第弐拾肆集:醴泉

「どこに行っていたんだ?」

 ここは早朝の皇宮。

 目の前には国父であり、義兄でもある皇帝が、息がかかるほどの距離に近づいてきている。

「ちょ、ちょっと、その……」

「正直に話せ」

 昨日、朝方に屋敷へと帰ってきた琰耀えんようは、案の定、にこっぴどく叱られた。

 それだけならばよかったものの、李はえいを使い、玲耀れいようにも琰耀えんようの朝帰りを伝えたのだった。

 そして本日呼び出され、今に至るというわけだ。

「……猿神族に仕事を依頼されて、手伝って来たんだ」

 玲耀れいようがぱっと離れ、頬を赤く染めながら口を大きく開いた。

「……え、猿神族だと⁉ あ、あの、斉天大聖せいてんたいせい孫悟空の⁉」

「そうだよ」

「わ、わあ……。それはすごい……。な、ならば仕方ないな。うん。孫悟空の子孫の皆様方ということだろう? それは力にならないといけないよな。うん。わぁ、すごい……」

 琰耀えんようは「お?」と思った。

「義兄上は西遊記がお好きなんですね」

「大好きだ! それはもう! 子供のころに何度も何度も読んだぞ!」

 玲耀れいようは興奮しながら話し始めた。

「私はすでに皇太子だったから、大冒険に出ることなど望めないとわかっていた。だからこそ、孫悟空、沙悟浄、猪八戒、三蔵法師の冒険譚はとても心に響いたんだ……。ああ、なんだかまた読みたくなってきた。よし、書庫に行って探してこよう」

「ふふ。じゃぁ、今度また猿神族のみなさんに会ったら、孫悟空について聞いておくね」

「是非! くうう……。秘匿されし神族でなければ、皇宮に招き、手厚くもてなさせていただいたというのに……」

「まぁ、そこは仕方ないね」

「呼び出してすまなかったな。李氏があんまりにも長文の手紙を寄こすものだから」

「……李さんを雇ったのは義兄上と養母はは上でしょ」

 琰耀えんようの可愛らしい非難するような目に見つめられ、玲耀れいようは一瞬言葉に詰まった。

「うっ……。まさかあそこまで過保護で厳しいとは思わなかったんだ。許してくれ」

 義兄の困り顔に小さく噴き出すと、琰耀えんようは苦笑しながら言った。

「いいよ。李さん、とっても善い人だし。ご飯美味しいし」

「それはよかった。では、今日は直接依頼の文を渡そう」

「はあい」

 玲耀れいように渡されたのは一枚の地図だった。

「これは?」

 玲耀れいようは他に人がいないことを確認すると、ごく小さな声で告げた。

羽玄うげん蘭玉らんぎょくの部屋で見つけたものの写しだ」

「え……。でも、なんで?」

「この文様が刺繍された、古びた袋に入っていたらしい」

 見せてもらった紙には、弥蛍やけい族の模様が描かれていた。

「でも、どうして蘭玉が……」

「わからない。でも調べる価値はありそうだろ?」

「……たしかに。行ってくる。地図の場所に」

「頼んだ」

 琰耀えんよう玲耀れいようの身体を軽く抱きしめると、身体を離し、「じゃぁ、帰ってきたら報告するね」と言い、部屋を後にした。

 皇宮を出て、そのまま姿を消して路地から空へと飛び立った。

「村の名前は……、醴泉れいせんか」

 翼禮よくれいにとってはとても聞き覚えのある言葉だった。

「なんだっけ……」

 頭の中で禪寓閣ぜんぐうかくで学んだ事柄を思い浮かべ空を泳ぐ。

醴泉れいせん……。あ、鳳凰ほうおうが飲む甘い水のことか」

 鳳凰は伝説上の生き物だとされる霊鳥で、その存在はまさに瑞兆ずいちょう

 身体は五色に輝き、素晴らしい為政者のもとへ飛来すると考えられている。

 棲み処には諸説あり、最も有名なのは崑崙山こんろんさんで、そこには他に黄色、青色、紫色の鳳凰がいるとも言われている。

 人々が「鳳凰」と言われて最初に頭に浮かべる姿は、主に金色か赤色が多い。

 西洋諸国では、不死鳥フェニックスと混同して語られることもあるという。

「いったい、弥蛍やけい族とどんな関係が……。え、そういうこと?」

 蛍は流れが穏やかな美しい水質の川辺に主に生息する昆虫。

 弥栄いやさかのためには、まさに醴泉れいせんのような清らかな「甘い水」が必要と言えるだろう。

「この地図は、生き残った弥蛍族の集落までを示しているってことなの……? でも、どうしてそれを蘭玉が?」

 琰耀えんようは早くなる鼓動を抑え、地図の通りに進んでいった。

 地図の縮尺が正しければ、十時間で到着する。

 琰耀えんようは二時間ごとに休憩を取りながら飛んでいった。

 明るかった太陽は次第に傾きはじめ、白い月が目立つ頃には地平線の彼方へと沈み、星々が輝く夜がやってきた。

(すっかり遅くなっちゃったな)

 時刻は二十一時を回ったところ。

 眼下に広がる醴泉村は静まり返っている。

 周囲は深い森と岩壁に囲まれた盆地。

 人間では偶然にもたどり着くことは難しいだろう。

(天然の要塞みたいだ)

 見張りの木戸番きどばんが立っているわけではなさそうだが、あちこちに侵入者を感知するための鳴子なるこが張り巡らされている。

(……まさか、住民全員が戦闘員なのかな?)

 その時、身体の左側を矢が飛んでいった。

(気づかれた……?)

 矢が来た方向を見ると、たくさんの枝が連なる木の中に、二人の人間が見えた。

 ただ、二発目は飛んでこない。

 慎重に近づいて行く。

「不自然な風が吹いている」

 二人の会話が聞こえる距離まで来た琰耀えんようは、そっと息をひそめた。

「お前は心配し過ぎだ」

「でも、蘭……、太子たいし様に言われただろ? 龍神族とかいう、人にあらざる存在が我らを探っている、と」

「そうだが……」

 琰耀えんようの脈が速くなる。

 身体は熱いのに、手が冷えていく。

「まあいい。俺の勘違いだ。少し、敏感になっているようだ」

「少し休んで来い。交代の奴を呼べ」

「わかった」

 琰耀えんようは呼吸を抑え、そっとはるか上空へと飛んでいくと、おもいっきり息を吐いた。

翠櫻すいおう兄上、あなたは本当に頭がいい」

 少し眠たかった頭が完全に覚醒し、止められないほどの速さで回転していく。

(もし、寒扇廷かんせんていに収容されていた弥蛍族の高貴な身分の女性が、身籠った事実を隠したまま、めかけとして引き取られていたとしたら? それが、太皇后の生家、おう氏だったとしたら?)

 生まれた男児は種を疑われることなく長子となる。

 例えそれが妾の子でも、男児で長子は魅力的だ。

 その後、正妻が男児を産めなかったとしたら、世子せしとして育てられてもおかしくはない。

「蘭玉は、弥蛍族の正統な血筋に生まれてきた太子たいしなのかもしれない」

 自身を「太子」と呼ばせているのは、おそらく、まだその時ではないということなのだろう。

「景耀が蘭玉と太皇后の子だとすると、景耀は……、弥蛍族を復活させる最大の鍵ってことになる……」

 琰耀えんようは頭に浮かんだ二文字に反応し、帯刀していた剣に触れた。

「蘭玉は謀反を起すつもり……? 弥蛍一族を亡ぼした祥国を侵略し、あたらしく弥蛍の国として復興させようとしているってことなのかも……」

 その証拠は、きっとこの醴泉にある。

 そう確信した琰耀えんようは、くうから銀仮面を出すと、身に着けた。

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