第4話 見送り
疑いが晴れた後、セレーナは契約通りの業務に戻った。昼間は使用人の健康管理とフレディの手伝い、就寝前にはアランやフレイヤのマッサージをして過ごした。
フレディは、少しずつ元気を取り戻し、仕事量を元の状態に戻すよう調整しているところだ。
お医者様も毎日くる必要はなくなり、数日おきの訪問診療になっていたので、その分セレーナが、毎日の体調管理をしていた。
昼間は使用人に声をかけたり、手の足りないところを手伝ったりして過ごすセレーナだが、今日は呼び出されてアランの執務室に来ていた。
「手が空くまで、そこに掛けて待っていてくれ。」
呼び出しを受ける理由が思い当たらない。
毒入り飴の事件は、黒幕は分からないものの実行犯は逮捕された。使用人達の回復も順調で、一番重症であったフレディも、もうすぐ元の状態に戻るだろう。
強いてあげるとすれば、アランの体調も良好で、マッサージをそれほど必要としなくなったことだろうか。
最近は、フレディを始め商会の従業員もバタバタと急がしそうにしていたのだが、セレーナに解雇について話してしまわないように避けられていたとか?
"少し考えすぎね"
「待たせて悪かったね。」
アランが執務机から腰を上げ、セレーナの向かいに掛ける。
「話は一つではないんだ。まずはフレディの体調を聞きたいのだが、どうだろうか?」
「フレディさんは順調に回復しております。彼の努力の賜物でしょう。」
セレーナはフレディの姿を思い浮かべた。
彼は、治すための努力を怠らなかった。食事のメニューに加え、適度な運動と休息、入浴方法に至るまで、良いと思われることは実行した。お医者様だけにとどまらず、セレーナにも意見を求め、奥さまであるヘーゼルも献身的にサポートした。
「ははは。あの男に付き合うのは、大変だっただろう?」
「いえ。彼の頑張りには感服いたしました。私も見習わなければなりませんね。」
「君は、十分やってくれているよ。フレディが二人になってしまうのは、いただけないな。」
アランは優しい顔で笑った。その笑顔からフレディとの信頼関係がじんわりと伝わってくる。
「ところで、フレディの性格を加味して、忌憚のない意見を聞きたい。あいつを長期旅行に連れていけるだろうか?」
「長期旅行ですか?旅行、でよろしいのですよね?」
旅行といっても行き先や日程によって体への負担は変わる。夜営をしなければならない場合もあるのだ。
「行き先は、元エリントン領地で、フレディは馬車にのせるつもりだから、片道3日の旅になるかな。余裕をもって進むので、宿に泊まれる。それならどうだろうか。」
「宿に泊まれて、栄養のある食事が取れれば、大丈夫だと思います。」
「そうか、それなら良かった。フレディに留守番を言い渡すことを考えると、夜も眠れなかったからな。」
アランは軽快に笑うので、セレーナは優しく微笑んだ。
「それで、その旅行についてなのだが、商会の従業員も数名連れていくのだ。今回はレオルドも連れていこうと思っているからな、商会のほうが人が足りなくなってしまう。それで、セレーナには、雑務を手伝って欲しいんだ。」
エリントン商会にとって、元領地が最大の取引相手である。毎年交流を深めるため、この時期に行われるお祭りに参加しているらしい。普段から行き来はあるのだが、アランが直接取引に関わることができる少ない機会である。
「商会の雑務ですか?」
「あぁ。帳簿の確認作業を頼むよ。セレーナに頼むのはお門違いだってことは分かっているんだ。完全に能力の無駄遣いだな。」
家のこと以外にも、商売についても手伝ってもいいらしい。
「いえ。そういう意味では。喜んでお手伝いさせていただきます。」
「家のこともよろしく頼むよ。」
"そこまで頼まれると、正直荷が重いけれど"
「はい。お任せください。」
セレーナはふわりと微笑んだ。
朝から使用人総出でバタバタと荷物を運び出している。運び出された荷物を、護衛のジュリアンが馬車に積み込んでいた。商会の方からも大きな木箱が運び込まれた。フレディも運び込む作業に加わりたいようだったのだが、アランに禁止されソワソワしているようだ。
「フレディ。セレーナに出発前の健康観察をしてもらえ。」
そう言われ渋々セレーナのところに来たフレディは、眉間にシワを寄せ不満そうだ。昨晩も働こうとするフレディを、健康観察を名目に休ませていたのだから。
「無理はなさらないでくださいね。」
体調を確認しながら馬車まで歩く。しっかりとした足取りで、旅行も問題ないだろう。
今日出発するのは、アランとレオルド、フレディに護衛のジュリアンだ。今回は、毒入り飴事件の黒幕が分かっていないのに家を開けること心配し、騎士を雇った。その騎士も到着したが、片方がウィルであった。
隣でメイドのカミラが、頬に手を当てて小さく高い声を上げた。
「ウィル様だったのね!もう一人の方も格好いいわ!」
二人とも背が高く、騎士の制服が似合っている。ウィルが金髪が頬にかかる優しげで端正な顔立ちなのに対して、もう一人は整った顔立ちながら冷たさと野性味を感じる黒髪の男だった。
騎士の様子を見ていると、ウィルが気がついた。セレーナに手を振ってきたので軽く会釈をしてかえすと、隣の黒髪の騎士が顔をしかめた。
商会の代表者と最後の打ち合わせをしながら家から出てきたアランとレオルド。フレディが二人の後ろに立つ。
家族や見送りの使用人と商会の代表者に向かって声をかけた。
「それでは行ってくる。家と商会は頼んだぞ。」
「いってらっしゃいませ。」
奥さまであるフレイヤが笑顔で見送った。
「セレーナ。忙しくて話せなくてすまない。帰ってきたら是非話をさせて欲しい。」
レオルドの言葉にセレーナは、ぎこちない笑顔で返すしかなかった。
商会の代表者であるイーリスに連れられて、建物に入る。雑多なところもあったが、基本的に使いやすいように整理されていた。
「ここは、帳簿の管理や買い付け計画などの事務的なことや商談のための建物でございます。倉庫は別にありますが、今日お願いしたいのは、帳簿の確認作業です。これが昨日つけられた帳簿です。計算など間違っていないか確認をお願いします。」
それくらいなら問題ないだろう。帳簿については母に仕込まれている。
空いている机を借りて、帳簿の確認をしていく。さすがエリントン家の取引だ。一日分だけでも膨大な量だ。
"ん?こんなに高かったかしら?"
色々な品物があるなかで、鉄鉱石の値段に目が止まった。エリントン家は、農作物を主に取り扱う商家だ。工芸品や紙、木材などもあることはあるが、少ないのでどうしても農作物以外は目立つ。
実家で手伝いをしたときにも鉄鉱石は見かけたが、それに比べて高い気がした。
実家での記憶も数年前のものだ。様々な要因で取引価格は変動する。鉄が高くなるような出来事は思い当たらないが、妥当な値段なのだろう。それに、エリントン家が取り扱うものだ。上質な物であれば、当然高くなる。
セレーナは気になったものの、頼まれている確認作業に没頭した。何ヵ所か計算間違いを発見して、イーリスに伝える。
「私どもの半分くらいの時間で終わってしまいましたね。本当に助かりました。」
明日も同じ時間に来ることを約束し、商会の建物を後にした。
屋敷に戻り、カミラに声をかける。カミラと共にお茶とお菓子の用意を済ませると、中庭に運んだ。
小さな中庭だが、色取り取りの花が咲いていて、華奢で滑らかな木肌の木が優しい木陰を作っていた。隙間から覗く空は抜けるようで、心地よい風が吹き抜けている。
ガーデンテーブルの上に花瓶を置き、お茶とお菓子を並べていく。
「うん。これなら上出来!」
カミラも満足そうだ。
「わぁ~美味しそうね!」
娘のエミリーがやってきた。主人と使用人の関係ではあったが、歳の近いカミラはエミリーの話し相手を勤めることが多かった。そこにセレーナが加わったのだ。
「エミリー様、こちらにどうぞ。」
「あら、嫌だわ。この席ではお友だち同士ってことでよろしくね。」
カミラがうっとりとした表情で、騎士の二人が格好いいと言う。どちらかと言えばウィルがお気に入りらしい。黒髪の方はマークという名前なのだと。
エミリーは、今は恋愛には興味がないらしい。毒入り飴の事件があったばかりだから、恋愛の気分にはなれないのだろう。その代わりに学校の話をよくしていた。
「セレーナさんは、好きな人はいないの?あっ!婚約者がいるとか?」
エミリーが話の流れで聞くと、セレーナは申し訳なさそうに答える。
「私は、働きたいので。恋愛は…。」
話が盛り上がらない返事をすることを、申し訳なく思う。
「レオルド様はダメですよ!」
カミラが不機嫌な顔をする。
"そんなこと、分かっているわよ"
「あっ、兄がすみません。」
エミリーが申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「エミリーさん、レオルド様の婚約者にお会い出来ないでしょうか?」
「エマ様に何を言うつもりですか?エマ様は妖精みたいに可愛らしい方なんですよ。」
エミリーはカミラの言葉に、ただオロオロしている。
「エマ様とおっしゃるのですね。エマ様と仲良くなれれば、この状況が変わるのではないかと。」
エミリーは、嬉しそうに頷いた。レオルドの行動が気になっている人は多いだろう。
「そういうことなら、お母様に頼んでみますね。」
罰の悪そうなカミラが、席を立つ。
「私、お湯を沸かしてきますね。」
たしか、水もポットも用意してきたはず。
「カミラさん。大丈夫です。私がやりますわ。」
優しい微笑みを浮かべたセレーナが、水の入った容器を手にした。席を立つと二人から少しだけ離れる。
左手で容器を持ち上げると、右手で加熱魔法を発動する。手の平と容器の間がうっすらと赤く光った。しばらくすると、容器の中から音が聞こえ、その音はポコポコと、沸騰する音に変わった。
「これでどうでしょうか?」
「すごいわ!魔法って便利ね!私でも出来るかしら?」
カミラが目を丸くしてセレーナの右手と、暖まったお湯を見比べている。
「魔力量にもよりますが、原理さえ解れば小さな魔法は使えると思いますよ。」
エミリーは授業で習う日が待ち遠しくなったようだ。カミラは一頻り感動したあと、教えて欲しいというので、今度教えると約束した。
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