第弐拾漆集:血

 李の娘が住んでいるのは、祥国の食糧事情を支えている農村部の中でも大きな村、正青せいせい

 長閑のどかで美しい、まさに人の手が作り出した絶景に、琰耀えんようはうっとりした。

「素敵なところだなぁ……。風も気持ちが良い。……えっと、娘さんが嫁いだのはたしか……。あ、あった」

 村にある家の中でもひときわ大きく立派な邸。

 そこは村の取りまとめ役である村長が住まう邸だ。

 琰耀えんようは一番近くの森の中に降り立つと、そこからは歩いて邸へ向かった。

「秋の香りがする。ここは自然のにおいが濃くていいなぁ」

 歩きながら、村を見て回ること数分。

 邸にたどり着いた琰耀えんようは、すでに何人かの村人たちが井戸端会議をしているところへと入って行った。

「こんにちは……」

 琰耀えんようが声をかけると、話し込んでいた老年の村人たちが一斉に視線を上げ、凝視してきた。

「あ、あの」

「まぁああ! 美青年よ!」

「どこから来たんだい!」

「……ん? その腰に下げているぎょく……。親王殿下⁉」

「ええええ! 本当ですかいな!」

「こんな何もないところにどうして……」

 あちらこちらから声がする。

 それもそのはず。

 ここには二十人以上の村人がいるのだから。

「え、えっと、李さんにお世話になっていて……」

「ああ! そういえば、たしか霓王殿下の家で働くとかなんとか言っていたわねぇ!」

「まあ! でも、何をしにここへ?」

 ご婦人方からの好奇な目に動揺しながらも、琰耀えんようはにこやかに答えた。

「えっと、その、お孫さんのことで相談を受けまして……」

 琰耀えんようがそう口にした途端、村人たちはいっせいに口をつぐみ、哀しそうな表情を浮かべだした。

絳紗こうさのことね……」

 その時、建物の中からやつれた様子の女性が現れた。

「あ、ああ……。母から早馬が来て……。あの、霓王殿下でございましょうか」

「そうです。お話、伺えますか?」

「もちろんです! どうぞ、どうぞよろしくお願いいたします……」

 女性はどうやら李の娘にして村長の妻、そして、絳紗こうさと呼ばれている人の母親のようだ。

 琰耀えんようは靴を脱いで板間へ上がると、彼女の案内で邸の奥へと進んでいった。

「こうするしか、もう手段がなくて……。まずは会ってやってくださいませ」

 たどり着いたのは、陽の光が届かない塗籠ぬりごめの中にある、広めの座敷牢だった。

「あそこに……。あれが、娘の絳紗こうさです……」

 座敷牢の角。

 特に暗い一角に、その姿があった。

「……お前、誰だ。人間ではないな」

 低く多重に聞こえる不快な声。

 琰耀えんようは言葉が出てこなかった。

 ひたひたと音がする。

 牢の太い木製の格子に、静脈のように青い手がかかった。

 爪は骨のように白く、先がギザギザに割れている。

 きっと、噛んでいるのだろう。

「このにおい……、龍神族だな」

 琰耀えんようの横で、李氏が「また始まった……」と、さめざめと泣いている。

 きっと、娘の戯言だと思っているのだろう。

(これは葦原国で多数報告がある、生成なまなりだ)

 生成なまなりは若い女性が激しい情念の末に鬼化する現象で、中原大陸の東にある葦原という島国でその症例が多く報告されている。

 知識の無い多くの人々は、生成なまなりを見て「気が触れてしまったのか」と悲しむばかりで、こういった備え付けの牢に家族を収容するしかない状況だ。

「わたしに任せていただけますか」

「え、で、でも……」

 李氏は狼狽えた。

 母親から「霓王殿下はどんな事件でもその知識と知恵、才覚で解決する素晴らしいお方だ」と聞かされていた。

 だが、例えそうだとしても、親王である。

 おいそれと明らかに危険なことを頼んでもいいのだろうか。

「大丈夫ですよ。わたしは禪寓閣ぜんぐうかくで学びました。知識は本物です」

 琰耀えんようの目は美しく、そして真剣だった。

「……よろしくお願いいたします!」

 李氏は崩れ落ちるように膝をつき、深く深く稽首けいしゅした。

「では、少し休んできてください。終わり次第、声をかけます。娘さんが元気になった時、笑顔で迎えてあげるために」

「わかりました」

 琰耀えんようは手を差し出し、李氏をゆっくりと立ち上がらせた。

「では、のちほど」

「しっかりと休んでまいります」

 李氏は気丈に微笑み、しっかりとした足取りで自室へと向かっていった。

 琰耀えんようは近くに誰もいないことを確かめると、五行珠の水珠で球状に牢を囲うように薄い膜を張り、声が外へと漏れ出さないようにした。

「名前は?」

「なぜお前に述べねばならんのだ。知っているぞ。名前を使って私を殺すつもりだろう」

「ああ、なんだ。致死節のことを知っているんですね」

 もし名のある妖鬼イャォグゥェイならば、それを調伏するための言霊がすでに開発されていることがある。

 鬼化した絳紗こうさはそれを笑い飛ばした。

「あはははは! 馬鹿にしているのか? 龍神族も大したことないな」

「なんでわたしが龍神族だと?」

「そのわざとらしい〈清らかな〉においだ。反吐が出る」

絳紗こうささん、どうしてそこまで思いつめてしまったんですか?」

「この女は死を望んだのだ。もちろん、自分のではない。婚約者と、それを奪い去った女の」

「呪ったんですね」

「それ以上だ」

 絳紗こうさは喜色満面、さも愉快な話だとでもいうように話し始めた。

絳紗こうさは、自身の髪と左眼、そして子宮をにえに、吾輩を呼び出した。そしてこう言ったんだ。『あの男の家には二度と男児が生まれぬよう。あの女の家には短命ののろいを』と」

「じゃあ……」

「ああ。もうのろいはかけてある。男はしばらく気づかないだろうが、女は母親や伯母の突然死、そして自分の避けられぬ病で気づくだろうな。あとは絳紗こうさを殺して贄を受け取るだけだ」

「では、なぜまだその身体にいるんです?」

「……嫌なガキめ」

「力が足りないんでしょう? のろいが重すぎたんですね。だから、あなたの体力が戻るまでは絳紗こうささんから出られない……。困りましたね?」

「別に困ってなどいない。……お前が来るまではな。でもいいか、小僧。私を調伏したとしても、のろいは解けないぞ。なぜなら、この女が私に差し出した贄と結びついているからな。もしのろいを解きたいのなら、それこそ、この女の髪と左眼、そして子宮を燃やすしかあるまい。さぁ、どうする?」

 琰耀えんようは変わり果てた絳紗こうさの姿を見た。

 彼女は自身がこの先幸せになる可能性すら捨てるほど、婚約者とその新たな相手を恨んだのだ。

 もしここで助けても、また同じことをするかもしれない。

 それでも、李からの依頼だ。

 救う以外の選択肢はない。

「龍神族のガキ、取引をしないか?」

 琰耀えんようの表情から危機的状況だということを察した絳紗こうさは、ある提案をしてきた。

「お前、翠櫻すいおう皇太子の弟だろ」

「なんでそれを?」

「私の兄弟たちが何人か奴に殺されたからな。同じにおいの奴は大体わかるんだよ」

「それで、取引って何を……」

 絳紗こうさは自身の左手小指の爪をはぎ取り、血を出した。

 すると、その血が宙に浮かび、あるものを写しだした。

「それは、屍玉しぎょく……」

「そうだ。私には目となり耳となる兄弟がたくさんいる。そこで、最近よく見るのだ。この屍玉しぎょくを大量に作っている趕屍匠かんししょうたちと、その卸先おろしさきをな」

「卸先の見当ならついています」

「だろうな。じゃぁ、それがどこに振り分けられているかは知っているのか?」

 琰耀えんようは口をつぐみ、まっすぐと絳紗こうさを見た。

「知らないんだな。教えてやる。だから、私をここから出せ。もし今すぐ出してくれるのなら、この女から贄は取らない」

「条件が良すぎませんか? 何か企んでいるんでしょう」

「ああ。もちろん。今度は絳紗こうさが呪った女のところへ行き、呪われたことを教えてやるんだ。そうすれば、きっと女は絳紗こうさを許さないだろう? 一体、どんな騒動が起こるかな……。私は人間の陰湿な悪意が大好きなのだ。あはははははは」

 琰耀えんようは一瞬悩んだが、こちらからも条件を出すことにした。

「被害にあうのは絳紗こうささんだけにしてもらえますか?」

 琰耀えんようのまさかの提案に、絳紗こうさはひどく歪んだ笑顔を浮かべた。

「当事者同士でやり合うのはかまわないんだな」

「そういうことじゃありません。わたしの大切なひとたちが被害に遭わなければ、他は……。今はどうでもいい」

 絳紗こうさは身震いした。

(人間と交わるようになって幾歳いくとせ、神族はずいぶん丸くなったもんだと思っていたが……。そうではない神族もまだまだいるようだ)

 酷く冷たい、水底のような目。

 琰耀えんようの中に深く深く眠っていた、龍神族の血が、ふつふつと湧き上がっているのか。

 お世辞にも〈人間〉には見えないほどの昏い表情だった。

「約束しよう、龍神の太子よ。私はお前には逆らわないし、どうせ逆らえない。今夜、お前の元へ地図を送る。そこに、屍玉が配られている場所を記しておこう」

 琰耀えんようは頷くと、五行珠を浮かべた。

 いつもは清らかに澄んでいる珠の色が、乾いた後の血を思わせる色、〈麒麟竭きりんけつ〉に変色していた。

 ただ、それも一瞬のことで、すぐに色は退いて行った。

 それはまるで初めて五行珠に血が通ったかのようであった。

「わたしの力を分け与えます。さっさと絳紗こうささんから出て、好きなところへ行ってください」

 まばゆい光が二人を包む。

「……あはは、あははははは! これほどまでに強いとは! さすがは龍神族。恐れ入ったよ。では、お暇しよう。しばしの別れだ、絳紗こうさ

 そう言うと、妖鬼イャォグゥェイは煤のような煙となって絳紗こうさの口から飛び出し、邸の中を駆け抜け、外へと消えていった。

 牢のなかで絳紗こうさがふらふらと揺らめき、ぺたんと座り込んだ。

「……あ、私、どういうこと……?」

 琰耀えんようは水珠の結界を解き、何も言わずその場を後にした。

 気付けば陽が落ちかけていた。

 別室で休んでいる絳紗こうさの母親に「無事に終わりましたよ」と笑顔で告げると、彼女は涙を浮かべ、何度も感謝の言葉を口にすると、すぐに娘の元へと走っていった。

 牢の鍵を持って。

 琰耀えんようは中庭に出ると、陽炎の術を使い、姿を消してから空へと飛び立った。

 これからこの家に起こることを考えると、長居は無用だからだ。

「人を呪わば穴二つ。わたしにはどうすることもできない」

 むなしい気持ちと、自身の中に蘇り始めた龍神族の血に翻弄されながら、琰耀えんようは自身の邸へ向かって飛び続けた。

 燃え盛る陽の光が闇に呑まれ行く眺めながら。

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