第拾伍集:海軍

「うわあ! 大きな船ぇ!」

 潮の香りが風に乗って駆け抜け、初夏の太陽が波にキラキラと反射している。

 金苑の南東にある港町、長海ちょうかい

 貿易商を夫に持つ長公主、莅春りしゅんの頼みで、琰耀えんようは出張に来ていた。

 詳しくは着いてから夫が話すと言われ、今は観光を兼ねて案内してもらっている状況だ。

「すごいわよねぇ。私も初めて見た時は驚いたわ」

「義姉上の旦那様はあの大きな船の船長で、さらには貿易商の頭領をされているんですよね?」

「そ。だから婚約中はほとんど会えなかったんだけど、まぁ……、好い人だから結婚してあげたの」

「ふふふ。そんなふうに言っちゃって。本当は仲良しさんなんでしょう?」

「それは見て確認すると良いわ」

「そうさせてもらいます」

 薄布を幾重にも重ねた深緑色の深衣がふわりと舞う。

 まるで莅春の優しい心を表しているようだ。

 莅春は頬を桃色に染め、微笑んだ。

 幸せそうなその姿に、琰耀えんようまで嬉しくなってしまった。

「おーい! 莅春!」

「あ、ほら、夫よ」

 大きな船の上から手を振りながら、男性が駆け下りてきた。

 海のおとこ、と聞いていたので、大柄なのかと思っていたが、どちらかというと細身で柔らかな物腰。

 ただ、肌はとても浅黒く、健康的に灼けている。

 青い深衣が肌に映えていて、笑顔が眩しい。

 まさに好青年といった感じだ。

「なんと! 霓王殿下! お初にお目にかかります」

「初めまして。林 浩然りん こうぜん義兄上。わたしのことは琰耀えんようとお呼びください」

「あああ、あ、兄上だなんて! もったいなきお言葉……。嬉しいです」

 浩然は照れたように頬を染め、破顔した。

「義兄上は海軍の指導もされているのですよね」

 琰耀えんようの言葉に、浩然は真剣な表情で答えた。

「ええ、僭越ながら。敵が他国の戦艦だけならばいいのですが、二十年以上前から海賊の被害も多く……。貿易商で資金を出し合い、陛下の助言をいただきながら、護衛の軍を育てております」

 浩然は貿易商である林家の次男として従軍経験があり、そのときの役職は軍配者だった。

 まだ専門家の少なかった海上戦において、幼い頃から海の起伏を見てきた経験による巧妙な作戦で、大きな勝利をおさめたことがある。

 そういった功績もあり、浩然は侯爵にほうじられた。

 ここ長海に領地を持ち、莅春や子供たちもそこに住んでいる。

 莅春は長公主なので、金苑に邸宅を持っているのだが、海の近くで子供を育てたいとの希望もあり、ほとんど使われていない。

 浩然も、玲耀れいようから金苑に侯府こうふとして土地を持つことを提案されたが、ただでさえ海上にいることが多く、家を開けがちなので、丁重に遠慮したという。

「それで……、陛下からも、養母はは上からも詳しくは聞いていないのですが、なにやらわたしに頼みがあるとか」

「そうなのです!」

 浩然は聞き取りやすいはきはきとした声で返事をした。

「ここ二月ふたつきのことです。近海に出没する海賊の質が変わったのです」

「海賊の質、ですか」

「はい。まるで訓練を受けた軍人のような命令系統を持ち、操舵術も完璧。それに……」

「何か他にも気がかりなことが?」

「何人捕えても、二日後には脱獄されてしまうのです」

「え!」

「牢は三年前に宰相様の命令で強固なものに作り替えたものです。そう簡単に抜け出せるようなものではありません」

「え、あ、待ってください。牢の建て替えに宰相殿が関わっているんですか?」

「はい。わざわざ視察にいらして、職人まで用意してくださいました」

「なるほど……。無粋なことを聞きますが、牢の完成後、職人たちがどうなったかは聞き及んでおいでですか?」

「あ……。はい。全員、亡くなったと聞きました」

「そうですか……。わかりました」

 古代から、牢の建設には石工職人とは別に罪人も多く用いられてきた。

 それはなぜかというと、牢の完成後は必ず処分されるからだ。

 牢は完全でなくてはならない。

 その構造を知っている者を野放しには出来ないのだ。

 だから、殺す。どの王朝でも、そうやって牢を厳重に管理してきた。

(おそらく、牢の建設に関わったのは宰相の息がかかった者たちだ。殺さずにそのまま訓練を受けさせ、海賊にした……。でも、なんでそんなに手の込んだことを……? もしかして!)

「義姉上、覚えておいででしょうか。わたしと久しぶりに再会した日のことを」

「ああ……、あの、山賊に襲われた日ね」

「何か、山賊たちに特徴はありませんでしたか?」

「……そういえば、臭くなかったわね。こう、長いことお風呂に入っていないような獣臭はしなかったと思うわ」

「たしかに。着ているものや風貌とは裏腹に、ほとんど無臭でしたね」

 莅春は頬に手を当て、さらに思い出そうと眉根を寄せながら考えた。

「……あ、そうそう。私、あまりそういう賊には詳しくないから、違和感には気づけなかったんだけれど、たしか、全員同じ刺青いれずみを腰のところにしていたわよね」

「……え、服をめくってみたんですか」

「違うわよ。琰耀えんようがばっさばっさ斬り伏せてしまったから、その時に賊の服も切れたのよ。ちらっとしか目に入らなかったけれど、三人は同じ模様だったと思う。あとの人達は仰向けだったからわからないけれど」

「そうですか……。ちなみに、その模様って覚えておいでですか?」

「一部はね。他の場所で見たことがあるの」

「他の場所で?」

「ええ。刺繍の模様帳よ」

 刺繍は良家の子女が嫁入り修行の一環として行うもので、莅春は性格に似合わず得意だったため、中原に伝わっているあらゆる民族の模様を糸で再現することが出来る。

 母親や乳母から教わることも多いが、莅春のように手先が器用な者は、今まで記録されてきた模様帳を見ながら刺繍することもあるのだ。

「え、ということは……」

「そう。たしか……、弥螢やけい族の伝統模様よ。祥国との戦争でだいぶ前に滅んでしまったけれど」

 琰耀えんよう禪寓閣ぜんぐうかくで学んだ中原の歴史を、頭の中で本のページをめくるように思い出そうとしていた。

弥螢やけい族はまだ先帝が若き親王だった時に滅ぼした民族だ。その戦での功績が決定打になって、親王から皇太子に冊封されたって書いてあったな……)

 弥螢やけい族の王族は、男は全員投獄または処刑。

 女子供は寒扇廷かんせんていへと送られ、そのほとんどが一歩も外界に出られることなく亡くなったと書物には書いてあった。

(ほとんど、ってところに何かありそう……。調べてみないと。でもまずは……)

「義姉上、色々思い出していただきありがとうございました。義兄上、今から牢を確かめに行きましょう。そのあと、逃げた海賊たちを捕まえましょう」

「え⁉ ま、まだ海賊たちはこの街にいるのでしょうか」

「ええ。それも、牢の中に」

「え……」

 浩然は驚愕し、無意識になのか、莅春の手をぎゅっと握った。

「……大丈夫よ、あなた。琰耀えんようの強さと、あなたの賢さを合わせれば、なんだってやってのけるわ。信じてる」

「莅春……。俺、頑張る!」

「ええ。応援しているわ」

 琰耀えんようは思わず顔が火照ってしまった。

 あまり恋愛などが身近にある生活をしてこなかったので、いざ目の前で仲睦まじい様子を見ると、見ている方まで照れてしまう。

「さ、さぁ、義兄上。参りましょう」

「はい! 案内いたします!」

 気合の入った浩然を頼もしいと感じつつ、琰耀えんようは少しだけ心に焦りを感じていた。

 もし今頭に浮かんでいることが宰相の作戦と同じならば、すでに準備は進んでいることになる。

(宰相は義姉上や長海の人々を人質に取り、浩然義兄上が育てた海軍を奪い取るつもりだ。玲耀れいよう義兄上から皇帝の座を簒奪するために)

 全身に力が入る。

 怒りで判断を鈍らせないよう、琰耀えんようは深呼吸を繰り返した。

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