第肆集:仮面

「ここで六件目の道観だ」

 今まで巡ってきた五つの道観のうち、二件には趕屍匠かんししょうが所属していたものの、銀鉤ぎんこう教に繋がりそうなものは何一つ出てこなかった。

「陽も暮れてきちゃったな」

 時間は十六時半。

 あと三十分もすればあたりは昏くなってしまう。

「とりあえず、行ってみるか」

 すでに道観の門は閉まっていたが、軽く叩き、出てきた道士に「趕屍匠かんししょうの方がいらっしゃいましたら、少しご相談したいことがあるのですが」と言い、中へと入れてもらった。

「ようこそいらっしゃいました。ご用件をお伺いいたします」

「あなたがこちらの趕屍匠かんししょうですか?」

「ええ、そうです」

 美醜についてあまりとやかく言いたくはないが、実は趕屍匠かんししょうになるための条件の一つに、『容姿が醜いこと』というものがある。

 ただ、目の前にいる人物はあきらかに醜さとは縁がなさそうな、涼し気な美丈夫だ。

「家族が鉱山労働者でして。現地で病に伏せっており、このままではどうにも危なそうだということで、助言を乞いにまいりました。何分、こういったことが初めてなもので……。趕屍匠かんししょうの方にお会いするのも、もちろん初めてです」

「なるほど。それは大変ですね。では、趕屍匠かんししょうの仕事についてご説明申し上げますね。こちらへどうぞ」

 そう言われ、連れていかれたのは祭祀場だった。

 荘厳な祭壇が中央にあり、壁沿いにはたくさんの棺桶が並んでいる。

 現在、弔っている遺体はないらしい。

 木製の台に乗っている二つの棺桶には、誰も入っていない。

「ああ、すみません。あまり広くはないので、ここで棺桶の仕上げもしているのです」

「そうなんですね」

 室内はよく掃除されているようで、とても清潔感がある。

 石材の床が少し寒々しく、足元が冷える。

 回ってきた五件の道観と比べても、特におかしいところは見受けられない。

「……で、本当は何の御用ですかな? げい王殿下」

 突然ごうを呼ばれ、琰耀えんようは目を見開いた。

「知らないとでも? 銀鉤ぎんこう教徒を甘く見ないでいただきたいですねぇ」

「自ら明かすんですね」

「……? 全部知ったから来たのでは?」

 琰耀えんようは男の発言に身に覚えがなく、答えられなかった。

 男は琰耀えんようの態度を不審に思い、探るように問うた。

「お前……、本当に何も知らないのか?」

「それはどういうことですか」

 男の中で、琰耀えんように対する見方が変わっていく。

「敵だった私が言うのもなんだが……。あの清廉潔白を絵にかいたような禁軍元大統領が、本当に私利私欲のためだけに先帝を殺したとでも思っているのか?」

 琰耀えんようは眩暈がした。

 目の前の男が何を話しているのか、理解が追い付かなかったからだ。

「ここに来たのは、別に過去の話がしたかったわけではなくて……、でも……」

 琰耀えんようの中で、抱いていた嫌な予感が大きく鐘を鳴らし始めた。

「お、伯父上には、何か理由があったのだと思い込もうとしてきたけれど……、ほ、本当に、皇族を、その頂点を殺さなければならない理由があったんですか⁉ 知っているなら、教えてください!」

 男は琰耀えんようの必死な様相に気を良くしたのか、高らかに笑い出した。

「あははははは! 哀れな淑妃。息子がとんだ世間知らずに育ってしまったな! くっくっく……」

「そんな……。母上……。母上はすべてをご存知だったとでもいうのですか……」

「あたりまえだろ。お前の母親は先帝にとって最期の寵妃。人生でも、最後の女だっただろうな。夫を失っていたと知った時の悲しみは、さぞ堪えたことだろう」

「う、失っていた……?」

 男は口元をゆがめ、最高に愉快な玩具を見つけた子供のように笑った。

「皇帝は、大統領にとどめを刺してもらうまでの三か月間、ずっと生ける屍……、僵尸きょうしだったんだよ! あはははは! 皇帝は淑妃の胎に子供を宿してすぐ流感りゅうかんに罹り、肺炎まで悪化してあっけなく崩御した。俺はその時にすぐ皇后と宰相に呼ばれ、依頼された通りに寝所にて反魂はんごんの術やら何から何まで施し、皇帝の生存を偽装した」

 琰耀えんようは手が震え、感情がうまく整理できずにいた。

「そ、そんな……。何故そんなことを……」

「それは自分で調べるんだな。俺も、べらべらと秘密を振り撒いて太后たちに恨まれたくないんでね!」

 男は素早く札を取り出すと、親指を噛みちぎり、それを札に塗りつけながら符呪ふじゅをかけた。

「このガキを殺せ!」

 札が独りでに燃えた次の瞬間、壁に沿って並んでいる棺桶から二十体の僵尸きょうしが飛び出してきた。

「ここで死ね」

 男は儀式用の木剣もっけんを持ち、それに数色に分けられた砂を乗せると、息を吹きかけた。

「うがあううああ!」

 砂が火薬のように弾け、数発の閃光が瞬いた。

 それが僵尸きょうし達への指示だったのだろう。ある者は剣を持ち、ある者は鎖を振り回すなどして、生前得意だったであろう武器を持って襲い掛かってきた。

 僵尸きょうしの剣が琰耀えんよう籠手こてを裂き、腕に到達した。

「……ど、どういうことだ⁉」

 男は驚愕の表情で後ずさった。

 琰耀えんようの皮膚からは血が一滴も出ないどころか、傷一つつかなかったのだ。

「な、何者……」

 琰耀えんようは男が動揺しているうちにくうからつるぎを出し、構えると、舞うように距離を詰め、僵尸きょうしたちの間に入り、その腕や足を斬り落としていった。

「な!」

 男は次々と戦闘不能にされていく自身の傀儡たちを見ながら、ある御伽噺を思い出していた。

 そしてそれが実際に行われたのだと、頭の中で確信し、祭壇へ駆け寄った。

「たしか……。あった!」

 男は古びた箱を取り出すと、中から黒い刃の蕨手刀わらびてとうを取り出した。

 そしてそれをまだ戦える僵尸きょうしに向かって投げ、「これを使え!」と指示をした。

 琰耀えんようはその間も次々に僵尸きょうしを斬り伏せていった。

 しかし、男が僵尸きょうしに渡した蕨手刀わらびてとうが肌をかすめた瞬間、視界がぐらりと揺らいだ。

「うっ」

 普通の剣では傷すらつけることが出来ないほど丈夫な皮膚に、刃が滑った。

「そ、それは……」

「ひひひひひ! 我ら銀鉤ぎんこう教が他種族に対して何の策も用意していないと思ったか? くくくくく……。まさか、淑妃の息子が龍神族とはなあ!」

 まるで焼灼されているかのように傷口から煙が立ち昇った。

 刃に塗られていた何らかの毒液が、琰耀えんようの血液に反応しているのだ。

「その蕨手刀は中原大陸より極東にある島国、葦原あしはら国で作られたもの。ドラゴンと呼ばれる種の中でも最弱でありながら、絶対に捕食されることが無い小さな蛇竜じゃりゅうの体内で生成される毒と血液が練り込まれた特別なはがねを使っているそうだ。なぜならば、この世界で唯一その毒が、龍神りゅうじんを殺すことが出来るからだ!」

 琰耀えんようは体内を巡る蛇竜毒じゃりゅうどくの効果にあえぎながら、それでも立ち向かおうと剣を握りしめた。

 その時だった。

 それはまるで赤い閃光のように目の前を横切り、琰耀えんように襲い掛かってきていた僵尸きょうしたちを斬り伏せていった。

「ここはまかせて、君は逃げるんだ!」

 琰耀えんようは心臓が跳ねるのを感じた。

 なぜなら、目の目にいる青年の顔に、見覚えのあるめんがついていたからだ。

「そ、それは……」

「話は次に会った時にしよう」

「え! で、でも」

「いいから、はやく!」

 そうこうしているうちに、仮面の青年の仲間たちが駆けつけ、場は騒然となった。

 しかし、琰耀えんようの心臓は別のことへの高鳴りで抑えがきかず、もはや混乱を通り越していた。

 なぜなら、仮面の青年がつけている面は、龍の鱗で作られた、龍神族の伝統戦装束のひとつ。

 五行珠ごぎょうじゅを持って生まれなかった無珠むじゅの龍神族が、『火』『水』『土』『風』『金』の力を使うために、それに適応した面を付け替えて戦うのだ。

(彼はいったい、何者なんだ⁉)

 それに、彼の仲間たちも尋常じゃないほどの強さだ。

 口元を隠す黒い布で顔がはっきりとは見えるわけではないが、ただの〈人間〉だとは思えない。

 琰耀えんようがまだ戦おうと剣を構えると、仮面の青年の仲間が一人、琰耀えんようの身体をひょいと担ぎ上げ、その場から遠ざかり始めてしまった。

「あ、ちょっ!」

太子たいし様、ご勘弁を」

「……え?」

 男性はその後一言も発することなく、琰耀えんようを担いで夜の中を駆け続けた。

 琰耀えんようは色々と聞きたいことがありすぎて、追求しようと口を開けたが、身体に巡ってきた毒で、次第に意識が遠のいていってしまった。

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