第参集:最初の依頼

げい王殿下! 廊下は走らないでくださいまし!」

「ご、ごめんなさい! さん!」

 金苑きんえんに戻ってきてから一ヶ月が経ち、新しい屋敷や生活環境にも慣れ始めた頃。

 侍従長として侍従と侍女を束ねている敏腕侍女のに、今日も怒られている琰耀えんよう

「まったく! 親王にほうじされたばかりなのですよ⁉ もっと優雅にふるまってくださいまし」

「は、はあい……」

 琰耀えんようはすぐに立ち止まり、李の反応を見ながらゆっくり歩きだした。

 先日、太常寺が選んだ最も縁起のいい日に、礼部尚書直々の監修のもと、盛大な儀式が行われ、琰耀えんようはめでたく親王に冊封された。

 貴太妃は涙を流しながらその様子を目に焼き付けるように見つめ、玲耀れいようもどこか誇らしげな表情で冠を授けてくれた。

(まさかあんなに豪華な式になるとは思わなかったなぁ……)

 その場にいた多くの人々がその美しい光景に感嘆する中で、二人、恐ろしいまでの怨念をにじませた表情を浮かべている人物がいた。

 琰耀えんようの存在を憎んで止まない、太皇后と宰相である。

 そのせいだろう。太皇后の他の子供たちは体調不良を理由に一人も参加しなかった。

(あの二人も嫌なら参加しなきゃよかったのに)

 琰耀えんようは素敵な空間にいつも嫌な感情を残していく太皇后と宰相に溜息をついた。

「殿下! 洗濯物がまだ出ていませんよ!」

「あ、は、はい!」

 そんなすこしチクチクとする心に喝をくれる李の声。

 ありがたいと同時に、琰耀えんようにはある考えが浮かんでいた。

 李の採用は、兄であり祥国皇帝の玲耀れいようと、養母の貴太妃の陰謀だと、琰耀えんようは思っている。

 あの二人は、わざと厳しい侍従長を選んだのだ。

 琰耀えんようの性格を見越して。

(うう、覚えてろよお!)

 琰耀えんようはしずしずと廊下を歩きながら、大好きな二人に言いたい文句を頭の中で思い浮かべた。

「霓王殿下はいらっしゃいますか?」

 その時、門の方で琰耀えんようを呼ぶ声が聞こえた。

 走るわけにはいかない。侍従が対応している間に、ゆっくりと門の方へと向かっていった。

 侍従の案内の方が早かったらしい。

 赤い甲冑を身に着けた男性が歩いてきた。

「ああ、殿下。陛下からお手紙ですよ」

「おお、えい殿。いつもありがとうございます」

 万 睿ばん えいは皇宮守護の禁軍で部隊長をしている青年だ。

 切れ長な目と涼やかな口元がかっこいいと、女性からとても人気があるが、当人はまったく気にしていないらしい。

「早速、天狼てんろう隊へのご依頼ですか?」

「そうみたいです」

 三日前、聖旨により、正式に『天狼隊』の活動が認められた。

 時間がかかったのは、太皇后と宰相が邪魔をしてきたからである。

 それでも、玲耀れいようは毅然とした態度で意見を押し通した。

 今回はその天狼隊の初仕事というわけだ。

「大統領からはいつでも力をお貸ししろと言われているので、必要な時はお声かけくださいね」

「それは助かります。睿殿は江湖こうこでも噂になっていましたから」

「それは光栄です」

 えいは禁軍の若手の中でももっとも武術の腕が高く、大統領不在時に代理を務めたことがあるほどの武人。

 玲耀れいようからも特に信頼されている者の一人だ。

「今回は一人でこなせそうなので、睿殿はお仕事にお戻りいただいて大丈夫です」

「わかりました。くれぐれもお気を付けください」

 睿は胸の前で右手拳に左手のひらを添え、頭を下げた。

「では、失礼いたします」

 颯爽と外套を翻して帰って行く様は、つい魅入ってしまうほどかっこいい。

「わたしも甲冑とか着ればああなれるのかな……。いや、でも動きづらいしいいや」

 琰耀えんよう玲耀れいようからの手紙を懐に入れ、自室へと戻って行った。

 引き戸を開け、中へ入ると、豊かな生薬の香りが外まで広がっていった。

「ありゃ、そういえば、全部出しっぱなしだ」

 部屋の壁を覆うように置かれた百味箪笥にはそれぞれ分類わけされた薬草や種子、干し果実、粉末化された生薬などが入っている。

 薬術は禪寓閣ぜんぐうかくにいた間に習得したもので、それも、必要に駆られてのことだった。

 琰耀えんようは無茶のし過ぎで、龍神族の強靭な肉体を持ちながらも、傷の絶えない子供だった。

 さらには、幼少期のころ、太皇后による毒殺の危険にさらされていたこともあり、師匠から「お前は武術よりも先に薬術を覚えるべきなんじゃないか?」と言われ、教えを乞い習い始めたのがきっかけだ。

 床には本草学や医術、鍼灸、薬膳の本が散らばっている。

 昨夜、侍従や侍女たちのための常備薬を作っており、完成した安堵からそのまま寝落ちてしまったのだ。

「李さんに見られたら怒られる……」

 琰耀えんようは急いで片付けた。

 幸い、薬草が放つ独特な香りについては誰も文句を言ってこないので、そこだけは安心している。

「ふぅ……。なんとか綺麗に見える部屋になったぞ」

 とりあえず、足の踏み場は確保できた。

 琰耀えんようは板間にそのまま座ると、小さめの机を引き寄せ、玲耀れいようからの手紙を取り出してじっくり読んだ。

「兄上は字が綺麗だなぁ。っと、そういうことじゃなくて、えっと何々?」

 内容は、『銀鉤ぎんこう教について調べてほしい。怪しいのは道教の寺院。対象は……』。

趕屍匠かんししょう? 遺体を僵尸きょうしにして遺族の元まで運んでくれる道士様のことだっけ」

 趕屍匠かんししょうとは、道士の中でも、数多の複雑な術式を使いこなし、鉱山などの険しい道を難なく通過することが出来る身体能力があり、墓荒らしをするような盗賊から遺体を護りきる武力をもっていないと就けない職業だ。

 まさに文武両道。精鋭中の精鋭。

「理由は……、何度読んでも書いてないや。ま、いいか。まずは全部の道観どうかんに行って、趕屍匠かんししょうが所属しているか調べなきゃ」

 琰耀えんようはさっそく向かうことにした。

 部屋から屋根伝いに外出すると李に怒られるので、おとなしく廊下を歩き、正面の門から出て行った。

 春の陽気に温められた優しい風が吹いている。

(お師匠様には直観を大事にしろって言われたけど、それを重んじるなら、少し嫌な予感がする……)

 琰耀えんようは空を見上げた。

 北東の方角に、厚い雲がかかり始めていた。

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