第玖集:龍

 琰耀えんようは言葉を失った。

 なぜならば、目の前にある大きな檻に入れられていたのは、〈龍〉だったからだ。


 さかのぼること五時間前。

 が昇る前に現れた商人の一団は、野営地からいくつかの檻と革などの加工品を受け取ると、他の野営地に寄りながら、本拠地へと向かって進んでいた。

 琰耀えんようはその後を上空から追いながら、関係性を観察していた。

「あの商人が首領なのかな。みんな低姿勢で挨拶してるし……。それともまだ上に人がいるのかも」

 霧深い山の中、中腹辺り。

 突然馬車を止めた商人の一団は、岩肌に向かって何かを唱えた。

 すると、岩肌は砂のように朝陽の中へと消え、大きな洞窟が姿を現した。

「あの中に魔術師がいるのか」

 魔術師は杖からいくつかの光玉こうぎょくを出すと、先頭に立ち、馬車の馬の手綱をひきながら、全員を洞窟の中へと誘っていった。

 琰耀えんようは音を立てないよう空を飛びながら近づき、再び岩で閉じられる前に中へと入って行った。

(結構広いんだな)

 下層へ向かって下って行く螺旋状の坂道はある程度舗装されており、馬車でも難なく通れるようになっている。

 途中にあるいくつかの門では、仕入れてきた精霊獣を渡していた。

 きっと保管所や繁殖場、加工場などがあるのだろう。

 すべての荷を下ろした馬車と三人の商人、五人の護衛、そして一人の魔術師は、さらに下層へと向かっていく。

(……声がする。でも、これって……)

 檻が見えてきた。

 心臓が早鐘のように激しく動いている。

 うめき声が聞こえているのは耳ではなく、頭の中。

(どういうこと……、あ!)

 五メートル四方の真四角の檻の中に、とぐろを巻いている美しい鱗が見えた。

(……龍だ!)

 ところどころはがされた鱗からはその下の皮膚が見えており、どうやらそこに杭のようなものを撃ち込まれ、檻に固定されているようだ。

(ひどい! わたしの仲間になんてことを!)

 龍神族の中に生まれてくる無珠の者は、力が使えない代わりに、本来の姿である〈龍〉に変身することが出来る。

「ほら! はやく仲間を呼べ!」

 他にも魔術師がいたようだ。

 龍に向かって魔法を放ち、「仲間を呼ばねぇなら、龍王谷りゅうおうこくの場所を吐け!」と脅迫している。

 琰耀えんようは気付くと身体が動いていた。

「やめろ!」

 後先考える余裕なんてなかった。

 一瞬、正体が露見すれば家族に危害が及ぶかもしれないと考えたが、でも、目の前で行われている残虐な行為を黙って見ているなんてできなかった。

「な、なんだ⁉」

「ガキが侵入してきたぞ!」

「門番は何をしてる⁉」

 琰耀えんようは飛びながらくうからつるぎを出すと、最低限顔を布で覆い、魔術師たちの周りにいる護衛に斬りかかりながら、五行珠の力で杖を燃やしていった。

「な……! こいつも龍神族だ! 刃が通らねぇ!」

「龍の血を練り込んで作った剣を使え! 傷つけるにはそれしかない!」

「売り物なのにいいのか⁉」

「仕方ねぇだろ!」

 どうやら、彼らは龍神族との戦い方を知っているようだ。

 それもそのはず。

 そうでなければ龍など捕えられるはずがない。

(その五行珠に美しい黒い髪……。ま、まさか! た、太子様⁉)

 頭の中に、声が聞こえた。

(今助けます!)

(お逃げください! 僕はもういいんです。絶対に、何も話しませんから、置いて逃げてください! あなたに何かあれば、琰櫻えんおう殿下や翠櫻すいおう殿下が悲しみます!)

翠櫻すいおう……?)

(あなた様の兄上であり、次期国王様です!)

 琰耀えんようはハッとした。

 そういえば、養母ははが言っていた。

 琰耀えんようは若き王妃の次子だと。

(お逃げください、どうか、どうか!)

(嫌です)

 琰耀えんようは次々と襲い掛かってくる人間を舞うように避け、反撃を繰り返していった。

(そ、そんな!)

(わたしは龍神族の兄上のことはよく知りませんが、きっと、きっと琰櫻えんおう義兄上ならば、貴方のことを見捨てず、戦うはずです。違いますか?)

(で、でも!)

(痛みで辛いでしょうが、少し待っていてください。すぐに助けます!)

 琰耀えんようは相手の攻撃を五行珠の『きんぞく』の力で弾きながら、『風』と『水』の力で雷鳴を呼び、敵の頭上へと落としていく。

 あたりに肉が燃えるにおいが立ち込め始めた。

「か、勝てない!」

「魔術師共も戦えよ!」

「くっ、これだから無才の人間は役に立たないのだ」

 三人の魔術師たちが戦いに参加してきた。

「おい、ガキ! 大人しくすれば龍を逃がしてやってもいい。その代わり、お前が……、うああ!」

「あなたたちとの取引には応じません。二人そろってここから出て行かせていただきます」

 それに、と、琰耀えんようは笑いながら言った。

「あなたたちはわたしのお師匠様より弱くて怖くないですから」

 琰耀えんよう禪寓閣ぜんぐうかくで魔術師の師匠からしごかれた日々を思い出しながら、攻撃を続けた。

「クソガキがぁあ!」

「あなたたちこそ、首領を差し出せば、怪我無く捕縛して差し上げます」

「なめやがって!」

 どうやら、この中に密猟団の頭領はいないらしい。

「逃がしませんよ!」

 上の方で怯えた商人たちや加工職人たちが逃げ出そうとしていたので、くうから弓を取り出し、開かずのまじないをかけた矢をすべての門に放った。

「全員、陛下の御前で裁かれると良いでしょう」

 琰耀えんようは宙を舞いながら風を起こし、火を操り、水で押し流しながら戦った。

 一時間が経った頃、魔術師たちは疲弊と流血で動かなくなり、バタバタと地面に倒れていった。

「えっと、鍵は……、あった」

 琰耀えんようは魔術師の腰から鍵をとると、檻に近づき、扉を開け放った。

「ああ、太子様! ありがとうございます!」

 琰耀えんようは杭を素早く引き抜き、傷口に簡単な応急処置をした。

「なぜわたしが太子だとわかったのですか?」

「そ、それはもう、その、えっと、翠櫻すいおう殿下にそっくりだからです」

 言いよどんでいる。

「あの、絶対に誰にも言わないと約束するので……」

 龍は困ったように頭を下げると、小さな声で話し始めた。

「実は、宮城きゅうじょう内の美術館に琰耀えんよう殿下の肖像画があるのです。それも、毎年更新されていまして……」

「え! ど、どうやってわたしの姿を……」

 龍は困ったように目を伏せながら「こ、これ以上は……。え、琰櫻えんおう殿下にお尋ねくださいませぇ……」と身体に比べて小さな手で頭を抱えてしまった。

「わ、わかりました……」

琰耀えんよう殿下のことは龍王谷では最重要事項なので、殿下本人にも、僕のような者の口からはお話しできないのです。許可を得ないと……」

「そうなんですね。すみません、無理に聞き出そうとしてしまって……。さぁ、そのまま飛んでお帰りください。誰にも見られないうちに」

「はい! このご恩は決して忘れません! 絶対に!」

 龍はぐっと身体に力を入れると、鱗が仄かに輝き出し、空へと泳ぐように昇って行った。

「綺麗だなぁ……。あ、感動している場合じゃなかった」

 琰耀えんようはすぐに手紙を書くと、商人たちに近づいて行った。

「あの、ここにはどの程度の食料がありますか?」

「え、えっと……、十日分ほどなら……」

「じゃぁ、大丈夫そうですね。祥国のどこかの軍が捕縛しに来るまで、ここで生き延びていてください。では、お先に失礼します」

 琰耀えんようはそう言うと、一人、洞窟から外へと飛んで出て行った。

 そのままの勢いで最初に見つけた野営地へ戻ると、密猟者たちを捕まえ、それぞれの天幕の中へと押し込み、十日分ほどの食料を渡して天幕の周りに木の塀をたてた。

「何もせず、おとなしく捕まるのを待っていてくださいね」

 これをすべての野営地で行うと、琰耀えんようは真昼の陽射しの中を金苑に向けて出発する準備をした。

「軍が来て捕まえて金苑に連れて帰るのに二週間以上かかるはず。その間に、吏部尚書の息子のお店を調べようっと」

 仕事はまだ終わっていない。

 琰耀えんようは来た時と同じように、空へと飛びあがった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る