第陸集:風

「ううん。なぜあんなにも恐れるのか……」

 琰耀えんようは皇宮からの帰り、腕を組みながら唸っていた。

 先日、自分の出生の秘密や、先帝の崩御の真相などを知った琰耀えんようは、そのことについて玲耀れいようとも話そうと、時間を作ってもらい、本日、先ほどまでお茶をしに来ていた。

 そこで、特に意識もせず「龍王谷に行ってみたいなぁ」と口にしたところ、ひどく取り乱した玲耀れいように「ダメだ!」と言われてしまった。

 玲耀れいよう曰く、「もしあちらの方が居心地よかったら、お前は二度と帰ってこないかもしれないじゃないか」とのこと。

 琰耀えんようからすれば、産まれたのは龍王谷でも、育ったのは人間の世界。

 居心地どうのこうのと言う前に、大切な人がこちらには多く生きている。

 離れる理由など、全く思い浮かばないのが正直なところ。

 玲耀れいよう琰耀えんようを大切に思い、貴太妃と共にずっと守ってきてくれたのは充分わかっている。

「もう少しわたしのことを信じてくれてもいいんじゃないのかなぁ」

 琰耀えんようは親王に冊封されたとはいえ、一応、祥国全体から見れば皇帝の重臣だ。

 皇帝の許可なしに国を出て龍王谷のような異界に行くことは出来ない。

「突然のことだったし。時間が必要なのかも」

 兄の気持ちもわからないわけではない。

 琰耀えんようはおとなしく龍王谷に行くことを今は諦めることにした。

「……あ」

 皇宮から出たすぐのところで、珍しい人物が乗った馬車と出くわした。

 琰耀えんようは一応礼をしておこうと、御者を止め、窓越しに話しかけた。

 あとで「お前、挨拶しなかったな?」と言われても面倒なので。

「徳王殿下、ごきげんよう」

 すると、シャッという音と共に開けられた格子窓から、赫 景耀かく けいようが睨みつけてきた。

「……琰耀えんようか。何の用だ」

「挨拶を、と思いまして」

「必要ない。邪魔だ」

 景耀けいようは御者に「さっさと出せ」と告げると、馬車はすぐに琰耀えんようの側から遠のいて行ってしまった。

「……あれが本当に玲耀れいよう兄上の実の弟だなんて信じられない」

 琰耀えんようは溜息をつくと、また家路を歩き出した。

 景耀けいようは先帝と太皇后の間に生まれた次子で、いわゆる宗室そうしつと呼ばれる正当な血統をもつ親王だ。

 太皇后はあまり妊娠しやすい体質ではなかったようで、嫡出子は二人だけ。

 昔から玲耀れいよう景耀けいようは仲が悪く、それを助長するかのように、太皇后の兄である宰相は景耀けいようの方をひいきすることが多い。

 家族でありながらも、皇位が絡むと途端に複雑化してしまう。

「皇位なんて欲しいとも思わないけどなぁ」

 万が一皇帝になってしまえば、自由に遊説することも出来なくなる。

 琰耀えんようには無用の長物なのだ。

「……そういえば、あの道観ってどうなったのかな」

 琰耀えんようは行ってみることにした。

 人気ひとけがない路地に入り、周囲に誰の目もないことを確認すると、常に周囲に浮いている五行珠ごぎょうじゅを出現させた。

陽炎かげろうの術」

 すると、『火』『水』『風』の珠が輝き、次の瞬間には琰耀えんようの姿を完全に透過していた。

「これなら、飛んでも誰にも見られないよね」

 琰耀えんようはさらに『風』の珠を使い、空へと飛びあがった。

 道観までは歩いて行くと山を登らなければならないのでそれなりに時間がかかるが、飛べばすぐにつく。

 それに、上空から様子をうかがうことも可能だ。

「……あ」

 琰耀えんよう僵尸きょうしたちに襲われた道観が見えてきた。

 いや、道観だったものが。

「廃墟になってる……」

 琰櫻えんおうたちがやったのだろうか。

 すべての箱類が開けられ、中身が出ていた。

 僵尸きょうしの遺体は一つも見えない。

 おそらく、野に運び焼いたのだろう。

 道士や趕屍匠かんししょうたちはどうなったのだろうか。

「……何かを探しに来ていたのかな?」

 散らばっているものの中で一番多いのが巻物類。

 ただ、何が持ち去られたのかは不明だ。

「……ん? んん⁉」

 目を凝らして見ていると、ひとりの青年が目に入った。

 赤い髪に、黒い旗袍チーパオを着ている。

 琰耀えんようはすぐに近くに降り立ち、姿を現すと、ゆっくりと近づいて行った。

「……やはり来たか」

「あ、あの」

「大丈夫だったか? もう身体は平気か?」

「あ、えっと、はい……」

「もう知っているのだろう? わたしは琰櫻えんおう。君の……、ある意味双子の義兄あにってところかな」

 琰耀えんようは胸が高鳴るのを感じた。

「わあ! やっぱり! よかった……。またお会いしたいと思っていたんです。わたしは琰耀えんよう。えっと」

「ふふ。好奇心が旺盛なんだな。聞きたいことが山ほどあるといった顔をしている」

「え、わかりますか」

養母はは上によく似ている」

 琰櫻えんおうの言葉に、琰耀えんようはハッとした。

 彼の養母はは上ということは、琰耀えんようにとっては産みの母親ということだ。

「そ、そうなんですね……」

「本当なら、養母はは上に会わせてあげたいのだが……。今日はまだやることがあってな。まぁ、君に、琰耀えんように会えるかも、と思ってここに少し長くいたのは事実だが」

「それは嬉しいです」

「わたしも義弟おとうとに会えて嬉しいよ。では、また」

 そう言うと、琰櫻えんおうは仮面を被り、すっと消えて行ってしまった。

「か、かっこいい!」

 燃えるような赤い髪に、緑がかった美しい目。

 低めの声は玲耀れいように似ており、聞く者の耳を喜ばせる。

 しっかりと鍛え上げられた体躯はひきしまっており、ゆったりとした旗袍チーパオの上からでも、なんとなく強靭さがわかった。

「……わたしの義兄たちはすごいなぁ」

 琰耀えんようはお世辞にも筋肉が目立ちやすい体質ではない。

 龍神族がみんなそうなのかは知らないが、とにかく、見た目で言えば、あまり強そうには見えない。

「お肉料理増やしてもらってるのになぁ……」

 琰耀えんようは再び姿を消すと、空へと飛びあがった。

 少し汗ばむほどの陽気の中、風が身体を通り抜けるのはとても気持ちがいい。

 少しゆっくり飛んで帰ることにした。

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