第漆集:移動

 午後、ゆったりとした時間の中薬草を干していると、禁軍部隊長のえいがやってきた。

「おお、睿殿。ごきげんよう」

「ごきげんよう、殿下。陛下からのお手紙をお持ちしました」

 いつも通りのさわやかな笑顔。

 睿は小脇に抱えていた書簡の入った箱を琰耀えんように差し出した。

 琰耀えんようはそれを受け取ると、睿が珍しく額に汗を浮かべているのに気づいた。

「ありがとうございます。あ、お茶でもどうですか?」

「お気持ちだけ。今日は新人たちの練兵でてんやわんやで」

「あらら。だから汗をかかれてるんですね」

「陽の昇らないうちから走り込みがありましたからね。私は殿下への伝令というすばらしい仕事のおかげで、こうして抜け出せているというわけです」

「あはは。では、いくつか点心を持って帰って下さい。みんなで食べれば元気も出ますよ」

「ありがたく頂戴いたします!」

 睿は甘いものが好きなので、嬉しそうに元気よく頭を下げた。

 が用意してくれた、これでもかとたくさん点心を詰めた岡持おかもちを嬉しそうに持ちながら、睿は門へと向かい、「では!」と禁軍の練兵場へと帰って行った。

「さ、依頼を読もうっと」

 琰耀えんようは外廊下へ座りながら、手紙を広げた。

「えっと、『密猟者について』って書いてあるなぁ」

 内容は、『最近、祥国内で狩人の登録をしていないにもかかわらず、鹿や猪だけではなく、精霊獣までもを殺害し、その皮や臓器などの生体組織を勝手に売り捌いている者たちがいる。調査し、可能ならば捕えてほしい』とある。

「密猟者の出現場所は様々だけど、出所でどころ不明な商品を扱っている店は判明しているのか。ああ、そのうちの一つが吏部りぶ尚書の息子が営んでいる店で……、なるほど。これは他の人には頼めないね」

 『補足』と書かれている欄には、『吏部尚書は宰相派閥の要人で、店を営んでいる息子は景耀けいようの手下だという噂がある。くれぐれも慎重に動いてくれ』と、二人にしかわからない暗号で書かれていた。

 この暗号は、幼少期に玲耀れいようが遠く離れた地にいる琰耀えんようと手紙のやり取りを安全に行うために作り出したものだ。

「店からさかのぼって密猟組織にたどり着くのが楽だよってことね。あわよくば、吏部尚書を罷免できる。宰相派閥の人間は減らしておかないとね」

 琰耀えんようはおだやかな陽気を感じながら、ふと思いついた。

「いきなりお店に行くのはちょっとなぁ。それよりも、さっそく密猟者の目撃地点へ行ってみよう。……わたし、変幻の術は不得意だから、お店には夜に忍び込めばいいか」

 手紙に同封されていた地図によると、密猟者たちが多く目撃されているのは、祥国の南側にある霧深い山中のようだ。

「だから正確な人数も場所もよくわからないんだね」

 水月山すいげつさんは海からの湿気が地熱で温められ、真夏以外のほぼ一年中、昼夜問わず霧に覆われている。

 海側に生えている木々は長い歴史の中で独自の進化を遂げ、乾いて付着する塩分を取り込み、とてもあまじょっぱい樹液を出す。

 祥国では、風邪での脱水症状や熱中症に効果がある生薬として、樹液をお湯で溶いて飲むことが多い。

 琰耀えんようは「いくつか瓶も持っていこう」と、樹液採取用の道具も揃え、くうへ仕舞うと、さっそく出発した。

「歩いて一週間以上。馬だと順調にいったとして、休憩をはさんで二日から三日。山越えはきついからねぇ。でも飛んでいけば休憩しても一日で着く。姿を消して飛んでいこう」

 陽炎の術を使い、姿を消すと、空へと飛びあがった。

 密猟者と出くわすことも考えて、三時間ごとに休憩をとり、充分に体力を回復させながら夜間も飛び続け、水月山へと向かった琰耀えんよう

 着いたのは日付が変わり、ちょうど陽が昇り始めた頃だった。

「わあ、綺麗……」

 目の前に広がる果てしない雲海。

 そこへ、朝陽の柔らかな光があたり、とても幻想的な雰囲気を醸し出している。

「わたしに少しでも絵心があれば、この景色を記録して養母はは上に見せてあげられるのに……」

 琰耀えんようはうっとりとその光景を眺め続けた。

「……龍王谷ってどんなところなんだろう」

 最近知った自分の出生についての事実。

 自分を生んで死んでしまったと思っていた母は、実はまったくの他人だった。

 それを知りながら、養母ははは育ててくれたのだ。

 義兄の玲耀れいようも、実の弟のように愛してくれている。

 常に今が一番幸せだと思いながらも、どこか心に埋められない何かがあったのは感じていた。

 それが何なのか、はっきりとわかったことで、別の望みが少しずつ芽生えてきている。

「わたしを生んでくれた、龍神族の王妃様ってどんな方なんだろう。一度、会ってみたい」

 少しだけ、胸がチクリと痛む。

 養母ははへの裏切りにはならないだろうか、とか、産みの母は一度も息子に会いたいとは思わなかったのだろうか、など、尽きない心配事が浮かんでは沈殿していく。

 「龍王谷に行ってみたい」とこぼしたときの、玲耀れいようの悲しそうな顔が頭を離れない。

 心配せずとも、自分にとって心から「兄上」と呼びたいのは、玲耀れいようだけなのに。

「……眠い。三時間くらい寝ようかな」

 琰耀えんようは頭に巣食い始めた様々な悩みを振り払うように深呼吸をした。

 今から寝ても、午前中の内に動き出せる。

 琰耀えんようは一番背の高い木の上に降り、そこから神域、金剛領域こんごうりょういきへと入って行った。

「ふああ……」

 金剛領域こんごうりょういきは、龍神族が各個人で持っている亜空間のこと。

 琰耀えんようは大樹に絡めとられるように建っている小さめの家へと入り、座布団を適当に板間に並べ、その上に寝ころんですぐに寝息を立て始めた。

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