日曜日『雪の果て(ゆきのはて)』

『雪の果て(ゆきのはて)』


 首元で切り揃えられた真っ白のショートヘア。翡翠色の瞳をしたあいつが、オレを見つけて微笑み、手を振りながら近づいてくる。

「ひいくん、差し入れ持ってきたよ‼ 入れて‼」

 オレが今まで出逢った中で一番美しい人。何がしたいのかわからないあいつは、オレをひいくんと呼ぶ。本名に全くかすりもしてなくて、学生時代に呼ばれていたあだ名でもなく、日曜日に出逢ったから、ひいくん。勝手なあいつがつけた名前を、オレは気に入っている……はずだ。

ニュースでこの冬最後かもしれないと言われていた雪を見て、まるであいつに出逢ったあの日みたいだと思い出し、口元が緩んだ。

「まーた変な妄想してるんでしょ?」

怪訝な顔で首を傾げた彼・ゆきすけは、いつどこで見ても美人で、見ているとイライラする。「してないし、入れない」と返すと、ゆきすけは勝手に門扉を開けて「そんなこと言っても上がっちゃうもんねー」と綺麗な顔で笑いながら入ってきた。



 オレとゆきすけが出逢ったのは、日曜日。あの日も今日みたいに、この冬最後の雪が降っていた。


「叔母さんに頼まれたんだよ‼ 寒いから入れてよ‼ 凍えちゃう‼」

珍しくピンポンとチャイムが鳴って、出たのが運の尽きだった。親戚だと名乗るそいつはゆきと言ったが、早々に「ひいくん」という変なあだ名をつけられた。だから、オレも「じゃあ、お前はゆきすけな」と言う。面倒臭いと思われたら、帰ってくれると思って言ったのに、ゆきすけは「ええ? 嫌だよ。俺のことはゆきって呼んで」と言いながら、勝手に部屋に上がってきて、持っていたビニール袋三つをテーブルの上に置いた。いくら親戚でも、会ったこともない他人の家に急に来て、テーブルの上に荷物を置くやつがあるか。絶対変な奴だと思ったし、実際変な奴だった。母さんから、親戚が来るなんて聞いていなかったから、電話で聞いたら「わからない」と言われて、めちゃくちゃ警戒した。しかし母さんがパートから帰ってきて、ゆきがオレより先に母さんに挨拶すると、母さんは思い出したように「そういえば、そうだったわね‼ 仲良くしなさいよ‼」と言ったのだ。

色んなことがものすごく怪しかったが、うちの家庭内カーストでは母さんが一番上で、オレは愛犬より下だから、従うしかなかった。

在宅ワークというものに理解のない両親の元、家賃や光熱費諸々を浮かせたいが為に、実家で暮らしていると、特に母さんはオレをニート扱いしてくる。家に金を入れると「怪しい仕事してないでしょうね⁉」と怒られる始末で、母さんが見てる番組で早く在宅ワーク特集やれ……と思いながら、毎日を過ごしている。

ゆきすけはというと、この一年、毎週日曜日には必ずオレの家に来る。差し入れと評してお菓子とジュースを買ってきて、オレの家にあるアナログゲームをどこからか持ってきて「やろうよ‼」と言ってくる。そう、それに付き合ってもう一年経つのだ。

母さん・父さん・妹と仲良くなったゆきすけは、堂々とうちに来るようになった。ゆきすけが美人だから、特に妹は日曜日を楽しみにしている。友達と遊ぶのも、わざわざ断る有様だ。人間はどうしようもなく美に弱い。母さんも父さんも事あるごとに「ゆきちゃんは綺麗だからねぇ」と何でも許していて、普通に怖い。美は人を狂わす。それも一瞬で。

オレはゆきが人間ではないと思っている。出逢ってからの些細な違和感もそうだが、一番の理由は、その美貌である。どう考えても人間の域を超えていて、リビングや和室にいる違和感がすごい。絶対人間じゃない。でもなんでうちに来て、オレに絡むのかわからない。触らぬ神に祟りなしという言葉を信じて、やり過ごしている。最近は派手な髪の毛やジェンダーレスな格好も流行っているから、若者としては普通なのかもしれないが、ゆきすけの顔を近くで見た時に、ビー玉のような翡翠色の瞳がカラコンではないと気づいて、これは絶対人間ではない‼ と確信した。緑色の瞳を持った外国人と結婚した人は親戚にいないから、外国人・ハーフやダブルではないはずだ。しかし、買ってくるお菓子とジュースはポテチとかオレンジジュ―スとか普通のチョイスだし、アナログゲームも普通にプレイしていて、現代人だと言われてもまぁそうだろうなと思うから、よくわからない。ゆきすけが人間じゃないと思ってから、家に来たり、人に寄生したりする怪異について調べたが、当てはまりそうなものが出てこなくて、ゆきすけがうちに来なくなる前に正体を暴きたいと思っている。幽霊・妖怪、神様や怪異というものは「許可がないと立ち入れない」というが、最初に「寒いから入れてよ‼」と言われた時に「どうぞ」とか言った覚えがないし、今日だって断っている。もし怪異だとしたら、許可なしに入れるというのは、強い怪異ということになる。ああ、やはり触らぬ神に祟りなし、ということか。でも暴きたい。オレは好奇心旺盛だから。小さい頃から、そういうものはいるという前提で暮らしてきた。だから別に怖くはない。何でも、長い時間見ていれば見慣れるもんだ。座敷童みたいなものだと思えば、少しはかわいく見えてくる。


 ゆきすけとの出逢いを思い出しながら、人生ゲームを広げていると、ゆきすけがリビングから和室に戻ってきて、二人分のオレンジジュースを机に置いた。ゆきは持ってきた器にポテチを移して、チョコのパッケージを開けて、ひとつ口に入れる。

「ひいくん、今日先攻ね。俺、後攻」

「……ひいくんって、由来あったっけ?」

「ひいくんは、日曜日に出逢ったから、ひいくんだよ」

「は?」と言ってから、ギクッとした。ヤベェ。聞かないほうがよかったか。ゆきは平然と答えたが、従兄弟なら普通名前で呼ぶだろう。普通は、誰々さんとこの〇〇くんだろ。

「ゆきすけじゃなくて、ゆきって呼んでよ。一回でいいから」

「なんで?」

「なんでも」と言ってこっちを見たゆきの瞳が本気っぽくて、オレは圧に屈して「ゆき」と呼んでしまった。そして気づく。ああ、これオレ選択肢間違えたかも、と。

「日曜日に出逢ったから、ひいくん。そうでしょ?」

「ああ」と返事をする。頭が回らない。おい、嘘だろ。本当に、人間じゃないのか。

「今日は最後なんだ。だから、楽しく終わろうよ」

そう言ってゆきは、オレの手を掴んで、ルーレットを回させる。オレは出た目の数、駒を動かして、そのマスに書いてある指示に従い、手元にあった架空の通貨を出す。そして「次はゆきの番」と言った。最後ってどういう意味だよ、とは聞けずにゲームは進んでいく。夕方になって、妹が帰ってきて、それから母さんが帰ってきた。母さんがご飯を作っている間に父さんも帰ってきて、カレーの匂いが漂ってくる。

「そろそろかな」

最早全ての言動が怪しく見えるが、逆らえそうにない。さっきからずっと、オレの意志通りに体が動いてくれないのだ。ゆきに言われてゲームを中断してリビングへ行くと、妹も母さんも父さんも、オレの変化には気づかずに、ゆきの分のカレーも用意していて、テーブルに並べていた。何事もなくカレーを食べ終わって、ゆきはコートを羽織って、自分の荷物を持った。帰るのかと思ったら「ひいくん、一緒にコンビニ行こうよ」と言われ、オレも上着を羽織り、靴を履いて家を出た。まずいということはわかるのに、操られたように動いている体を止めることができない。ゆきはコンビニとは逆の方向に歩いていって、オレはそれについていく。近くの駐車場に止まっていた車の前で止まったゆきは「ひいくんは助手席に乗って」と言った。オレはゆきの言う通り助手席に乗って、シートベルトを締める。ついぞ彼女のひとりもできずに、死んでいくのか、オレは。そう思った時、ゆきが「最後だから、聞きたいことがあるなら聞いていいよ」と言った。

「どこに行くんだ?」

「うーん。神様が居るところ?」

コンビニではないし、物凄く抽象的な表現に「どこだよ」と頭の中でツッコんだ。天国や地獄ともとれるし、神社や教会ともとれる。知りたいのはそんなことじゃないだろう。

「どうしてオレの家に来た? オレを狙ってたのか?」

「そーだよ、ひいくん」

平然と言うその姿に、肝が冷える。割と真面目に生きてきたつもりだったが、神社や仏閣で何かやらかしただろうか。それとも妹と口喧嘩して謝らなかったからか?

「どうして、ひいくんって呼ぶんだ?」

「曜日になぞらえた名前って決まってるから」

「他の曜日になぞらえた名前の人もいるってことか?」

「いたよ」と答えるゆきが怖くて、漏らすかと思った。いたということは、いないということだ。狙われていたなら、この先に待っているのは死なのかもしれない。

「オレは死ぬのか?」

「さぁ? 知らないし、知りたくないね」

予想と違う返事に驚いて、黙ってしまった。聞きたいことはなんだ? 知りたいことは?

「座敷童ではないんだよな?」

「違うよ。何言ってんの?」

違った。ゆきが「はぁ?」って顔でこっちを見ていて、いやそうだよな……と思い直す。

「ゆきは怪異なのか?」

「……ゆきは、怪異かもねぇ。まぁ難しいラインではあるかなぁ」

「結局どっちだよ」というツッコミは届かない。ゆきは怪異だが、怪異ではない?

「ゆきは人間なのか?」

「……俺は、人間だよ。ゆきは違うといえば違うかもね。ははっ」

俺とゆきは別の存在……? なにがおかしいのか、笑っているゆきを見て「聞いていいよ」と言われたが「全部ちゃんと教える」とは言われてないなと思った。

「仲間がいるのか?」

「仲間も居たよ。いまは仲間じゃないのなら、いる」

さっきまでの笑顔が嘘のように、急に不機嫌になったゆきに、怒らせると殺されるかもしれないと、変な気を使う。

「なんでオレの質問に答えてくれるんだ?」

「言ったでしょ? 最後だから」

「最後ってなんの?」

「こんなクソみたいな生活の、最後」

毎週日曜日、オレはゆきと遊ぶのを、少しだけ楽しみにしていた。ゆきも楽しんでいたはずだが、ゆき自身が「クソみたい」と評したのなら、オレとの時間はなんだったんだ?

「オレと遊ぶの、楽しくなかったか?」

「……楽しかったよ。でもそれよりも大事なことがあるから」

「大事なことってなんだ?」

「大事な人と一緒に前に進むの」

楽しかったならいいか。そう思いそうになって、頭を振る。そうじゃない。この一年、親戚と偽ってまで、オレの家に来ていたのは、この日の為だったのか?

「……オレは、ゆきの役に立てたか?」

オレはどうしてそんな質問をしたのか、わからなかった。本当に気になっていたのは、そんなことか……。彼女も居ない、友達もいない、妹にはウザがられ、両親からはニート扱いされて、人生に意味なんてなかった。何もなかったオレの人生に、鮮やかな色をくれたのはゆきだった。だから、最後だというなら、せめて、お前の役に立ちたい……なんて。

「今から、役に立てるかもね」

ゆきの綺麗な笑い顔は、本当に綺麗すぎて、完璧すぎて、不気味に見えた。やっぱ人じゃねぇじゃん。最後にそう言おうとしたのに、声には出なくて、オレは意識を失った。



「今日は特別に、ここまで連れてきてあげたよ。最後になるから、君にもお礼を言っておこうと思って……。今までありがとうございました」


「……日曜日と共に、君を終わらせてあげるね」



 日曜日。冬の最後を彩る雪は、血で赤く濡れて、終わりを迎えた。





 全身が黒に染まったゆきが帰ってきた。

手に持った大きな紙袋の一部が赤くなっている。ケホケホと咳をして、お腹を押えているゆきをよく見ると、黒いパーカーに血が滲んでいた。まさか、まさか、あれをやったのか。そんなことして、無事で済むわけがない。どうして? 解ってくれたと思ったのに。

「やったよ」と笑うゆきは血塗れなのに、清々しいほど満面の笑みを浮かべていた。手当をしないと。ゆきが死んじゃう。それは駄目。それだけは嫌だ。昨日よりも重くなった体は言うことを聞いてくれなくて、流れる涙も止められない。こんな生活、長くは続けられないとわかっていたから、失敗して終わったのだと、そう思った。

しかし、ゆっくりと近寄ってきたゆきは小さな水筒を持っていて、私を抱き起してからその中身を飲ませた。

どういうことなの? 成功したということだろうか。そんなこと、どうやって……。

「これでずっと、一緒だよ」

いつもより強い眠気に襲われて、私は意識を手放した。





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