第伍集:出生の秘密

「ここは……。あ!」

 見渡すと見慣れた天井に百味箪笥。

 枕元には薬と、玲耀れいようや貴太妃、莅春りしゅんやそのほかの兄弟姉妹から贈られてきたのだろうお見舞いの品々。

「……行かなきゃ!」

 琰耀えんようは目が覚めてすぐ、侍従たちの「お、お待ちください!」という焦った声も振り切り、皇宮へと向かった。

 門へ着き、門番に皇帝への取次ぎを求めると、「申し訳ありません」と断られてしまった。

 諦めきれなかった琰耀えんようは近くを歩いていた太監にも取り次ぐよう頼んだが、やはり断られてしまう。

 兄である玲耀れいようは現在朝堂にて執務中らしい。

 会うことは出来なかった。

 それならば、と、行き先を後宮へと変更し、そのまま太監に連れて行ってもらうことにした。

 貴太妃の清蓮宮せいれんぐうの前に着くと、太監に礼を言い、すぐに中へと入って行った。

養母はは上!」

 普段後宮ではあまり聞くことの無い大きな声に驚いた侍女たちは、急いで入口へと集まってくると、すぐに「げい王殿下! 今そちらに行く支度を……」と、慌てた様子だった。

 そんな戸惑う侍女たちの後ろから、高貴な雰囲気を纏って現れた貴太妃は、琰耀えんようの表情から、何かを察したようだった。

「おはいりなさい。玲耀れいようが許可を出してくれたので、あなたを見舞いに行こうとしていたところだったのよ」

「そ、そうなのですか……。ありがとうございます」

 ぎこちないような、どこか張り詰めた雰囲気を感じ取った侍女たちは、そっと控えの部屋へと下がって行った。

 琰耀えんようは貴太妃に促され、室内へ上がると、出された座布団へと腰かけた。

養母はは上! ご存知ならば、すべて話してください!」

 開口一番に出た言葉だった。

 いつもならば礼を尽くし、養母ははに詰め寄ることなどしないのに。

 琰耀えんようには余裕がなかった。

「……どこまで知ってしまったの?」

 貴太妃は毅然とした態度で義息子むすこの質問へと立ち向かうことを決めた。

 琰耀えんよう養母ははの目をまっすぐと見ながら、ゆっくりと話していった。

「先帝の亡くなり方や、伯父上がなぜあのような凶行に出たのか、の、まことかい。そして、わたしがどこかの〈太子〉であることです」

 貴太妃は深く息を吸い込み、静かに吐き出した。

「まずは、あなたが無事で本当によかった。そして、十九年間、ずっと隠していて本当にすまなかったわ。義妹との、淑妃との約束だったのよ」

「は、母上との?」

「これから私が話すことを、誤解しないで聞いてちょうだい」

 貴太妃は立ち上がり、化粧棚の鏡の奥から、一つの小箱を取り出し、戻ってきた。

 再び座ると、その箱を琰耀えんようの前へと置き、蓋を開けた。

 中には古びた一通の手紙が入っていた。

「淑妃からのよ。来月のあなたの誕生日に渡そうと思っていたの」

 琰耀えんようは箱の中から、まるで初めて赤子に触れるような、そんな震える手で、手紙を取り出した。

「あなたは……」

 貴太妃の声が少し遠く聞こえるような、不思議な感覚。

「龍神族との〈取り替え子〉なの」

「と、とりかえ、こ?」

 琰耀えんようの中で、何かがほどけ、別のものへと紡ぎ直されていく。

「太皇后と宰相の二人がなぜ先帝を僵尸きょうしにしてまで生きながらえさせたかったのかは、まだわかっていない。でも、義兄上あにうえが……、禁軍元大統領が陛下を殺害したのは、陛下に懇願されたからよ。『こんな身体で生きていたくない。どんどん思考が鈍くなっていくたびに、獣に変わっていくのだ。頼む。愛する女性との思い出を覚えているうちに、殺してくれ』と」

「ど、どうやって陛下に異変が起きていることを知ったのですか?」

「淑妃の侍女が偶然、見てしまったのよ。宰相の部下たちが、入宮してきたばかりの若い眠らされた宮女を、陛下の寝所に運び入れているのを。不審に思った彼女は、いけないことだとは思いつつも、陛下の寝所を覗いたの……」

 貴太妃は口元を袖で覆い、目をぎゅっと瞑り、言った。

「部屋のはりに何人もの宮女が吊るされていて、そこから管が伸びていたらしいの。その管には赤い液体、つまり、血液が流れていて、その先に、皇帝が寝ていたのよ。たくさんの管を身体に差し入れてね」

「そ、それは、僵尸きょうしにした者のこんはくを繋ぐための呪術ではありませんか!」

「侍女は恐怖のあまり、泣きながら淑妃と私に報告したわ。私は貴妃という立場を使って陛下の寝所へ乗り込もうとしたのだけれど、皇后と宰相にのらりくらりと阻まれて無理だった。だから、淑妃の兄で、私にとっても兄のような存在の大統領が『俺が行く』と……」

 貴太妃はそっと涙を拭うと、気丈にも話し続けた。

「作戦を決行する前日、義兄上は私の父のつてで、ある場所へ行ったの」

 琰耀えんようの鼓動が早くなってきた。

「それが……、龍王谷りゅうおうこくよ。あなたが本当に産まれた場所」

 琰耀えんようの目から涙が流れた。自分ではどうすることも出来ないほど。

「そこで、義兄上は頼んだの。『妹の子供をかくまっていただけませんでしょうか』と」

 手が震える。指先が冷たくなっていく。

「龍王谷側も、それを望んだわ。伝統である、人間の子供と龍神の子供を取り替えて育てる〈取り替え子〉という儀式が必要な時期だったそうよ。二つ返事で契約が決まり、龍神族からは若き王妃の次男が選ばれたの。それが、あなたよ」

 琰耀えんようは今まで感じないように制限してきた違和感がどっと押し寄せてきた。

 話に聞いていた淑妃は髪が赤く、緑がかった黒い瞳をしていたというが、自分は全く違う。

 それどころか、腹違いの兄である玲耀れいようとも似ていない。もちろん、ほかの義兄弟姉妹たちとも。

「わたしは……、まったく血が繋がっていないのですね……、兄上とも、母上だと思っていた淑妃とも……」

「そんな! 血のつながりなどなんだというのですか! 私を見なさい、琰耀えんよう

 貴太妃に頬を包まれ、琰耀えんようは涙が流れるのを止められないままその瞳を見た。

「私はあなたを愛しているわ。玲耀れいようもよ。もちろん、莅春りしゅんだって、他の兄弟姉妹きょうだいたちだって。血が繋がっていなければ家族になってはいけないの? 家族とは呼べないの? 私を、養母はは上とは呼んでくれないの?」

 貴太妃は大粒の涙を流しながら、琰耀えんようの身体を優しく抱きしめた。

「……養母はは上は、わたしの大事な養母はは上です」

「あなただって、私の大事な義息子むすこよ。自慢の可愛い子供だわ」

 二人は顔を見合わせると、照れたように微笑んだ。

 身体を離し、手を握り合うと、琰耀えんようは不思議に思っていることを聞いた。

「わたしが選ばれたということは、わたしはすでに生まれていたということなのでしょうか? 実は二十歳とか」

「ああ、違うのよ。生まれたのは淑妃の子の方が一週間くらい先。龍神族は女性が胎内に宿す子供によって、妊婦の目の色が変わるらしいの。女の子だったら桃色。男の子だったら浅葱色。どちらとも決まっていない場合は黄金色になるそうよ」

「へぇ……。では、その、なんといいますか、産みの母上? の王妃様? は、瞳が浅葱色になっていたから、わたしが男だとわかったのですね」

「そのようね。あなたは龍王谷に行けば、王と王妃の息子だから、当然、太子たいしということになるわ」

「だからあの時、わたしのことを〈太子様〉と言ったのか……」

「え? 誰かにそう言われたの⁉」

 貴太妃は握っていた琰耀えんようの手を放すと、自身の口元を抑えた。

「あ、あの、えっと……。実は、僵尸きょうしの群れから助けてくれた人がいまして。その人の近衛兵のような人たちがわたしのことを〈太子様〉と……」

 琰耀えんようは話しながら何かが頭の中で繋がっていくのを感じた。

「助けに来てくれた人は、龍神族の戦装束であるめんをつけていて……。髪が赤かった……」

 琰耀えんようと貴太妃は「それって……」と言葉が詰まった。

 一瞬の静寂。

 春の陽気に誘われてきた小鳥たちの可愛らしい鳴き声が響き渡り、心地の良い風が吹き抜けた。

琰櫻えんおうだわ!」

 静けさを吹き飛ばすように、貴太妃は声を出した。

「間違いない! それは琰櫻えんおうよ! 琰耀えんようにとっては複雑だけど、一応義兄だわね」

「え、え⁉ つまり、あの青年が……、淑妃の実の息子ということなんですね⁉」

「おそらくは。うん、きっとそうよ。龍王谷側は〈人間〉の王朝のことなど気にしないから、おそらく全部話しているはずよ、琰櫻えんおうには」

「そういうことだったんですね……」

「あらあら。でも、どうして龍王谷から出て活動しているのかしらね?」

「ううん。実の母親とその兄が亡くなった真相を突き止めるためとか……?」

「……なんだか物語の世界の話みたいね」

「そうですね。推測通りだったとしたらびっくりです。ただ……」

 琰耀えんよう琰櫻えんおうの姿を思い浮かべ、少し照れ臭そうに微笑んだ。

「もう一度お会いしてみたいです。お互いのことを話せたらいいなって思います」

「それは素敵ね。きっとまた会えるわよ」

「ええ。そう願います」

 一陣の風が吹いた。

 桜の花弁を舞い上げ、まるで踊っているように。

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