第拾捌集:炎上

(だよね)

 小一時間外出していた頭領が隠れ家へと帰ってきた途端、空気が変わった。

「お前、りん家の小姓ではないな?」

「なぜそう思うの?」

「とある筋から高貴な身分の青年の絵が送られてきてな……。そいつも今回の標的らしい。……お前だ、かく 琰耀えんよう

 洞窟の壁面が震えるほどの怒気がこもった声。

 琰耀えんようは微笑んで見せた。

露見しバレちゃいましたか。そうです。ごう霓王げいおうと申します。以後、お見知りおきを」

「ふざけるな! あと、あともう少しで抱えきれないほどの大金が入るのに……。殺してやる!」

「林家も、長海も、あなたたちには渡しませんよ」

 琰耀えんようは頭領の「大金が入る」という言葉が気になったが、考えている暇など無かった。

 二十人以上の海賊が襲い掛かってきたのだ。

 琰耀えんようは空から剣を出し、鞘からは抜かず、脳天や後頭部、顎、鳩尾に強く打ち付けた。

「ぐはぁっ」

「うっ」

 短い悲鳴を残し、二十人以上の海賊たちはバタバタと倒れていった。

 すばやく腕と足を縛り、全員を繋いだ。

 頭領含め、全員の服をめくって確認した。

「……腰に弥螢やけい族の刺青が無い!」

 指先が冷えていく。

 看守の中にすでに敵が潜んでいたとしたら?

 抜け道を見つけたことがすでに蘭玉に知らされていたら?

「海賊は、陽動の為の駒ってこと⁉ 別動隊がいるんだ……。そっちが実行部隊で……。義姉上あねうえたちが危ない!」

 琰耀えんようは頭領が使っていた穴に潜り、海へと出た。

 陽がすっかりと落ちた暗闇の中、煌々と光を放つものが見えた。

「あ……、そ、そんな!」

 空気に交じる炎と灰のにおい。

 港は火の海だった。

「……義兄上あにうえ養母はは上、申し訳ありません!」

 琰耀えんようは五行珠を出現させると、迷わず空へと飛びあがった。

 そして、誕生日に琰櫻えんおうから受け取った袋を出し、中からあるものを取り出した。

「本当に必要になるなんてね」

 それは銀と竜骨で作られた仮面だった。

「今、助けに行きます!」

 琰耀えんようは仮面を身に着けると、水しぶきが翼のように広がるほど速度を上げて空を駆け抜けた。

 港では、いくつかの貿易船に火がつけられ、大勢の人々が消火活動に当たっていた。

 それは長海を護る海軍も例外ではなく、林家の方角の警備が薄くなるほどの人出だった。

「……いた!」

 宵闇に紛れ、黒い装束で林家に迫る一団。

「止まれ!」

 琰耀えんようは落下していく速度を利用し、風珠の力で衝撃破を作り出した。

 吹き飛んでいく刺客たち。

 しかし、とっさに受け身を取ったようだ。

 すぐに立ち上がり、武器を構えて向かって来た。

 琰耀えんようは宙を舞い、攻撃を避けながら剣を抜いた。

「蘭玉の指示だな」

 わずか、瞬きほどの沈黙。

 しかし、琰耀えんようにはそれで十分だった。

 間髪入れず矢が飛んできた。

 木の上にも潜んでいるようだ。

 琰耀えんようは飛び上がると、陽炎の術を使いながら射手いての背後に回り、その首を斬り落とした。

 すぐに飛び降りると、落下の力を使って下にいた刺客の肩と背を斜めに斬り伏せた。

「な、何者だ!」

 刺客の中の一人が声を上げる。

 しかし、琰耀えんように答える気などない。

 喉を切り裂き、二度と話すことが出来ないようにしてやった。

 一通り片が付いた時だった。

 林家の方角から、火の手が上がった。

「嫌だ……、そんな!」

 琰耀えんようはすぐに飛翔し、林家へと向かった。

 鼓動が痛い。焦る気持ちが余計に心を引き裂いていく。

 すると、現場は想像していたものとはまったくちがっていた。

「あ、あれは……、まさか、義姉上⁉ それに、あれは……、叔父上!」

 刺客たちと戦っていたのは江湖の勢力だった。

 燃えているのは、刺客たちが持ってきていた侵入道具だった。

 琰耀えんようはすぐに莅春の側に飛んでいった。

「あ、あの……」

 莅春は剣を構えながら布の下で微笑むと、「やっぱりね」と笑った。

「あとで全部説明してあげるし、一緒に母上に怒られてあげるから、今は戦うのよ」

「は、はい!」

 林家の屋根の上では、浩然が護衛たちと矢を撃ちながら作戦を配している。

 きっと江湖の猛者たちと共闘するのは初めてだろうに、その指示は的確だった。

 刺客たちは、こんなにも抵抗を受けるはずではなかったようで、顔を隠している布の上からでもわかるほど動揺し始めていた。

 そこをさらに突いて行くように、梓宸ズーシンたち江湖の勢力は戦いをその手中に収めていった。

 叔父が現役で強いことにも驚いたが、琰耀えんようが一番胸を高鳴らせたのは、戦う義姉の姿だった。

(あ、義姉上ってこんなに強かったの⁉ まさかの二刀流だし……)

 まるでおうぎをもって舞う天女のように刺客の間を流麗に動きながら斬りつけていく。

 力の弱さを補うその技術は、確実に敵の腱を切り取り、行動を不能にしている。

(か、かっこいい!)

 琰耀えんようの心が奮い立った。

 剣に炎珠の炎を纏わせ、灼熱の剣舞で攻撃した。


 二時間も経つと、まだ立てる刺客たちは視線を交わし合い、方々へと逃げ出していった。

 梓宸ズーシンの指示で長海から完全に離れるまで刺客たちは追われるようだ。

「莅春!」

 屋根から滑り落ちるような勢いで浩然が駆け寄ってきた。

「ね? 私、強いでしょう?」

「まったく! もう! ……でも、最高の妻だよ」

「私と結婚できてよかったわね」

「ため息が出るくらい、その通りだ。じゃぁ、私は港の様子を見て来るよ」

「ええ。気を付けてね」

 琰耀えんようは今のうちに、一度退散しようとこそこそ歩き出したが、莅春の手にがっちり腕を掴まれてしまった。

「で、どうなの? 私の疑問を解消してくれるのかしら?」

「あー……」

「莅春、それくらいにしてやりなさい」

「叔父上! まったく、本当に甘いんだから」

「えっ……」

 琰耀えんようは二人のやり取りに冷や汗が流れた。

 琰耀えんようの出生の秘密や正体を知っているのは貴太妃と玲耀れいようだけのはずだからだ。

「大丈夫だ。何も知らないよ」

 梓宸ズーシンの優しい笑みは、普段から琰耀えんように向けられるものと同じだった。

「すみません。ありがとうございます」

 琰耀えんようはたまらず、ほぼ答えを言っているようなものだと思いながらも頭を下げた。

「ふふ。いつかあの頑固な姉が話してくれるのを待つことにするよ。驚くふりは得意なんだ」

 優しく頭を撫でてくれる梓宸ズーシンに、つい仮面の下の顔が綻んでしまう。

「あら、叔父上。私は母を問い詰めますよ」

「えっ。本当に、よく似た親子だなぁ」

「当然です」

 どうやら、莅春を止めることは不可能なようだ。

 琰耀えんようは観念したようにうなずくと、二人の腰に手を添えて抱え、陽炎の術を使いながら空へと飛びあがった。

「うわあ!」

「きゃっ!」

 そして林家の一番奥にある建物の屋根の上におろすと、仮面を取った。

「お二人とも、正解です」

 すると、莅春が涙を流しながら抱きしめてきた。

琰耀えんようが誰であろうと、私はお姉ちゃんを辞めたりしないからね!」

 たくさんの切り傷に打撲のような痕。

 幼い頃から幾度となく遊んでもらい、覚えている義姉あねの肌とは違う。

「うん……」

琰耀えんよう、またいつでも江湖においで。私たちの関係が書面上ではどんなに複雑でも、お前を愛しているよ」

 慈しみにあふれた瞳に映る、力強い愛情。

「はい……」

 声が上手く出せない。

 代わりに出るのは涙だけ。

 これで、愛する人をまた二人、危険にさらすことになってしまう。

 それでも、今目の前にいる二人は、戦うことを選んでくれた。

 琰耀えんようはある決意をした。

 そっと、心の中で。

(今日という日に誓う)

 優しい雨が降り始めた。

(時期が来たら、琰櫻えんおう義兄上を、連れ戻す)

 当時の太医が残した出生証明書は残っている。

 髪の色も目の色も、淑妃と同じ。

 玲耀れいようともよく似ている。

 先帝の実子だと証明できるはずだ。

(親王の地位も、霓王の号も、何も惜しくはない。大切な人たちを護れるのなら)

 それに、と、莅春から身体を離し、二人の笑顔を見ながら誓った。

(太皇后と宰相の企みを、全部潰してやる。必ず、この手で)

 「ほら、風邪ひいちゃうから家に入りましょ。叔父上も、江湖のみんなも一緒に」と、莅春は嬉しそうに微笑んだ。

 琰耀えんようは再び陽炎の術を使い姿を消すと、二人を屋根からそっとおろした。

「空を飛ぶときは一言頼む。胃がもにょもにょする……」

「ふふ。すみません、叔父上」

「まぁ、楽しかったけどな」

「私も、楽しかったわ」

 笑顔で歩いて行く二人の背に、琰耀えんようは気合が入る。

(例え、自分の居場所を失おうとも、世界を敵に回しても、護り抜く。この両手が、幾重に血に染まろうとも)

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