第弐拾壱集:雨

 降りしきる雨の中、琰耀えんようはさっそく朱峰しゅほう族が住まう地域へ向かった。

 山界さんかいとあってとても険しく、普通の人間では一時間もまともに歩けないだろう獣道が続いている。

 鉱山から遺体と共に徒歩で都へと帰ってくる趕屍匠かんししょうならば、順応するのも早いだろう。

「普段ここまで険しい山には来ない市井しせいの人々には目撃されないし、見られないということは役人たちにも目をつけられることはない、か。悪知恵が働くんだなぁ」

 朱峰しゅほう族の集落まであと少しという所で、足元に細い糸が見えた。

「ああ……。一種の結界かな?」

 琰耀えんようはわざと足を引っかけて鳴らし、朱峰しゅほう族の見張りがやってくるのを待った。

 待った、と言っても、ものの数秒。

 木の上や土の中から十人の男女が現れた。

「何者だ」

孫 鶴渓そん かくけい殿からの依頼でまいりました」

「え、猿神様のご依頼! まさか、あなたが龍神族の琰櫻えんおう様なのですか?」

「あ、いえ。わたしは……」

 一瞬名乗ることを躊躇した。

 朱峰しゅほう族のことを疑うわけではないが、彼らの口から巡り巡って宰相と太皇后まで琰耀えんようの正体が露見する可能性があるからだ。

 そんな琰耀えんようの不安を感じ取ったのか、一際屈強な男性が優しい声で話し始めた。

「ご安心ください、龍神様。我らはもとより平地の民とは特産品のやり取りしかありません。会話も必要最低限。あなた様のことが平地の民に漏れることはないでしょう。必要ならば、一族に緘口令を敷くこともできます」

「あ、すみません……。そこまでしていただかなくても大丈夫です。わたしの名前は琰耀えんよう琰櫻えんおうの義弟です」

琰耀えんよう様、この度は山界までお越しくださり、まことにありがとうございます。私は朱 高しゅ こうと申します。朱峰しゅほう族をまとめる頭領の世子せしにございます」

「よろしくお願いいたします。では、さっそく墓地へと案内いただけますでしょうか」

「もちろんです」

 そう言うと、こうは指笛を鳴らした。

 一呼吸も経たないうちに、九人の男女は再び持ち場へと戻り、今度は少し装束が違う男女が現れた。

「この二人は墓守はかもりです。道中、二人から経緯をお聞きください。私は護衛として同行いたします」

「ご丁寧にありがとうございます」

 琰耀えんようが頭を下げると、何に慌てたのか、三人が土に額を擦り付けるほど深く平伏し出した。

「え、あの」

「龍神様に頭を下げさせるなど、申し訳ありません!」

「あ、違います! えっと……」

 琰耀えんようはかいつまんで自分の生い立ちを話した。

「えええ! 人間界でお育ちになられたのですか⁉ それも、江湖で⁉」

「はい。なので、その、所作と言いますか、そういったものは人間のみなさんとのほうが近いのです。もし不用意に気を遣わせてしまったのならば、申し訳ありません」

「い、いえ! そんな……。驚きました。ですが、その、嬉しいです。こうして同じ目線でお話してくださる神族しんぞくの方がいらっしゃるのは」

「わたしもそう思っていただけて嬉しいです」

「では、案内を始めさせていただきます」

 こうが墓守二人に「まずは朱家の廟から」と身振りで伝えると、二人は頷き、先導を始めた。

「墓守には代々、耳が聞こえない者が就きます。死者は度々自分たちの世界へ生者を誘おうと甘言を囁きます。それから身を守るには、『聞こえない』ことが一番なのです。ただ、その伝統を利用され、墓荒らしにあってしまったのは、まことに残念でなりません」

 銀鉤教の趕屍匠かんししょうたちは朱峰しゅほう族の伝統を知っていたのだろう。

 だから大胆にも複数回にわたって墓荒らしに出向いてきたのだ。

「いったい、何が目的なのでしょうか……」

 怒りを抑えるように眉根を寄せながら話すこうを傷つけないよう、琰耀えんようはなるべく落ち着いた声で尋ねた。

「荒らされたお墓に眠っていたご遺体は、その、言い方が難しいのですが、亡くなってすぐのご遺体だったのでしょうか」

「それが、違うのです」

「え! てっきり、趕屍匠かんししょうたちは僵尸きょうしの兵を作っているのかと……」

「我らも初めはそう思いました。ですが、墓守の記録簿と荒らされた墓を照らし合わせたところ、盗まれた遺体は死後五年以上経っているものばかりだと、今日わかったのです」

「そうなんですね……」

 琰耀えんようは足元にある土を少し掘ると、一掬いし、手の中で握りながら思案した。

 朱峰しゅほう族が住まう一帯の山々は、海に近い水月山とは違い、土質は乾いている。

 土葬した遺体が白骨化までにかかる時間はおよそ七年から八年。

 死後五年の遺体であれば、まだ若干肉が残っているだろうが、修復して僵尸きょうしにするには手遅れだ。

「何が目的なんだろう……」

 琰耀えんようは手から土を払うと、周辺を見渡した。

 においに集中してみても、雨で膨れた土の香りしかしてこない。

琰耀えんよう様、こちらが朱家の廟です」

 洞窟を丁寧に削り出し、装飾を彫り込んだ美しい廟。

 ただ、残念なのは、扉が壊されているということ。

「これは僵尸きょうしにやらせたんでしょうね。人間の力ではこの分厚い扉を蹴破るなんて不可能ですから」

 墓守二人について行き、中へと入って行くと、鼻と目を刺激する腐敗臭が漂って来た。

 胃から何かがこみ上げて来そうになったが、琰耀えんようは鼻の下にそっと少量の薄荷油を塗り、我慢した。

「これはひどいですね……」

 鶴渓かくけいからの助言で、龍神族が来るまで現場をそのまま保存するようにと言われていたらしい。

「副葬品はそのまま……。本当にご遺体だけが奪われているのですね」

「そうです。ちょうど五年前に亡くなった我が兄と、六年前に亡くなった伯父と伯母の遺体が盗まれてしまったのです」

 あたりには石棺が破壊された破片が散らばっている。

 副葬品には手を付けなかったようで、宝石類や武具が無造作に地面に落ちている。

たみのみなさんのお墓も見せてください」

「ご案内いたします」

 その後訪れた墓地も、掘り返され、ひどい状態だった。

 目当ての遺体ではなかったのだろう。掘り返されたまま地面に放置されているものまである。

「現場は拝見いたしました。どうぞ、埋め直してさしあげてください」

「ありがとうございます」

「わたしはこのまま趕屍匠かんししょうたちの痕跡を追います。皆さんは報告をお待ちください」

 こうは悔しそうに唇を噛み、深々と頭を下げた。

「本当ならば、この手で一族の無念を晴らさなければならぬのに……。ありがとうございます。このご恩は末代に至るまで語り継がれ、忘れることはないでしょう」

「……幸い、新たに殺害された人はいません。このような悲しい事件は良い意味で風化されるべきです。どうか、心安らかに、日常を取り戻してください」

「うう……。琰耀えんよう様……。ありがとうございます」

 おそらく「賊に手出しするな」と鶴渓から指示があったのだろう。

 趕屍匠かんししょうが使う符呪ふじゅは厄介だ。

 霊能力すらない人間が立ち向かってどうにかなるような相手ではない。

 こうの気持ちは痛いほど琰耀えんように伝わってきた。

「では、行ってまいります」

 琰耀えんようは陽炎の術で姿を消すと、僵尸きょうしが残した痕跡を追い始めた。

 趕屍匠かんししょうたちが何の証拠を残していなくとも、僵尸きょうしにかけているまじないはその跡を残していくからだ。

 風が冷たい。

 雨脚も、さらに強くなってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る