火曜日『銀雪(ぎんせつ)』

『銀雪(ぎんせつ)』


 首元で切り揃えられた真っ白のショートヘア。翡翠色の瞳をしたあいつが、俺を見つけて微笑み、手を振りながら近づいてくる。

「かあくん、おまたせ。今日早いじゃん。寒くない? 早く行こ」

 俺が今まで出逢った中で一番美しい奴だ。俺の親友、なんていうと恥ずかしいが、マブダチとも言えるこいつは、俺をかあくんと呼ぶ。本名に全くかすりもしてなくて、友達に呼ばれているニックネームやハンドルネームとも違う。火曜日に出逢ったから、かあくん。ネーミングセンスのないこいつがつけた名前を、俺は結構気に入っている。

銀色に輝く雪を見て、まるでこいつに出逢ったあの日みたいだと思い出し、口元が緩んだ。

「何笑ってんの? あ、ゆきに会えて嬉しいとか?」

からかうような笑顔で首を傾げたこいつ・ゆきは、いつどこで見ても綺麗でかわいくて、柄にもなく愛しい、と思う。「ちげーよ‼」と笑い返すと、ゆきくんは俺の腕を引っ張って「ゆきは嬉しいけど」とまた綺麗に笑った。



 俺とゆきが出逢ったのは、火曜日。あの日も今日みたいに、雪が銀色に輝いていた。


ゲーム配信者という仕事の特性上、四六時中家に居るのは当たり前。ゲーム一本クリアを目指す配信をしたりすると、昼夜逆転なんてしょっちゅうだ。案外体力勝負なこの職を選んだ以上、健康第一である。最初は嫌々行っていたジムも、ルーティーンに組み込んでしまえば、大した負担ではない。同時期にデビューした奴らが、体調不良を理由に活動休止しているのを見ると、明日は我が身だと感じて、食事にも気をつけるようになった。

ジムに通うのは週に二回、火曜日と金曜日。火曜日は毎週恒例のラジオ配信が終わってからで、金曜日は夜中のコラボ配信の前に行く事にしている。週一だったジム通いを週二に変えて、少しキツめの筋トレ器具にも慣れてきた頃、ゆきに出逢った。

「なにこれ。どうやってやるの?」

最初は誰かと話しているのかと思ったが、うんうん唸っているその人を見て、ひとりごとだった事に気づく。真っ白な髪に、真っ白な肌。おまけにトレーニング着も全部白で統一されていて、地域的にむさ苦しい男ばかりのジムでは、かなり目立つ格好で現れたのが、ゆきだった。

俺がジムに通いだした時も、器具の使い方がわからず、固まってしまうことが多かった。常駐しているトレーナー達がいない時は、同じ器具を使ってトレーニングしている人に聞くのが一番だが、慣れない場所で初対面の人に色々聞くのは気が引ける。俺の場合は、同じ器具を使っていた親切なおじさんが、教えてくれたからなんとかできた。しかし、この真っ白な人が女性だったら、男に囲まれてる時点で気が引けているかもしれないし、知らないおじさんに聞くよりは、おそらく同じ位の年の自分が教えた方がいいんじゃないだろうか。俺に教えてくれた親切なおじさんは「誰もが最初は初心者だから、次に困ってる人を見かけたら、君が声をかけてあげるといいよ」と言っていたし……なんて脳内で色んな理由をつけて、無視されても落ち込まないようにと気合を入れてから、俺は声をかけた。

「あの、よかったら、使い方教えましょうか?」

「え、ああ、ありがとうございます。お願いします。全然わかんなくて……」

振り向いたその人は、どこの国の人だろうと思うような整った顔立ちと、翡翠のような色の瞳を持っていた。最初は女性かと思ったが、近くで見てもどちらかわからない。見た目も声も中性的で、どこかミステリアスな印象の人だ。

「なるほど。こういうこと。うわ、これ……結構キツいですね」

トレーニング器具の使い方を一通り教えて、挑戦するその人は「想像してたより大変だぁ」と笑う。綺麗な人だ。目が合って、微笑まれた。自分の顔が赤くなるのがわかる。その人はクスクス笑ってから「よかったら……」と言って、俺の手を引いた。

「あっちの器具の使い方も教えてもらえませんか」

「は、はい‼あっちは……」

突然繋がれた手を振り払うことはできずに、その日は自分のトレーニングの事も忘れて、トレーナー達の代わりに色んな器具の使い方を説明して回った。そろそろ帰って飯でも食うか、と考えていたら、その人はまた俺の手を握って言う。

「ゆき、いっぱい動いたらお腹すいちゃった。一緒に何か食べませんか?」

こんな綺麗な人と食事ができるなんて、人生で一回あるかないかだと思った俺は、誘いに乗った。奢るぐらいの金は持っていることを確認して、着替えてからジムを出ると、レストランへの道には、雪が降っていた。

「雪が、銀色に光ってる……」

「本当だ。綺麗だね」

寒空の中、真っ白のコートに身を包んだその人の真っ白な髪も、雪と同じく光に反射して銀色に輝いていた。その人・ゆきは、性別の概念を超越した存在のようだった。色々と説明はしてくれたけど、俺にはよくわからなくて「ゆきはゆきってこと」という言葉に納得することにした。ゆきの美しさは、性別なんてものでは縛れないように思えたからだ。

ご飯を食べながら色々と話していると、意外な事に、ゆきはゲーマーだった。特に、俺がプレイ配信しているゲームに詳しく、プレイスタイルや考え方など、気が合って正直すごく盛り上がった。ゆきと話すのが楽しくて、俺はまた話したいと思ったが、ゆきはどうかわからなくて聞けずにいると、ゆきは自分から「連絡先交換しようよ」と言ってきた。

可もなく不可もなくだった俺の人生の中で、一番嬉しい出来事だったと言っても過言ではない。それくらい、ゆきは一瞬で俺の特別な存在になった。


 ゆきとの出逢いを思い出しながら、ふたりで向かった先は俺の家の近所のスーパーだ。買い出しをしてから、俺の家でゲームする予定になっている。あの出逢いから、ゆきとは定期的にゲームをする仲になった。会う頻度や仲の良さを考えても、親友と言っていいだろう。ゆきもそう言ってたし。

「見てみて、コラボのポテチあるよ。あ、こっちのグミもじゃない?」

「おお。やっぱ大手配信者はすげぇなぁ」

「かあくんもこうなるんでしょ?」

「…………そうだな」

「あれ、いつもの威勢はどうしたの? まぁ、ゆきは、かあくんならなれると思うけど。だってかあくんは、ゆきの親友だからね‼」

得意げに笑うゆきを見て、思わず噴き出した。ゆきは「なんで笑うの‼」と口を尖らせてこっちを見てくる。

俺は何度もゆきに救われているなと思う。最近、視聴者数が伸び悩んでいる事を気にしていて、落ち込んでいた。昨日は調子が悪くて「死にたい」とすら思って、ついゆきに電話してしまった。ゆきを困らせた自覚はある。いつも火曜日には会えるし、一週間なんてすぐだけど、昨日はどうしても不安になっていたのだ。だけどゆきと話していると元気になるし、一緒に遊んでいると楽しくて、ゲーム配信者という職業を選んだのは「ゲームが楽しいから」だと思い出す事ができた。

ゆきは特別だ。これからも、できればずっと、この関係を続けたい。


 だから、ゆきを親友以上に見てしまっていることは秘密にしているし、火曜日しか会えないのはなんでなのかなんて聞かずに、この一年を過ごしてきた。ゆきに嫌われたら、俺は生きていけないかもしれない。そう思うほど、ゆきは本当に特別だ。

 買い出しを終えて家に帰ると、俺がゲームのセッティングをしている間に、ゆきは飯を作ってくれた。「軽くだけど」と言いながら、店に出てくるようなカラフルなサラダと、赤身肉を中心としたヘルシーだがガッツリ食える丼ものが出てきて驚く。毎週火曜日のゆきの手料理を楽しみに生きている。何せ、これが絶品なのだ。何を入れたらこんな美味しくなるのか聞いても、ゆきは「秘密」と言って教えてくれないから、一体何がこんなに美味しくさせるのかはわからないが、ゆきが作る料理は全部美味い。胃袋を捕まれるというのはこういう事なんだと思う。

「ゆきお前、俺のこと太らせて食う気じゃねぇだろうな?」

冗談で言ったそれに、ゆきが一瞬固まったのが、なんだか不自然に見えた。

「えっと、冗談なんだけど」

「ああ、ごめん。ちょっと今、別の事考えてた」

ぎこちなく笑うゆきは、なんというか少し、変わっていると思う。思えば出逢った時から距離が近かったし、性別は不明、自分の事を名前で呼ぶ。職業はモデルだと聞いたが「雑誌に出てるなら買うから教えてくれよ」と言っても一向に教えてくれないし、いくら雑誌を探しても一度も目にしたことはない。ウェブや地域のフリーペーパー、それか海外の仕事なら、見つからないのは普通だが、ゆきのこの儚げで人間離れした美貌なら、大手ブランドの広告でも勤めていそうなのに、一度も見たことがないのは変だと思う。それに、仕事の関係で火曜日が休みだから火曜日に会おうというのはわかるが、昨日は偶々電話に出ただけで、他の曜日は滅多に連絡がつかない。この一年、ゆきとは火曜日以外に会えたことはない。一瞬の不自然さと、ぎこちない笑顔が気になって、つい、口を滑らせた。

「昨日、俺が電話した時、何してた?」

「え」と明らかに困った顔をしたゆきが、俺から視線を逸らした。ゆきは食器を片付けながら「仕事だよ」と言ったが、俺には嘘のように思えた。

「本当か? 親友の俺に言えないなんて、もしかして恋人でもできたかとか……」

俺は後悔した。食器を持ってキッチンに向かっていたゆきが振り返った、その顔が、見たことないくらい怖い真顔だったからだ。はぁ、と大きな溜息をついたゆきは、持っていた食器をキッチンに置いてから、自分の鞄を探り、何かを取り出した。

「かあくん、こっち来て」

ゆきの言葉に逆らえるような雰囲気ではなかった。俺はゆきの地雷を踏んだのかもしれない。そう思って謝ろうと近づいたら、押し倒された。天井よりも、ゆきの真っ白な髪に視線を奪われる。俺の腹に乗ったゆきの体は冷たく、この世のものとは思えない。

「ゆきに恋人がいたとして、かあくんに関係ある?」

「……そら、あるだろ、親友なんだから」

「かあくんの嘘つき。ゆきのこと、好きでしょう? そのくらい知ってるよ」

こっちを向いたゆきの、翡翠色の瞳が潤んでいた。悲しそうに眉を寄せるゆきに、俺は「ごめん」しか言えなくて、黙ってしまった。親友面して、好きだったなんて、気持ち悪いよな。俺が余計な干渉をしたせいで、もう、会ってくれないかもしれない。それは、悲しいな。でも俺のせいだもんな……。昨日も落ち込んでいたせいか、悪いほうに考えてしまう。ゆきは何を考えているのか、きょろきょろと部屋を見渡している。これが、最後になるなら、もういっそ、全部吐き出したい。

「俺、ゆきが好きだよ。セクシャリティとか、そういうのよくわかんねぇけどさ。ごめんな。親友で居られなくて。お前距離近いし、勘違いする……って言い訳か。なぁ、俺って、火曜日の人だった? ゆきは綺麗で優しいし、俺の他にもいるんだろ? 昨日は本命とデートでも……」

全部吐き出してから、俺はまた後悔した。言わなきゃいいのに、聞かなきゃいいのに、どうしても知りたくて、言ってしまった。涙が出そうになるのを堪えてゆきを見上げると、ゆきはさっきの真顔でこちらを見ている。美人の真顔は怖いと言ったのは、誰だっけ。

「ゆきもかあくんが好き。でもね、好きだけじゃ、どうにもならないことってあるんだ」

なんだそれ? どういう意味だよ、と声に出す前に、ゆきは俺の首に何かを注射した。

意識が遠のいていく中、ゆきの綺麗な翡翠色の瞳から、光が消えていくのが見えた。

ゲームをしてる時は楽しそうに笑って、ジムでのトレーニングだって、キツいって言いながら一緒に頑張って。ゆきと一緒に居たら、俺本当にあのポテチとコラボしてた配信者みたいになれるって、諦めずに頑張っていけると思ったんだ。

「ごめんね、かあくんの夢、叶えてあげられなくて」

そんな事言うなよ。あの夢はそもそも、お前にかっこいいところ見せたかっただけなんだ。そう言いたかったけど、声は出なかった。



 火曜日の銀雪は、闇に飲まれて、その輝きを失くした。



 全身が黒に染まったゆきが帰ってきた。

今日も一日が終わったらしい。玄関から聞こえる「ただいま」の声が悲しそうで、元気に「おかえり」と返せないのが、悔しくなる。昨日と同じく、ゆきは大きな紙袋を持っていて、中身は朝着ていた服やバッグだろう。黒いスニーカーを脱いで、大きな紙袋を自分の部屋に持っていくゆきを、今日もただ、眺めている。ガサガサと音がした後、小さく声が聞こえた。電話の相手を、私は知らない。知ったところで、意味はない。

「火曜日が終わりました。いえ、問題ありません。はい。また明日」

暗くて冷たい部屋に、暗くて冷たい声。ゆきの真っ白な髪だけが、ぼんやりと浮かんでいて、窓から漏れた月明かりに照らされた翡翠色の瞳が、ギラリと光った。

「りっか、ただいま。今日はちょっと早く帰れたよ。明日は昼までいるからね」

いつも通りを装ったゆきが、私を安心させようと笑う。綺麗すぎてわかりにくいけれど、元気がない。昨日と同じように、ゆきの頭を撫でてあげたくて、腕を上げようとしたが、無理だった。それが伝わったのか、ゆきが私の頭を撫でた。

「ありがとう、りっか。ご飯作るから、もう少し寝てていいよ」

そう言い残して、ゆきは自分の部屋に戻った。しばらくすると、部屋着に着替えたゆきが出てきて、キッチンに向かった。冷蔵庫を確認してから、お米の準備をする。お米のセットが終わると、冷蔵庫から食材を取り出して、手際良く切っていく。爪が折れた指は大丈夫かと心配になるが、ゆきは淡々とその作業をこなしていた。

 私達の関係も、ゆきの仕事も、ゆきの正体も、誰かに知られてはいけない。いや、全部知られたところで、どういうことなのかなんて伝わらないし、それはきっと人道とは外れていると思われるだけだ。でもひとつだけ確かなのは、私はゆきを愛していて、ゆきも私を愛してくれているということ。私達はそれだけで十分なのに、世界はそれを許さないから、こんな面倒な事になった。いくら世界を憎んでも、変えられない理がある。変えてはいけない掟がある。抗った代償がこれだというのなら、私達は甘んじて受けなければならないのだろう。


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