知っているということ

 いつもまっすぐな彼女の髪が、すこしだけぐしゃりとしていた。

 わたしは「寝不足?」とだけ聞いた。あくび交じりで弱々しい「うん」と、「かくん」と音がしそうなほどの頷きが返ってきた。

 べつに聞かなくてもわかっていた。彼女は数学がニガテで、今日はその数学のテストがあること。大会が近いから、補修に引っかかりでもしたら部活の先輩に大目玉をくらうこと。夜遅くまで必死に勉強して、それでも襲ってくる不安感で眠りが浅くなったこと。眠そうな顔で学校に行くことくらい簡単に想像できていたけれど、わたしは「やっぱり」と言って笑った。

 彼女のことは、昔からよく知っていた。「昔から一緒にいるから、よく知っている」ではなくて、はじめから何もかもを知っていたような、そんな感じだ。わたしにとって、彼女の行動はたいてい予想ができているものというのが当たり前で、そんな状態に安心感のようなものをひそかに覚えている。

 しかしそれは裏を返せば、「知らないこと」が怖いということにもなる。何もかもを知っているつもりでも、わたしたちは別の人間なのだから、やっぱり知り得ない部分がある。

 彼女については、特に〝動機〟がわからないことが多かった。予期していた行動とはぜんぜん違う行動を彼女がとったとき、どうしてそうしたのかをそれとなく尋ねてみても、いまいちぴんとこないことが多い。そのときはどうしようもなく不気味に感じてしまうけれど、彼女の意思は彼女の意思でわたしが介入できることではないから、その晩じっと考えてみたりするのだ。

 わたしの知らない彼女を知り求めようとする無駄な労力と、それに伴う本来抱く必要もない焦燥感で、疲れきってしまうことも、時にはある。

 しかし、相手の全てが理解できるのなら一緒にいなくても構わないんじゃないか、というのは、それもまた違うことだとわかっていた。

 わたしにはもう一人、「よく知っている」人がいた。その人を見るときは、彼女を見るときとはまた違って、動機がはっきりと見える。表情がころころ変わって、何を考えているかわかりやすい。周りから愛情を集めるのが上手いんだろうな、という人だ。もちろんわたしも、まるでお母さんが子どもを見るみたいに、いとおしく感じることがある。

 愛すれば、より大きな愛が返ってくるのがはっきりとわかる。誰とでも仲良くなれるタイプというのは、ああいう人のことをいうのだろう。

 その人と比べれば、彼女はとても不透明な存在だ。彼女のことを「よく知っている」と言えるだけの自信はあるのに、もっと知ろう、もっと知ろうと躍起になる。彼女のことがしっかりと見えているはずが、盲目的に彼女を求めている。

 この焦燥感の元をたどっていくと、彼女はほんとうにわたしのことが見えてるのかな、という疑問に行き着く。わたしは彼女を知っているようで大して知らない。それならきっと彼女も、わたしのことを大して知らない。それが恐ろしいのかもしれない。わたしは彼女を知ろうとしているけれど、彼女がわたしを知ろうとしているとは限らないのだ。

「テスト終わったら、どっか遊びに行こうよ」

「いいよ。じゃ、がんばろ」

 彼女は今はまだ、友だちでいてくれている。わたしのことを知ろうとしているという確証もないけれど、急に突き放されるほど心が離れているわけでもない。彼女が何で構成されているか、まだ計り切れていないだけだ。テストの空き時間にでもゆっくりと考えられれば、そのうち理屈が見えてくるはず。眠そうな彼女がふらふらとどこかへ行ってしまわないか見張っておくために、わたしは一旦、深々と考えこむことをやめた。

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