第弐拾参集:兄上

「ご、五千人分だと⁉」

 朱 高しゅ こうと墓守の二人に遺体がある場所を伝えると、琰耀えんようは「急いで鶴渓かくけい殿にお伝えしなければならないことがあるので、申し訳ありませんが、失礼します」と、すぐに空へと飛び立った。

 そして猿神族の寺院へ入り、鶴渓を見つけるな否やすぐに屍玉しぎょくを見せ、闇の霊薬のことを伝えた。

「その五千というのも、被害が朱峰しゅほう族だけならということになりますね……」

「そういうことか。他にも墓荒らしにあっている人間の街や村があるとしたら、その数は五千どころじゃすまないってことだな」

「そうです」

「こりゃ、どうすりゃいいんだ……」

 琰耀えんようと鶴渓はうんうん唸っていると、夜になってやっと止んだ雨。

 その雨雲の隙間から輝く月明かりに照らされ、二人の青年が現れた。

「おお……」

義兄上あにうえ、面を外しましょう。挨拶を忘れておいでですよ」

「あ、そ、そうだった。お久しぶりでございます、孫師匠」

 寺院の欄干に立っていたのは、琰櫻えんおうと青年だった。

「おお! 琰櫻えんおう坊ちゃんに翠櫻すいおう皇太子殿下!」

「……え?」

 琰耀えんようは突然のことに動きが止まり、心臓だけが激しく暴れまわった。

(い、今、翠櫻すいおうって……)

 目が合った。

 青光りするほどの黒い絹のような髪に、どこか幼さが残る顔立ち。

 たおやかな体躯は服が違えば女人にょにんに見えるほどすらりとしている。

 紙芝居でも見ているようだった。

 やけにゆっくりと感じる時間。

 気付いたら、琰耀えんようの身体はすっぽりと翠櫻すいおうの腕の中へと納まっていた。

琰耀えんよう! 会いたかったぞ! なんと美しい男に育ったのだ! 素晴らしい!」

「え、あ、あの」

「義兄上、琰耀えんようが困っています。まずは抱きしめるのではなく、自己紹介から始めるのが良いのでは?」

「あ、そ、そうだな。さすが琰櫻えんおう。その通りだな」

 翠櫻すいおう琰耀えんようから身体を離すと、初夏の晴れ間に降る天気雨のような煌めきに満ちた笑顔を浮かべた。

「ごきげんよう、琰耀えんよう。わたしは翠櫻すいおう。君の実兄じっけいだ。母親は違うが、父親は同じ。龍神族の王なんだよ」

「わ、あ……。えっと、お名前を知ってくださっていて嬉しいです。改めまして、かく 琰耀えんようです。その……、翠櫻すいおう兄上、よ、よろしくお願いいたします」

「おおお! 我が愛しき末弟が『あにうえ』と言ったぞ!」

「……義兄上、ここは猿神族の寺院です。騒ぎ過ぎは良くないですよ」

「あ、す、すまん……」

 二人のやり取りを見ていると、どうやら琰櫻えんおうの方がしっかりしているように見える。

 ただ、やはり翠櫻すいおうが放つその魂に内包された光は強く、王となる素質をひしひしと感じた。

「なんだなんだ、翠櫻すいおう殿下と琰耀えんよう坊ちゃんは初めて会うのか」

「そうなのです、師匠。末弟は生まれてすぐ〈取り替え子〉として人間界へ行ってしまったので」

「なるほどなぁ。龍神族は伝統を続けているんだもんな」

「そうです。我が一族も、そろそろ他種族との精神的、肉体的交わりに関して、もう少し寛容になるといいのですが」

「それは翠櫻すいおう殿下が頑張れば大丈夫だろ。期待してるぜ」

「師匠、ありがたきお言葉です」

 琰耀えんようは目の前が華やか過ぎて物理的に眩しさを感じてきた。

「そうそう、琰耀えんようは五行珠が使えるのだと琰櫻えんおうから聞いているぞ」

「あ、は、はい! 禪寓閣ぜんぐうかくの閣主である魔術師のお師匠様に修業をつけていただきました」

「おお……。幽禪ゆうぜん先生だな。あの方は優秀だ。安心したよ」

 翠櫻すいおうに言われて気付いた。

 琰櫻えんおうは〈人間〉だからめんをつけて力を使うのはわかるが、翠櫻すいおうも面をつけていた。

「ああ、琰耀えんようにも話しておこう。義兄上は無珠の龍神族なのだ。というか、代々王となるお方はみんなそうだ。〈龍〉に変身できることが大事だからな」

「そういうことなのですね」

「義兄上の龍神の姿は圧巻だぞ。今度龍王谷りゅうおうこくに来た時にでも見せてもらうと良い」

「わあ! それは楽しみです! ……あ、でも……」

 琰耀えんよう玲耀れいように龍王谷行きを禁止されているのを思い出した。

「……そちらの皇帝は頑固者なのだな。琰櫻えんおうそっくりではないか」

 翠櫻すいおう琰櫻えんおうをちらりと見ながら口を尖らせた。

「あ、義兄上……」

 琰櫻えんおうは呆れたように小さくため息をついた。

 そんな義弟の態度に頬を膨らませながら、翠櫻すいおうは提案した。

「いざとなれば琰櫻えんおうと共に直接皇宮へ行こうではないか。皇帝も実弟に会えば少しは気が和らぐだろう」

「うまくいきますかねぇ」

「む! 琰櫻えんおうが頑張ってくれればいいだろう?」

「はぁ……。いつも人任せですね」

「だって頼りになるのだから仕方がないではないか」

「わかりましたよ。その時が来たら頑張らせていただきます」

 琰櫻えんおうはこれ見よがしに盛大に溜息をついて見せた。

 翠櫻すいおうは「いいではないかぁ」と言いながらも、少し嬉しそうだ。

「で、お前さんたちはどうしてここへ?」

 鶴渓はいつのまにか用意した茶器と茶菓子を持ちながら小上がりに腰かけた。

「茶でも飲みながら話してくれよ。深夜に食べる甘味の背徳感はたまらんよなぁ」

「師匠は本当に甘いものがお好きですね。さぁ、琰耀えんよう。わたしの隣に座りなさい」

「え、あ、はい」

 琰櫻えんおう翠櫻すいおうのデレデレとした姿に苦笑しつつ、義兄と義弟を小上がりの内側へ座らせ、自身はへりに腰かけた。

「師匠、わたしはどうしても琰耀えんように会いたくて琰櫻えんおうについてきただけなので、詳しくは琰櫻えんおうがお話いたします」

「おうおう」

「鶴渓殿、琰耀えんよう。今日、これを見つけたのでは?」

 そう言って琰櫻えんおうが小袋から出したのは、屍玉しぎょく、ネクロクリスタルだった。

「な、なぜそれを義兄上も?」

「わたしは別の村でこれを見つけ、銀鉤教のやつらから奪ってきたのだ。……奪って来たというか、まぁ、始末してきたと言った方が正しいな」

「ということは……」

「ああ。すでに蔓延し始めている。黒幕について何か心当たりはないか?」

 琰耀えんようは一瞬心臓が跳ねあがった。

 心当たりならいる。

 しかし、ここで確証もないまま名をだしてもいいものなのだろうか。

 もし違っていたら、琰櫻えんおうに無駄足を踏ませてしまうかもしれない。

琰耀えんよう、難しく考えなくていい。可能性の一つとして聞いておきたいのだ」

 琰櫻えんおうの困ったような優しい笑みに、琰耀えんようは意を決してその名を口にした。

「わたしは祥国宰相の汪 蘭玉おう らんぎょくが怪しいとみています」

汪 蘭玉おう らんぎょくと言えば……、太皇后の実兄だろ? 皇帝にとっては伯父だ。いったい、なぜ……」

「わたしにもわからないのです。どういうわけか、昔から太皇后の次子である景耀けいようを皇位につかせるために暗躍しているのだとか。ただ、もし景耀が皇位についたとしても、宰相の地位も、皇伯という立場も変わらないはずなのに」

「ううん……」

 琰耀えんよう琰櫻えんおうが難しい顔をして考えていると、翠櫻すいおうが菓子をほおばりながらポツリと言った。

「その景耀とかいう親王は、本当に先帝と太皇后の間に生まれた子供なのか?」

 場が静まり返った。

 鶴渓は「まずいことを聞いている気がする……」というような顔をしながら遠くを見つめだした。

「ど、どういうことでしょう、兄上」

「邪推だが……。もし景耀が太皇后と蘭玉の子ならば、蘭玉がそこまでして皇位の簒奪さんだつにこだわるのもうなずけると思ってな」

「え……、えええ! で、でも、二人は実の兄妹きょうだいなのですよ⁉」

「本当に、血は繋がっているのか?」

 琰耀えんようは次に話すべき言葉が見つからなかった。

 蘭玉が養子だという話は聞いたことはないが、太皇后と母親が違うという話ならば噂程度に聞いたことはある。

「まずは蘭玉の生い立ちを調べてみると良いのではないか?」

 琰耀えんよう琰櫻えんおうは顔を見合わせると、どちらからということもなく、同時に頷いた。

「義兄上の頭脳には毎回驚かされます。普段からそのようにしてくださればいいのに」

琰櫻えんおうならばあと一日か二日あれば気づいていたことだ」

「またそうやって」

義兄あにとして、少し時間を節約してやっただけだよ」

「はいはい」

 琰櫻えんおうはとても嬉しそうに微笑んだ。

 琰耀えんようは二人のやり取りを眺めながら、心の柔らかい部分がきゅっと締め付けられるのを感じた。

 ただ、なんとなく。

 玲耀れいように会いたくなった。

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