第拾集:師匠

 金苑に戻ってきた琰耀えんようは、すぐに皇宮へ行き、兄である皇帝、玲耀れいように軍の派遣を頼んだ。

 密猟集団との関りがある景耀けいようの母でもある太皇后が居座っていたので、軍を派遣してほしい理由や、詳しい内容は声に出しては言わず、それとなく玲耀れいようにも「文に詳しく記しておきました」と伝え、あえて口には出さずにいてもらった。

 そうでないと、太皇后が景耀に警告してしまうかもしれないからだ。

 二つ返事で了承する皇帝に、そばに立っていた太皇后は顔を真っ赤にしながら怒りに震えていた。

(皇后陛下が妊娠中なのをいいことに、義兄上のそばにべったりだなぁ)

 玲耀れいようの正室は現在妊娠四ヶ月。

 その寝所は、雛菊ひなぎく隊によって守られている。

 それも太皇后の神経を逆なでしている原因の一つだ。

 雛菊隊というのは、貴太妃が隊長を務める、宮女だけで結成された後宮守護特化の衛兵。

 玲耀れいよう曰く、『宰相が信用できない』とのことで、貴太妃が依頼を受けたのだ。

 実は、貴太妃は江湖出身の父親のばい氏が治めていた領地で開かれた武術大会で、現役の江湖の猛者たちも倒し、優勝したことがあるほどの腕前を持つ。

 その武術大会にこっそり視察に来ていた先帝が、妃のあまりに美しい演舞を見て惚れ込み、一年かけて何度も手紙をやりとりし、その熱意に折れた妃が、いきなり貴妃として迎え入れられたのである。

 太皇后からすれば、そこまで高い身分でもない小娘に夫の愛を盗られたことになる。

 当初から、太皇后は貴太妃のことが大嫌いだったのだ。

 現在、ばい家の領地は貴太妃の弟がその勢力も引継ぎ頑張っている。

(太皇后はまだ気づかないのかな。武人の貴太妃やわたしをいくらいじめても、まったくきいていないですよってことに)

 退出するときに太皇后に笑顔を向けてみたら、汚物でも見るような嫌な顔をされてしまった。

(……嫌なおばさん)

 琰耀えんようはそそくさと皇宮を後にして、ちょっとした路地に入り、誰もいないことを確認すると、陽炎の術をかけ、姿を消して空へと飛びあがった。

(吏部尚書の息子が営んでいるお店は金苑の歓楽街の裏あたり。……なるほどね。お客さんも、妓楼へ遊びに来たように装えるからそういうところにお店を構えたのか。頭いいなぁ)

 琰耀えんようは妓楼へは行ったことが無いが、それがどんな場所かは知っている。

 なぜならば、師匠が妓楼通い大好きだからだ。

(……さすがにいないよね)

 店が開くのは妓楼に合わせて夕方以降。

 師匠が遊びに来てないことを祈るばかりだ。


琰耀えんようじゃないか」

「……なぜここに」

 直感と言うのは、どうしてこうも当たってほしくないときに的中してしまうのだろうか。

 初夏の風が吹き始めた夕方。

 見覚えしかない純白の深衣しんいに身を包んだ黒檀色の美しい髪をなびかせている美男子が、スケベな顔をしながら妓楼がある通りを歩いていた。

「なんだその顔は。私は師匠だぞ」

 歩いていたのは、師匠のきょう 幽禪ゆうぜんだった。

「知っています。それはもう充分すぎるほど。今日も、いないと良いなぁと思いながら来たんですから」

「出来の悪い弟子が困っていないかなぁと見に来てやったというのに」

「わたしは普段歓楽街にはいませんよ」

「……ついでだ、ついで。いいじゃないか。美しい花を愛でるのは罪ではないだろう?」

「はいはい。わたしは仕事で来ているので、失礼しま……」

 すると、突然幽禪ゆうぜんに腕を掴まれ、路地裏に連れていかれてしまった。

「し、師匠……」

「馬鹿め。まったく、本当にのんきだな、お前は。あの馬車をよく見ろ。何の飾りも着けていないが、素材は一級品。身分の高い者がお忍びで乗っているのだろうが、私の目はごまかせないようだ」

 幽禪ゆうぜんに言われた通り、馬車をよく見ていると、なんと、そこから降りたのは景耀だった。

「変装はしているようですけど、間違いなく景耀ですね」

「だろ? お前は強いし物覚えもいいが、人を疑うことが下手くそだ。それは言い換えれば、見る目が無いともいえる。もっとよく周りを観察しろ」

「うっ……。はい。すみませんでした。気を付けます」

「よろしい。では、後をつけるか」

「え、ちょっと! お師匠様は関係ないでしょうに」

「お前、その身なりで妓楼に入れるとでも?」

 琰耀えんようは普段着の自分に何の疑問も浮かばなかった。

「え、ダメなんですか?」

「はぁ……。大人の嗜みっていうものが何もわかっていないんだな。貴太妃に謝罪せねば。私の育て方が甘すぎたようだ、と」

「え、な、ななな」

「もういい。お前は上空から窓の側に飛んで来い。私が中から景耀殿下が入って行った部屋を伝えるから」

「す、すみません……」

「私が遊ぶ部屋の窓には近づくなよ? あくまでも、あの皇弟おうていが入って行った部屋の窓の側に行くんだぞ。私の遊戯を邪魔したら許さないからな」

「しませんし、何も知りたくありません」

「ならいい」

 自分の師匠のあられもない姿など、誰が見たいというのだろうか。

 琰耀えんようは素直に姿を消すと、空へと飛びあがった。

 幽禪ゆうぜんが優雅な足取りで妓楼の中へと入って行く。

 数分後、頭の中に声が聞こえてきた。

(西側の一番奥の部屋だ)

(ありがとうございます)

 返事はなかった。もう遊び始めたらしい。

 琰耀えんようは風切り音を出さないように静かに空を飛びながら、窓へと近づいて行った。

(……お、見えた)

「今回の品物はどうだって?」

「最高級のものが揃っております。それに……、なんと、龍も捕まえました」

 景耀と話しているのがおそらく吏部尚書の息子だろう。

 密猟組織から届いたであろう手紙を読んでいる。

「おお! それはすごい……」

「鱗から作られる武具はどんな美術品にも劣らぬ美しさがありますからね。景耀殿下にぴったりですよ」

「楽しみだ。それと、あの噂については調べはついたのか?」

「ああ、道観どうかん襲撃の犯人についてですね。それが……。何の証拠も残っておらず、目撃者もいない状態です」

「そうか。皇伯おうはくが気にしていてな。私にも調べてほしいと依頼されたのだ」

「宰相様がなぜ道観など気にするのでしょう? あまり信仰心など無いように見受けられますが」

「知らん。理由は何も教えてはくれぬのだ」

「左様ですか。私の方でも、引き続き探ってみます」

「頼んだぞ。では、さっそく商談と行こうか」

 景耀は荷馬車の検閲をすべて通過させる見返りに、金銭をもらう手筈らしい。

 それと、強力な魔術のかかった武具一式を数百組、購入するようだ。

(戦争でもしようって気なのかな)

「ふふふ。『陛下』とお呼びできる日も近そうですな」

「おい、誰が聞いてるかもわからんところで口にするんじゃない。……悪い気はしないがな」

「ふふふ。すみません。つい気が競ってしまって」

「くくく……」

 琰耀えんようは今すぐにでも乗り込んで景耀の顔を殴ってやりたかったが、それはさすがに玲耀れいように迷惑をかけてしまうと、思いとどまった。

(……密猟者との関りは証明できそうだけど、この程度じゃ、景耀は邸宅か領地に軟禁くらいで済んでしまう。そんなの、無罪と変わらない)

 最悪の場合、宰相が裏で手を回し、吏部尚書の息子一人が罪を被ることになるかもしれない。

 「景耀殿下は仕入れた武具が密猟の品だとは知らなかった」とかなんとか理由をつけて。

 検閲の通過も、「知り合いに便宜を図っただけ」とでも言いそうだ。

(それでも、資金源の一つを潰せるなら、今回は目をつぶるしかないのかもしれない……。悔しいけど)

 琰耀えんようは二人の会話が終わるまで待ち、その後、帰る吏部尚書の息子の後をつけた。

 案の定、自身の店へと入って行き、景耀と交わした契約内容について裏帳簿につけ始めたので、よく観察した。

(裏帳簿の場所もわかったし。錦鏡衛きんきょうえいでも連れてきますかね。たくさん埃が出て来そうだなぁ)

 琰耀えんようは金苑の中心地へと飛び、路地へ降り立つと、姿を現し、すぐに錦鏡衛きんきょうえいの詰め所へと向かった。

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