第弐拾集:誘拐

 雨が降りしきる、依頼もなく暇な日。

 琰耀えんようは自室で本草学の書籍を読んでいた。

「お師匠様から送られてくる本は本当に難しいなぁ……」

 琰耀えんようの師匠である禪寓閣ぜんぐうかく閣主のきょう 幽禪ゆうぜんは、とても優秀な魔術師で、彼に治せない病は無いとまで言われるほどの腕前を持つ薬術師でもある。

 一応は修行を終えて金苑に戻ってきた琰耀えんようだったが、幽禪ゆうぜんからすればまだひよっこ同然。

 定期的に勉学に励むようにと、書物が送られてくるのである。

「まずはこの文字の意味を調べないと」

 書籍は中原の言葉で書かれているものだけではなく、はるか西方にある国々のものが選ばれていることもある。

「はぁ……」

 机に頬をつけ、大きくため息をついたその時、口をふさがれ、腕を拘束された。

「んん⁉」

 振りほどけない。

 琰耀えんようはそのまま何者かに担がれ、外へと連れ出されてしまった。

 道中、ずっと頭に袋をかぶせられていたため、相手が誰なのかも、どこへ連れていかれているのかもわからなかった。

 一時間ほど走っていただろうか。

 いや、走っていたという速さではない。

 琰耀えんようが空を飛ぶのとそう変わらない速度に感じるほど、身体にあたる風は冷たかった。

「おろせ」

 低く、少し酒焼けしたような声。

 琰耀えんようは連れてこられた時とは違い、丁寧に座布団のようなものに降ろされた。

「ほどいてやれ」

 また同じ声。

 琰耀えんようは腕を解かれ、顔から布が外された。

「……え」

 きらびやかな装飾が美しい極彩色の建物。

 金苑にある一番豪華な道教の寺院といい勝負だと思った。

「あ、あの……、あっ」

 つい、口から驚きの声が出てしまった。

 何故なら、目の前に立っていたのは、鮮やかな山吹色の旗袍チーパオを着た、とても大柄な『金毛猿こんもうざる』だったからだ。

「お前さん、俺たちを見るのは初めてなんだな」

「え、えっと……」

 琰耀えんようが動揺していると、その様子がおかしかったのか、猿が笑い始めた。

「あはは。琰櫻えんおうぼっちゃんに聞いていた通りだ。俺たちはな、猿神族えんじんぞくっていうんだ。一番有名なのは、斉天大聖孫悟空せいてんたいせいそんごくう様だな」

「え、え⁉ 義兄上あにうえ⁉ それに、て、てて、天竺へ行ったという、で、伝説の孫悟空⁉」

「ああ、そうだ。というか、お前さんたち龍神族も他の種族からすれば伝説の存在だろう? 面白い反応するなぁ」

「あ、あはは……」

 何が何だかわからなかったが、どうやら彼らは龍神族と同じで限りなく珍しい種族であり、さらには琰櫻えんおうと知り合いらしい。

「あの、それで……、何の御用でしょうか」

「おお、話しが早いな。琰櫻えんおう坊ちゃんからの推薦でな。『義弟おとうと琰耀えんようはとても腕が立つし賢いから、今回の問題解決にうってつけですよ』って言われたんで、連れてきた次第だ」

「あ、そ、そうなんですね」

 連れて来た、というよりも、誘拐してきた、の方が正しい気もするが、それに関しては口をつぐむことにした。

 何よりも、琰櫻えんおうの推薦というのが嬉しかったからだ。

「問題というのは何でしょうか」

「それじゃ、茶でも飲みながら聞いてもらおうか」

 猿神族の男性は若い衆に「一番甘い茶を持ってきてくれ」と言い、琰耀えんようと向かい合って板間に直接座った。

「まずは自己紹介だな。俺の名前は孫 鶴渓そん かくけい。女みたいな名前なのは、母が生まれたばかりの俺を見て女児と勘違いしたからなんだ。顔だけ見て男の特徴を見落としてたんだとよ」

「可愛いお話ですね」

「笑っちまうよな。でも、結構気に入ってるんだぜ、名前」

「素敵だと思います。わたしも自己紹介を……」

「知ってるぜ。かく 琰耀えんよう坊ちゃんだろ? 琰櫻えんおう坊ちゃんがよく自慢するんだよ。だから覚えちまった」

「へへへ。それは嬉しいです」

「まぁ、複雑な家系図だとは聞いているが、仲が良さそうで安心したよ」

「ありがとうございます」

 二人はちょうど若衆が運んできてくれた甘いお茶を受け取り、ホッと一息ついた。

「ふぅ。それで、相談したい問題っていうのがな……」

 鶴渓かくけいによると、最近、猿神族が守護をしている山界さんかいの住人である朱峰しゅほう族のもとに、変な団体が現れるのだという。

銀鉤ぎんこう教って奴らでさ。表向きは普通の趕屍匠かんししょうなんだが……。どうも、墓を荒らしているみたいなんだよ」

「え、それって、僵尸きょうし用に遺体を調達しているってことでしょうか」

「やっぱりそう思うか? 俺もそう睨んでる。朱峰しゅほう族は人間だが、山岳の民ってだけあってかなり身体が丈夫で屈強な戦士が多い。遺体も趕屍匠かんししょうが丁寧に修復すれば、とても強力な僵尸きょうしの兵士になるだろうな」

「それなら、その、倒してしまえばいいのではないでしょうか」

「ああ……。そうしたいのはやまやまなんだが……。猿神族はな、孫悟空様と玄奘三蔵げんじょうさんぞう法師様との誓いによって、〈人間〉に危害を加えることは出来ないんだよ」

「あ、なるほど……」

趕屍匠かんししょう共は種族的には〈人間〉だからな。手も足も出せないってわけだ」

「それで、わたしに頼んでくださっているのですね」

「そうなんだ。最初は琰櫻えんおう坊ちゃんに相談したんだが、何やらいろいろと立て込んでいるみたいでさ。代わりにって『わたしよりも優秀だから』と琰耀えんよう坊ちゃんを推薦してくれたってわけよ」

 そういえば、琰櫻えんおうは銀鉤教が隠れ家にしていた道観で何かを探していた。

 やはり、実母である淑妃の死の真相や、先帝の非業の最期について調べているのだろうか。

「俺らはあの変な団体が二度とこないように追っ払えればそれでいい。頼まれてくれるか?」

「ええ、もちろんです。わたしがなんとかしてみます」

「おおお! ありがとう!」

 鶴渓は琰耀えんようの手を掴むと、上下にぶんぶんと振り回して喜びを表した。

 晴れやかな気持ちの二人とは裏腹に、雨脚は強くなり、さらに曇天を極めていた。

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