第弐拾弐集:石

(剥がれ落ちた皮膚だ)

 僵尸きょうし趕屍匠かんししょうに定期的に修復されているとはいえ、その身体は死んでいる。

 両足で跳ねながら進むたび、乾いた皮膚が落ち、それが進路を示してくれる。

 符呪ふじゅの力の残滓ざんしも相まって、琰耀えんようの眼には仄かに光って見えるのだ。

 雨が強く降っている。

 皮膚が流れて道がわからなくならないうちに、急がなければならない。

 琰耀えんようは全身を濡らす雨を振り切るほど速く走った。

(……洞窟だ)

 皮膚は鉄格子がはめ込まれた洞窟へと続いていた。

(雨で流れちゃったか)

 これ以上は皮膚が雨で洗い流されてしまっており、入口まではわからなかった。

 丁寧に周囲を見回す。

 耳を澄ませ、流れる雨の音を頼りに歩く。

(……地下に流れてる。ここだ)

 たくさんの葉や枝で隠された大きな木の蓋。

 すぐに入るわけにはいかない。

 誰かが真下にいるかもしれないからだ。

 蓋に耳をつけ、物音を探る。

(複数の足音。でも、遠いな。降りても大丈夫そうだ)

 琰耀えんようは慎重に木の蓋を持ち上げ、音をたてないよう注意しながら中へとゆっくり落ちていった。

(……腐敗臭だ。隠してもいないみたい)

 強烈な臭いは恐ろしいほどに少しの甘さを含んでいる。

 まるで獣や甲虫を呼び寄せるように。

 琰耀えんようは岩を濡らしている水溜りに触れないよう、凸凹とした地面の乾いている場所を選んで進んでいった。

 人間はともかくとして、僵尸きょうしは聴覚が研ぎ澄まされている。

 小さな不自然を聞き分けるのだ。

(臭いが濃くなってきたな)

 ここまでくると、さすがに趕屍匠かんししょうたちも気を使うらしい。

 天井に換気口が通されているようだ。

 琰耀えんようは頭上に開いている穴に飛びつき、中へと入って行った。

 鼻の下に再び薄荷油を塗り、臭いの濃い方へと換気口の中を這って行く。

(壁の松明が途切れてる)

 真っ暗な空間。

 琰耀えんようは気を付けながらさらに這っていく。

 すると、火とは違う、青い光が見えてきた。

(部屋から換気口に光が漏れているんだ)

 青い光を目指し進んでいくと、一際大きな細い鉄格子がはめられている区画にたどり着いた。

 鉄格子から下を覗く。

(あ、あれは!)

 琰耀えんようの目に映ったのは、岩石で作られた台の上に並ぶたくさんの遺体。

 遺体の中には、光り輝く濃い青緑色をした石が生えている。

 それは、屍玉しぎょく。通称ネクロクリスタルと呼ばれるものだった。

(死者の鬼魄きはくを栄養に育つ、人間の遺体にだけ生えてくる貴石きせき……)

 ネクロクリスタルは闇の霊薬として使用されるとても珍しいもの。

 潰した粉を生者に飲ませれば、まるで僵尸きょうしのように操ることが出来る。

 例え、魂が拒否したとしても、ネクロクリスタルは〈はく〉に作用する。

 身体の生命力を直接乗っ取られてしまうのだ。

(つまり、遺体を盗んだ理由は遺体畑ボディファーム屍玉しぎょくを栽培するためだったってわけか……。屍玉しぎょくを生者に与えれば、僵尸きょうしを作り出すよりも簡単に傀儡となる兵士を手に入れることが出来る……。かなり不味い状況だな)

 琰耀えんよう趕屍匠かんししょうたちの動きを見ながら、息をひそめ、どうするべきかを考えた。

 その時、恐ろしい疑問が浮かんだ。

(兵士は、何のために……? 誰の為に……?)

 浮かんだ名はただ一つ。

(蘭玉……)

 しかし、わからない。

 どうしてそこまで簒奪さんだつを望むのか。

 玲耀れいよう景耀けいようも、血筋は全く同じ。

 どちらが皇帝であったとて、蘭玉の地位は変わらない。

 皇伯おうはくという立場さえも。

(理由を調べないと、こういうことはこの先も続いていく。どうすれば……)

 油断していた。

 焦りで呼吸が少し乱れていたようだ。

 微かな音の揺らぎが、部屋の中に控えている僵尸きょうしに聞こえてしまった。

 深く掘られた広い室内を、僵尸きょうしが周囲を警戒するように歩き出した。

 顔に札がついていない。

 術者が近くにいるのだろう。

「誰かいるのか……?」

 声がした。

(……選択肢は、無い)

 琰耀えんようくうから仮面と剣を取り出し、装備してから鉄格子を蹴破った。

「な! お前……。銀仮面の男だな」

「何故知っている」

「さあな。教える義理はない。ここで死ぬんだからな!」

 三体の僵尸きょうしが剣を構えた。

「その仮面、竜骨だろう? 見ればわかる。最近はあの龍神族の奴らが散々邪魔してくるからな……。ひょっとして、お前も仲間なのか?」

 琰耀えんようは答えない。

 その龍神族が琰櫻えんおうたちだと気づいたからだ。

「まあいい。弱点は同じだろう? 死ね、ガキ。綺麗に死んだら、お前の身体でも屍玉しぎょくを育ててみようじゃないか」

 琰耀えんようは五行珠を纏い、剣に力を宿した。

 そして、自分自身にも。

「な、なんだそれは!」

 あたたかな白焔はくえんが身体と剣を包む。

「そんな技、見たことが……。まあいい。死ね!」

 三体の僵尸きょうしが剣を手に飛びかかってきた。

 その切っ先に塗られているのは蛇竜毒。

 龍神族ならば少し肌を掠るだけでも酷い眩暈を引き起こす。

 琰耀えんよう僵尸きょうしたちの太刀筋をよく見ながら避け、腕の腱を斬りつけていった。

 腱を斬られた僵尸きょうしは剣を持てなくなり、ぶらぶらと揺れる腕を武器に突進してくる。

 琰耀えんようはそれを壁に叩きつけ、膝を破壊。

 落ちている剣を拾い、術者に向かって投げた。

「くそ! 本当に厄介な種族だな!」

 投げた剣が術者の頬をかすったのだろう。

 息が荒くなっている。

 蛇竜の毒は人間の呼吸困難を引き起こす効果もある。

「はっ! 解毒剤があってよかったぜ」

 術者は袖から取り出した小瓶を飲み干したが、遅かった。

 その間に、他の二体の僵尸きょうしは腕と足を切り取られ、諤々と震えながら地面を這っている。

 大きな隙が、琰耀えんように勝機をもたらした。

 一閃。

 剣から放たれた斬撃が趕屍匠かんししょうごと僵尸きょうしを切り裂いたのだ。

 僵尸きょうしは力を失い、遺体に戻っていく。

 術者である趕屍匠かんししょうは絶命。

 琰耀えんようは騒ぎを聞きつけてやってきた趕屍匠かんししょう四人もすべて斬り伏せた。

(とりあえず、ここにある分の屍玉しぎょくは破壊して行かないと……)

 剣を垂直に持つと、屍玉しぎょくの畑となっている遺体、一体一体に突き刺していく。

 屍玉しぎょくが燃え、青い炎が壁に波のように光を映している。

 琰耀えんよう趕屍匠かんししょうたちがやってきた方角へと洞窟の中を進んでいった。

 いくつかの部屋に、すでに収穫されている屍玉しぎょくが保管されていた。

 それらから一握りだけ小袋に移すと、あとは全部燃やした。

こうさんたちに遺体の場所を伝えたら、すぐに鶴渓かくけい殿のところに行かないと」

 琰耀えんようは急いで洞窟を出て、朱峰しゅほう族の集落へと向かった。

 焦りが募る。

 なぜなら、保管されていた屍玉しぎょくは、闇の霊薬五千人分にも及ぶ数だったからだ。

 空が昏い。

 雨が止む気配はなさそうだ。

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