婚約者を嘲笑っているのか?"





 ついに明日、家主が帰ってくる。商会の中には、やっとアランが帰ってきてくれるという安心感が漂い始めていた。

「あら?」

 つい声があがってしまった。

「どうされました?」

「いえ。気のせいでしょうか。」

 鉄鉱石の値段が、またあがっている気がしたのだ。買っている量が違うので比べにくいが、一箱当たりにすると気のせいとは思えないくらい値上がりしている。

「やっぱり…。」

 "言って良いものかどうか…"

「どうされました?気づいたことがあったら教えてください。」

「あの、このガンバス家との取引ですが、少し高いような気がしていまして、初日に見たときから比べても値段があがっているのが気になったのです。」

「どれどれ。う~ん。」

 イーリスが初日の帳簿と見比べてる。

「本当だ。鉄鉱石がとれるところは珍しいんです。」

 このエルグランド国は、広大な土地が広がる農業大国であった。鉄鉱石がとれるところは少ない。

「不自然なほどあがっていますね。アラン様がいないことをわかって値上げしているのでしょうか。」

 その後、手の空いた商会のメンバーを総動員して、過去の取引を確認した。普段からジワジワと値段を上げられていることがわかった。特に毎年この時期には必ずと言っていいほど値上げされている。

 イーリスは大きなため息をついた。

「はぁ~。セレーナさんがいなかったら、気がつかないところでした。旦那様が帰ってきたら報告しますので、セレーナさんも同席をお願いします。」




 アランとレオルド、フレディの乗った馬車が到着した。

 すぐに最低限の報告のために、アランの執務室に向かった。

「ガンバス家との鉄鉱石の取引で、ジワジワと値を上げられております。」

 セレーナが値上げに気がついたあと、他の職員も総動員して作成した、過去2年間にわたる値段推移の資料を渡した。

「こうしてみると気がつかなかったのが不思議なくらいだ。どうするかは検討しておこう。」

 取引の報告が続き、毒入り飴事件の黒幕が、貴族派のものだという報告があがった。

 貴族派とは、もう一度貴族社会を取り戻そうと考えている者達のことである。

 最後にイーリスの報告だ。

「旦那様指定の区画に、適当な家を一軒借りました。すでに引っ越しできる状態です。」

「あぁ、ありがとう。では、セレーナはそこに引っ越してくれ。明日は食事会だから、明後日だな。引っ越しが済めば、その日は一日休暇だ。家財道具を揃えるといい。護衛が必要なら騎士のマークを頼むがどうする?」

 引っ越し?この家を追い出される?

 私、なにか不味いことしたかしら?

 頭の中は混乱していたが、何とか答えを絞り出す。

「え……?護衛は必要ありません。」

「では、契約について決めるのは、その次の日としよう。条件は今よりよくなるはずだから、心配せずにゆっくり休みを満喫するんだよ。」

 普段の優しい顔で話すアランに少しだけ安心するセレーナであったが、頭の中では色々な可能性を考えていた。

 "もしかして、徐々に距離を置いて、解雇するつもりなんじゃないかしら?"

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