たまのぜいたく

 手始めに、浴槽の栓をぐいっと引っ張る。入浴剤の香るお湯がどんどん流れていくのを、シャワーを出しっぱなしにしながら見守る。出始めは冷たかったシャワーの水も、お風呂のお湯が抜けきるころには浴びられるくらいに温かくなる。それを冷え切った身体に浴びせると、心にこびりついた余計なものまですべて流れ落ちていくみたいで、とても心地よいのだ。

 家族が寝静まるほどの時間にならないとできない、ちょっとしたぜいたく。両親にバレるとお小言をくらうかもしれないし、私自身も、普段なら水がもったいないと思ってしまうから、眠気で思考能力を鈍らせないといけない。一度浴槽を空にしてしまえば、熱いお湯に当たって頭が冴えても、過ぎたことは仕方ないと割り切れる。まるで子どものイタズラのようだけど、いくつになっても、ちょっとしたイタズラは楽しいものだ。

 ちゃっと髪と身体を洗って、ヘアケアをして、もう一度シャワーを浴びる。初めに浴びたときのような、あらゆるしがらみから解放されたような気持ちよさはない。やっぱり気持ちいいな、という悦びと、明日も学校か、という憂いが両方込められたため息をつく。

 すっかりぼやけた鏡を手で拭うと、呆けた顔の自分が映った。力の抜けきったその顔がなんだかおかしくて、好きでもなんでもない顔だけど、少しだけ目が細くなった。

 浴室を出てから布団に潜り込むまでの時間は、ほとんど無意識だ。浴室から遅れて戻ってきた眠気が、多少髪が濡れていたりお肌の手入れが雑だったりするのをまあいいじゃんで押し流そうとする。私はそれにあえて逆らわず、ぜいたくをするなら最後までの精神で、そのまま眠りに就くことを選ぶ。さっき使ったばかりのシャンプーの香りが、また明日からも頑張れるように深い眠りに誘ってくれるのを受け入れるのだ。

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短編集 時雨 柚 @Shigu_Yuzu

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