第拾玖集:叱咤

 朝堂にて、次々に名前が呼ばれていく。

 この度の長海における襲撃に際し、見事に街を護り抜いた浩然をはじめとする海軍を賞して善行旌表ぜんこうせいひょうが行われているのだ。

 爵位の引き上げや宝物、新たな領地の授与など、大々的に。

 江湖勢力と莅春りしゅん琰耀えんようの関与はばい 梓宸ズーシンの提案で伏せられることになった。

 もちろん、玲耀れいようと貴太妃は知った上で、だ。

 たくさんの歓声の中、穏やかに終えた善行旌表ぜんこうせいひょう

 ただ、琰耀えんようと莅春にとってはこれからが本番であった。

 場所は変わって後宮。

 雨も降っていないのに雨戸まで閉められた清蓮宮せいれんぐう

 その中で始まったのは、大きな雷鳴の轟きだった。

 しかも、二つも。

「何を考えているんだ!」

 玲耀れいよう琰耀えんようと莅春を交互に睨みつけながら声を荒げた。

「死んでいたかもしれないんだぞ⁉ 私に報告もせずに賊に潜入し、露見して戦い、さらには江湖勢力を呼び寄せるなど……。はぁ……」

 言いたいことが山ほどあるのか、玲耀れいようはひどく大きなため息をついた。

 琰耀えんようは頭を下げ、しおらしくなっているのに対し、莅春はまったく悪びれていない。

 それどころか、ずっと貴太妃と視線を合わせ、無言の攻防を続けている。

 正直、琰耀えんようにはそちらの方が怖かった。

 ついには貴太妃が根負けしたようで、溜息の後、口を開いた。

「街と市民、海軍を護ったのは称賛に値するでしょう。ただ、いくら時間が惜しかったとはいえ、陛下に何も伝えずに色々進めてしまうのには頷けません。それでは、陛下があなたたちを護れないでしょう? わかっているのですか?」

「……すみません、養母はは上」

「次からは事前に報告します」

「次⁉ 莅春、お前はもう母親なのだぞ⁉」

「あら、義兄上。雛菊隊を指揮する貴太妃もそうですが?」

「なっ……。はぁ……。貴太妃母上、親子でそっくりですね」

「あら、玲耀れいよう。誉め言葉かしら?」

「も、もちろんです」

 琰耀えんようはハラハラしながら義姉と養母ははのやりとりを聞いていた。

 もう玲耀れいようは折れたようで、怒る気力を失ったようだ。

「で、二人はいつ私に琰耀えんようのことを話してくれる気だったのかしら?」

 莅春はまるで立場が逆転したかのように尋ねた。

「それは……」

 玲耀れいようが貴太妃を見る。

 貴太妃はまた溜息をつき、莅春と琰耀えんようを交互に見つめた。

「ちゃんと話す気はありましたよ。ただ、時期ではないと思っていただけです。まぁ、あなたにはそんなこと関係なかったようですけれど」

「叔父上もお気づきでしたよ」

「梓宸は時間の問題だと思っていました。賢い子ですからね。きっと何年も前から知っていたのでしょうね。それに、この中原では父上を除いて唯一、龍王谷りゅうおうこくと連絡が取れる人物ですから」

 何か火花のようなものが見える気がする、と、琰耀えんようは二人のやり取りに冷や汗をかき始めていた。

「莅春、あなたはわかっていて、知ることを選んだのですよね」

 貴太妃の言葉に、莅春はまっすぐとした瞳で頷いた。

「私も戦う。母上のようにね」

「まったく……。充分一緒に戦ってきてくれたから、穏やかに暮らしてほしかったのに」

「あら、穏やかって皇族とは無縁よね」

「ふふ。それもそうね」

 二人は立ち上がり、ぎゅっと抱き合った。

 琰耀えんようはほっとしながら息を吐くと、玲耀れいようを見た。

 すると、玲耀れいようも同じ気持ちだったようで、琰耀えんようを見つめながら苦笑した。

「この二人は仲が良い方がいいな。じゃないと、国が滅ぶ」

「そうですね、義兄上」

 玲耀れいよう琰耀えんようも立ち上がり、お互いを強く抱きしめた。





「銀仮面の男、だと?」

 蘭玉は妓楼の奥にある隠し部屋にて、配下の者から報告を受けながら眉根を寄せた。

「海賊は皆縛られていたようで、不運なことに商船の爆発で生じた波によって洞窟が水没。全員溺死しておりました」

「では、誰が海賊を一網打尽にしたのかはわからないんだな? それに、林家を救った銀仮面の男のことも!」

 蘭玉は机を蹴り飛ばし、あたりには食器が散乱した。

「くそっ! ……見られてはいないのだろうなぁ、〈同志の証〉は」

「……お、おそらくは。やられてしまった仲間の背にはすべて火をつけてから逃走しましたので……」

「はっ。敗走の間違いだろうが」

「も、申し訳ありません……」

「林家に現れた江湖勢力にあのばい 梓宸ズーシンがいたのは確かなのか?」

「それも、確信はありません。何分なにぶん、全員顔を布で覆っておりましたので……。太刀筋と身のこなしで判断したというのが、生き残った仲間からの報告です」

「そんな不確かな情報、何の役にもたたんわ! ばい 梓宸ズーシンの技は奴のガキ共にも、弟子たちにも伝えられているんだぞ! 姉である貴太妃ですらいくつか使えるというのだからな! 奴が直接関与したという証拠がなければ、無意味だろうが!」

 蘭玉は飾ってあった剣を手に取ると、鞘から引き抜き、配下の男のひたいを斬りつけた。

「うっ……」

「これで済んでよかったと思え」

「も、もうしわけありません」

 男は額からポタポタと流れ落ちる血を床に擦り付けながら平伏した。

 蘭玉は「床を汚すな、馬鹿者」と罵り、椅子に腰かけた。

莅春りしゅん長公主ちょうこうしゅは目障りなほど賢い女傑じょけつだが、我々の計画に気付くほど世間に詳しいわけではない。おそらくは、夫君ふくんである林 浩然りん こうぜんに察知されたのかもしれないな。どこから漏れたのか……。牢か? ただ、もし牢から海賊の居場所に気付き、計画を記した何かを見たとしたのなら、真っ先に私を疑うはず。あの牢の改築は三年前に私が指揮したのだからな。しかし、奴は何も言ってくるどころか、善行旌表ぜんこうせいひょうのあと、私にいつも通りの人のよさそうな顔で挨拶してきたぞ。あの正直者に演技など出来ようはずもない……。いったい、どうなっているのだ……」

 林家と江湖のつながりと言えば、ばい 梓宸ズーシンを叔父に持つ莅春長公主りしゅんちょうこうしゅのほかにはない。

 しかし、その莅春には、江湖勢力を動かすほどの権力などない。

 なんせ、ただの長公主おひめさまなのだから。

 ただ、貴太妃ならば話は変わってくる。

 貴太妃は梅家の長子であり、ばい 梓宸ズーシンの実姉。

 簡単に呼び寄せることは可能だろう。

 ところが、内偵からの報告によれば、長海襲撃当日、貴太妃は朝から後宮を一歩も出ていない。

 貴太妃の侍女も、仲の良い宮女も、侍従も、太監さえも。

 江湖に連絡などできる隙は髪の毛一本ほどもなかったのだ。

「となると、怪しいのは琰耀えんようということになるが……。あ奴がいたのは禪寓閣ぜんぐうかく。梅家の勢力とは全く違う。それに、金苑に戻ってきたばかりのガキに何が出来る? 腕っぷしは強いようだが、それでも、街を一つ救うほどの力などありはしない。……何なんだ。私は何を見落としているというのだ……」

 蘭玉は自身の腰に触れながら、右手の爪を噛んだ。

「……ふっ。爪を噛むなど、何十年ぶりだろうか」

 ギザギザになった指先を見ながら、自嘲した。

「私の、我が一族の邪魔をする者は絶対に許さんぞ……」

 蘭玉は口元をゆがめ、邪悪な笑みを浮かべた。

 その表情を見て、配下の男が冷や汗を流すほどに。

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