第拾陸集:海賊

「立派な牢ですね」

「百年以上前に作られたものらしいです。宰相様が改装した時も、石工職人が手こずっていて、工期が伸びたほどです」

「へぇ……」

 長海ちょうかいの中心部から西に、かつて古代都城だった頃の名残が今も残っている。

 海側にだけ開かれて建てられている背の高い塀は、何度も戦火からこの街を護ってきた。

 かつて大理寺があった場所に、そのままの形で牢がある。

 今も牢屋だけは使用されているため、ここだけなんとも異様な雰囲気が漂っている。

 収容されているのは三十人ほど。

 海賊以外に脱獄者はいない。

 それどころか、この牢が出来た時代から現在、脱獄したのは海賊だけ。

「清潔ですね」

「いくら牢屋と言えど、病気が蔓延するのは困りますから。なるべく清掃回数は多くしております」

「さすがです」

 糞尿の臭いは一切なく、少し感じるのは地下特有のかびのにおいくらい。

「海賊たちが脱獄したのはどこですか?」

「こちらです。宰相様の提案で、陸地の犯罪者と海上の犯罪者の牢は区画でわけてあるんです」

「なるほど」

 牢屋を進んでいくと、〈海賊〉と書かれた木製の看板が掛けられている区画が現れた。

「……潮のにおいが濃いですね」

「牢に開いている換気口が海に面しているんです」

「鉄格子だと錆びてしまいませんか?」

「大丈夫です。今時珍しいですが、とても丈夫な木枠で窓が作られているんです。空気が湿っているので火もつきませんし」

「そうなんですね」

 琰耀えんよう浩然こうぜんの案内に従い、左右に牢がある石畳の廊下を歩いて行く。

 いくら換気口が海に面しているとはいえ、いささかにおいが濃すぎないだろうか。

 心なしか、髪がパサついてきた気もする。

「……入ってみてもいいですか?」

「もちろんです」

 琰耀えんようは左右で六つずつ並んでいる牢の一つに入った。

 壁を指の関節でコンコンと叩いていく。

 空洞があるような音はしない。

 次に、松明から灰を取り、両掌で潰して細かい粉にしてから空中に撒いた。

「……風が下に流れているようですね」

 琰耀えんようは床にしゃがみ込み、灰が吸い込まれて行った場所の石を触ってみた。

 すると、ごく小さな親指ほどの石がすっと外れた。

「杭ですね」

「な!」

 そして空いた穴に指を差し入れ、引き上げると、海へと続く出口が現れた。

「そ、そんな……」

「わたし、ちょっと潜ってどこに出るのか見て来ます」

「さすがにそれは危ないですよ!」

「大丈夫です。わたし、泳ぎはとても得意なので」

「で、でも……」

「安心してください。では、さっそく」

 そう言うと、琰耀えんようは服を脱ぎ、最低限の肌着だけになった。

「では、行ってきます」

 琰耀えんようは穴の中へと頭から這って入って行った。

 屈強な海賊が通る用とあって、琰耀えんようには少し大きすぎるくらいの広さがある。

(……お、水が見えてきた)

 潮の満ち引きでも変わるのだろうが、わりと早い段階で海面が見えてきた。

(潜ってみよう)

 琰耀えんようはすっと海水の中へと入って行った。

 龍神族は水中のわずかな酸素を身体に取り入れることが出来るため、潜水などは得意としている。

(……煌石こうせきが等間隔に沈めてある。きっと他の穴とかちあった時に、方向を見失わないためだな)

 ぼんやりと光を放つ珍しい石に導かれながら進むこと三分。洞窟にたどり着いた。

(これ、相当肺活量が無いと辛いぞ)

 洞窟内部には煌石が詰められた提灯のようなものが下がっている。

 火で酸素を消費しないための工夫だろう。

(道が続いてる……)

 荷車が通れそうなほどの広い道。

 琰耀えんようは音をたてないよう、慎重に進んでいった。

(……あ! やっぱり!)

 そこはまるで簡易的な住居のようになっており、二段寝具ベッドがいくつも並んでいる。

 その中心にある大きな木の机には、林家の見取り図や、長海の地図などが置かれており、ところどころ赤い丸が付けられているようだ。

(……視認できるのは六人。きっとまだ部屋が続いてるんだな)

 料理のにおいがする。

 もうすぐ昼時だ。

 厨房がどこかにあるらしい。

(ん? 鈴の音……。ああ、お昼ご飯の合図ね)

 六人の男たちは「腹減ったぁ」「はやくお天道様の下に出たいよなぁ」「俺らみたいなおとりの班があと三つはあるらしいぞ。もう少しの辛抱だ」などと話しながら、部屋のさらに奥にある扉へと吸い込まれて行った。

(いったい、何人の海賊が集まっているんだろう。浩然義兄上に捕まえた数を聞かないと。囮ってことは、きっとその倍以上は何らかの形で街に入り込んでいるはずだから)

 その時だった。

 背中に、冷たい刃を感じたのは。

「お前、ここで何してる」

 琰耀えんようは潮のにおいと波の音に気を取られ、人の気配を察する感覚が鈍っていたのだ。

「……偶然あの穴を見つけたんだ」

 振り返ると、水浸しにふんどし一丁の浅黒い男が立っていた。

 琰耀えんようが牢から入って来た時には、捕まっていた海賊は居なかった。

 他に入口があるのだろう。

「偶然だと?」

「俺、林家で小姓をしてるんだけど……。故郷の妹が病気で。給料じゃ足りないから、ちょっと宝石をくすねたら侍従長にみつかっちまってさ。奥様に『三日間くらい反省してこい』って容れられたんだ。旦那様は奥様のいいなりだからな」

 禪寓閣ぜんぐうかくで読んだ小説の中に出てきた少年の物語を思い出しながら、台詞をなぞった。

「ほう……。それは大変だったな。だが、どうやってあの穴を?」

「暇だから敷いてある藁を裂いてたら、地面の方に吸い込まれていっちゃって。おかしいと思って探ってたら、なんか杭みたいなのがとれちゃったんだよ」

「賢いガキだな。ちゃんと塞いできたか?」

「もちろん。杭を穴に入れてから扉を閉じたさ。逃げ出したのが露見したら、それこそ奥様に殺される」

「じゃぁ、行くところがないってことか」

「うん。そうなる」

「……お前、林家について詳しく知っているんだな?」

「ああ。お子様たちが悪戯をするときに人形を隠す戸棚まで知ってるぜ」

 男はしばし思案すると、にやりとわらい、琰耀えんようの肩を掴んだ。

「……いいだろう。お前の面倒を見てやる。その代わり、何も質問せずに俺に従え。そうすれば、妹の薬代も簡単に稼げるぞ」

「いいけど……。うん。わかった」

「よし。俺のことは頭領と呼べ。まずはめしだ。そのあと、服も見繕ってやる」

 琰耀えんようは内心好機だと感じていた。

 まさか、海賊の頭領自らがお出ましとは思わなかったからだ。

 頭領に案内されるがまま、琰耀えんようは隠れ家の中へと入って行く。

 このまま内側から切り崩すことが出来るのなら、上々だ。

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