天外

 魔女は城のバルコニーに出て星空を見上げていた。

 人離ひとざかった都は広大だからこそ、何処までも穏やかな鎮闇しずやみ静寂しじま惣暗つつくらで世界を柔らかく包んでいて、そして同時に広漠と魔女の意識を伸ばしている。

 そこにバケモノが訪れた。

「納得がいかない」

「なにが?」

 唐突に話すバケモノに対して魔女は一つの不満も寄越さずに問い返した。

未言みことという言葉達は、確かにオレが知らないものだ。しかしその中身は知っている。それを知らないと言われるのはまるで言葉遊びだ」

「遊びくらい楽しむのが余裕のある生き方よ」

「オマエはそうやって相手を言い包める。人間共を追い返したのもそうだ」

「それでお互い傷もなく和やかに話が纏まったのだからいいじゃない」

 額の瞳で昼間のやり取りを視ていたバケモノは、和やかという部分にも話が纏まったという部分にも違和感を抱く。あれはどう視ても、文句を言わせないで他の選択肢を潰した交渉だ。

 この魔女は性根が悪い、とバケモノは改めて思う。

「自分はなんでも知っていて、世界は自分の見える範囲に納まってないと気が済まないのね。でもそんな下らない傲慢さは、実はアナタ自身が同時に覆しているのよ」

 バケモノは傲慢だと言われて自分でもその節はあるとは認められた。けれどこのような性能を持って生まれたのだから、どうやって謙虚になれと言うのかと苦情も述べたくなる。

 けれどバケモノがそんな思いを言葉にしない。魔女はバケモノが傲慢だろうが謙虚だろうが、そんなものはどっちだっていいと思っているのが態度で分かってしまっているから。

 魔女が話したいのは、バケモノが納得のいかないことなのだ。つまりバケモノの千里眼に視えず、バケモノの知らないことが存在する、それが存在するのはバケモノ自身に因果があると言っている。それがバケモノには全く意味が分からない。

 バケモノは黙ったまま魔女を見下ろして先を促した。

天外あまとという未言があるの。意味は宇宙」

 魔女が空の向こうにある星々を見上げて呟いたのは、バケモノの疑問にはまるで関係ないと思えるような言葉だった。

 確かに今日の分の未言をバケモノは受け取っていないが、この状況でそれを優先する意味が分からず、バケモノは眉を寄せた。

 それに宇宙は宇宙だ。他の言葉で言い替えたからと言ってそれ自体に違いはない。

「宇宙はオレも知っている」

「そうでしょうね」

 魔女はバケモノの足元で両手を広げて天の外に存在する宇宙に向かって掲げる。それは果てしない宇宙そのものを抱き止めようとしているようにも見えたし、自分の存在を宇宙に捧げているようにも見えた。

「陸地と海洋を包む天空を、さらに外から包む深き闇の穹、星浮かぶ海、命包む外套、夢を抱く揺り籠、果てのない新天地」

 魔女は魔法の詠唱のように謳う。

 世界は何一つ在り方を変えないが、透き通る声をバケモノは快く感じた。苛立った胸の内が優しく撫でられて毛並みを整えられたような心地だ。

 そんなふうに思った自分が認め難くてバケモノは牙を剥いて歯を食い縛る。

「内側があれば外側がある。それは当たり前だと思わない?」

「……そうだな」

「そう、当たり前っていうのは、片方があればもう片方も同時に存在するということ。光の中に立てば影が生まれるように、熱を奪うものがあれば熱を奪われるものがあるように、子が生まれた瞬間に親と成るように」

 魔女はその瞳に星の散らばる天外を映して詩のように真実を語る。

 大気の内があって、その外として定義された宇宙がある。

 宇宙の中には星団があり、バケモノや魔女の立つこの星も一つの星団の中にある。そして星団の内側があれば、外側も定義される。

 星団を抱え込んだ銀河がある。一つの銀河の内側があれば、外側がある。

 その中は内側だと定義する度に、その中に納まらない外側が同時に定義される。

 内側から外を観察して発見する度に、その更に外が広がっているのを知る。

 そんなことを言い聞かせる魔女の声が、バケモノの脳裏に響いたような気がする。

「分かる? 貴方が自分が知っているという内側を作るのは、同時に知らないものを外側に置くことなのよ」

 バケモノは足元の魔女をじっと見詰める。

 この魔女は訳が分からない。

 体は人間と同じでバケモノと比べて酷く小さい。

 けれど強靭な肉体を持つバケモノと対等に戦う強さを持つ。

 全知である筈のバケモノにとって、未知なる言葉を囁く。

 バケモノに寄り添い、それなのにバケモノを突き放すような物言いをする。

 内だの外だのいう話をするなら、紛れもなく未知の魔女は、バケモノにとって外の存在だ。

 バケモノは魔女のことが分からない。分からないというのは知らないということ。

 バケモノはまた、この気高く自信家の魔女に言い包められて、納得してしまった。それが事実であり真実であるのだから、バケモノはそれを否定することは出来ない。

「貴方は誠実だから、本当のことを言われたら自分が思い違いをしていたと受け入れるのよね」

「オマエは全知でもないくせに、なんでも知っているような口振りをする」

「あら、知らないの?」

 魔女は一歩前に出てから、外套の裾を翻してバケモノに振り返った。

 赤い唇に人差し指を当てて、恐ろしいくらいに美しく笑っている。

「恋する女って、好きな相手のことをずっと見てるから、いろいろ知っていくのよ」

 何処までも続くような夜闇の静けさに透き通る声と誇り高く恋愛を謳うその姿に見惚れてしまっただなんて、バケモノは絶対に知られてくなかった。

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