第拾参集:演舞

題名:天狼詩林

キャッチコピー:

第拾参集:演舞

著者:智郷めぐる






 多くの楽人が所属する梨園りえんの音楽や、宮女の舞。

 優雅で華やかな景色に酔いしれながら過ごし、豪華な食事に舌鼓を打った。

 そしていよいよ、琰耀えんようの番。

 誕生日を迎えることが出来たことの感謝を込めた演舞を披露するのだ。

 さっそく、あの剣を使うことにした。

 琰櫻えんおうと、まだ会ったことはないが大事に想ってくれている翠櫻すいおうからの贈り物。

(よろしくね、霓琰げいえん

 剣を持ち、部屋の中央へ歩いて行く。

 四方へ礼をし、呼吸を整える。

 音が遠くなっていく。

 鼓動の音だけが身体に響く。

 次に、鮮明になってくるのは周囲の気配。

 人々の息遣いに、衣擦きぬずれの音。

 酒のにおいに、部屋中に飾られた花々のかおり。

 が大きく鳴らされた。

 琰耀えんようは剣を抜き、まるで祈りをささげるように舞い始めた。

 箜篌くごや琴の流麗な音に乗せ、身体と剣が一体となる。

 洞簫どうしょう、笛、しょうが紡ぐ歌は、かつてこの地を支配していた龍の飛翔に抱いた畏れや感嘆を表したもの。

 選曲したのは玲耀れいようだ。

 題は『霓鱗顕現げいりんけんげん』。

――虹の鱗を持つ者よ

――流れに逆らい、新たなる水流を起す者よ

――その瞳に宿したる久遠くおんの炎で

――どうか曇天を払い給え

――降り注ぎし陽射しの中を

――おのが世界と知らしめ給え

――ああ、雲が割れる

――雷鳴ののち

――あたたかな光が空を渡る

――あま駆ける虹の閃光

――花信風かしんふうで地上を満たし

――爽籟そうらいを飛翔する

――どうかまた魅せておくれ

――その瞳に宿る天狼星てんろうせいの輝きを

――幾星霜を彩る

――玉響たまゆらときを縫って

――そなたがいない靉靆あいたい

――ただ一人、この詩を謡おう

――颶風ぐふうに胸躍らせる

――幼子のように

 剣を鞘に戻し、音の余韻が続く中、深く一礼する。

 うっすらと首筋を伝う汗。

 吹き抜ける風が心地よかった。

 一呼吸の後、波のように打ち鳴らされる拍手と称賛の声。

 琰耀えんようは笑顔で応え、再び深く頭を下げた。

 ただ二つの悪意に気付かないふりをしながら。





「どうしてなの⁉」

 宴席の途中、酒を飲み過ぎたと早めに退出した太皇后と、それに付き添った宰相。

「わからない。なぜ効かなかったのか……」

「ちゃんと混ぜたんでしょう⁉」

「ああ。給仕係に手の者を紛れ込ませ、ちゃんと赤い目の鶴が描かれたわんを出していたのを確認したが……」

「侍女に飲ませた時はひどい酩酊が一時間は続いたのに……。どうして琰耀えんようには効かないのよ!」

「……禪寓閣ぜんぐうかくで会得した薬術で、解毒薬を事前に飲んでいたのかもしれないな。そうでないと説明がつかん。まだあどけない小僧に見えて、なかなか警戒心があるのだな」

「くっ。貴太妃は本当に賢い嫌な女ね。ただでさえ、私たちの手が出せない江湖こうこ琰耀えんようを隠し、その中で生きるのに必要なことをすべて学ばせたわ。やはり、あの女を先に始末しておくべきだったのよ」

「大丈夫だ、雪琳シュェリン

 蘭玉らんぎょくは妹の手を取り、その頬を撫でた。

「私が調べておく。そんなに怒っていては、美しい顔がもったいないぞ」

「お兄様……。今となっては、雪琳シュェリンと呼んでくださるのはお兄様だけよ」

「綺麗な名だ。呼ばすにはいられない」

「お兄様……」

 その時、次の催し物の準備に駆け回る太監たちの足音が聞こえてきた。

 蘭玉は太皇后から手を離し、そっと唇に触れると、宴席の方へと戻って行った。

 太皇后は熱を帯びた自身の唇に触れ、顔をほころばせると、太監を一人呼び止め、輿こしを用意するよう命じた。

 太監は笑顔で頷くと、すぐに用意しにまた廊下を急ぎ足で歩いて行った。

 そして廊下の曲がり角、太監はまた一人、貴人に深く挨拶をして横を通り抜けていった。

 立っていたのは景耀だった。

 胸に黒い靄が深く根を下ろしていく。

 つい先日、見てしまったのだ。

 自身の母親と伯父が深く抱擁しているのを。

 始めは兄妹きょうだいの仲の良さゆえのことかと思った。

 しかし、伯父の手つきは次第に母の身体を這いまわり、それに応えるように、母は吐息を漏らしていた。

 限りなく近い親戚同士での婚姻は見たことがあるが、まさか実の兄妹でそのようなことになるなど、景耀とて信じたくはなかった。

 それも、自分の母親と伯父。

 母親は未亡人ではあるが、先帝の妻で、太皇后という地位にある。

(崩御されているとはいえ、父上を裏切るようなことをするだろうか……。しかも、自身の兄と)

 景耀は今までの人生、伯父の言いなりに生きてきた。

 「いずれは殿下が祥国のいただきに立つのですよ」と、何度も何度も強く言いきかせられながら。

 おう家の血筋という意味ならば、現皇帝であり兄の玲耀れいようとて、同じ血が流れている。

 わざわざ簒奪さんだつする意味などあるのだろうか。

 景耀が皇帝になったところで、皇伯おうはくという事実も宰相という地位も、変わらないというのに。

「気味が悪い……。ふんっ」

 景耀は嫌な気持ちを振り払うようにドスドスと音をたてながら歩くと、宴席へと戻って行った。

 心地のいい音楽が流れている。

 とにかく今は、むかつく義兄弟のためのお祝いの席であっても、何も考えなくて済む場所に居たかった。

 景耀が席に戻ると、宰相が気づき、笑いかけてきた。

 今はどんな顔をして応えればいいのかわからず、景耀はすぐに視線をそらしてしまった。

(汪家始まって以来の天童だとはやし立てられ育った伯父が、わざわざ自分の地位を危うくするようなことするか……? あの話だって、本当なのか怪しいくらいだが……)

 蘭玉にはこんな逸話がある。

 蘭玉がまだ六歳だった頃。母親と何人かの侍従を連れて避暑用の別荘へと向かっていた時、山賊に出くわした。

 護衛たちは奮闘したものの、人数で押し切られ、捕えられてしまった。

 隠れ家へとつれていかれる道中、蘭玉は手籠めにされそうになった。

 しかし、蘭玉は興奮している山賊を説き伏せ、会話をし、なんと、全員を無事に解放させることに成功したのだ。

 山賊たちは最終的には涙を流しながら改心することを誓い、蘭玉たちを丁重に別荘へと送り届けたという。

 わずか六歳の子供に、そんな知恵が回るのだろうか。

 でも、景耀の隠居している祖父母は今もそれを自慢し続けている。

(誰を信じればいいのか……。わからなくなる)

 景耀はゆっくりと酒をあおりながら、溜息をついた。

 今はただ、耳に心地いい音楽の中、無心でいたかった。

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