全知から外れた未知
バケモノが朝に起きた時にはもう魔女は背中に乗っていなかった。
全知のバケモノは額の千里眼でこの世界の総てを視ることが出来るから、未知の魔女の居場所もすぐに分かるだろうとその瞬間は欠伸を噛み殺して気にもしていなかった。
それが自分の思い上がりだというのは、数秒で気付いた。
城の中、滅びた街の中は昨日までと同じく誰一人いなかった。バケモノは驚愕の思いで城の隅々、都の隅々を駆け回ったが魔女は見付からなかった。
世界の何処にも魔女の姿を視られなかった。そしてバケモノは今更ながらに思い至った。
昨日まで全知のバケモノは未知の魔女のことを全く知らなかった。
どういうことなのか、バケモノにも分からない。世界の総てを視る第三の目が、あの魔女だけは視えていない。
バケモノは焦燥に駆られるが、相手の所在が分からない以上、どうしようもなかった。せめて未知の魔女が戻って来た時になるべく早く見付けられるようにと城の外で待ち尽くす。
「あら、ちょうど良かった。そこの一画だけでいいから時間止めの魔術を解いてくれる?」
ずっと待っていたバケモノを照らしていた正午の日射しをふらりと箒に乗った魔女が遮った。
バケモノは三つの目を有らん限りに見開いて魔女の姿を瞳に映す。
「何処に行っていた」
バケモノは問い掛けと共に牙を剥く。
「近くの農村に行ってただけよ。わたしは獣だけ食べていればいい訳じゃないんだから」
魔女はそう言って空から降りてきて箒の先に提げていた籠の中身を見せる。そこには野菜と麦が入っていて、それに苗や種も少し混じっていた。
バケモノの存在を知る人間はこの都の周囲に住み着いていない。近くの農村と言ってもそれは人の足で二日は掛かる程に離れているのをバケモノは視知っている。
もっとも空を自由に飛べる魔女にとっては行って帰るのに午前だけで足りるのも道理だ。
「村を襲ったのか?」
「そんなことしたら次がないでしょうが、この乱暴者。病人や怪我人を三人程治療してお礼を求めたのよ」
バケモノの思考に対して話にならないと魔女は呆れ顔になった。
野菜はこうして苗や種から育てれば生きていくのに支障はないが、麦を一人で作付しようだなんて手に余る。
穀物が大勢の腹を満たす程に収穫出来るのは大量生産をする農家があってこそだ。一人で一人分を収穫しようなんていうのは非効率であり、それ以前に無理という話だ。
「ほら、畑を作るのに時間をちゃんと動かしてもらわないと野菜が育たないのよ。早く解いて」
魔女は説明責任を果たしたとばかりに当初の要求を改めて伝えてバケモノを急かす。
魔女はこれから畑を耕して苗や種を植え終わったら、昨日の小鹿の肉を加工しないといけない。やることがたんまりとあってグズグズしている時間が勿体ないのだ。
バケモノは魔女に気圧されて言われた通りの区画に掛けていた時間を止める魔術を解いた。
見た目には何も変わらない。
けれど魔女が腕を振るうとその一画の地面が捲れ上がり、うねり、自らを耕した。
魔女は籠の取っ手を指で叩く。
すると苗と種は宙に浮かんで耕されたばかりの畑に移動して、綺麗に間隔を取って植わっていった。
最後に魔女は空に手を掲げる。すぐに小さな黒い雲が生まれて雨が畑にたっぷりと降り注ぐ。
作業を終えると魔女は満足そうに畑を見渡して、一つ頷いた。
「オマエが視えなかった。何故だ」
魔女の鮮やかな手際に口を挟めなかったバケモノがやっと疑問を口に出来た。
魔女は隣のバケモノを見上げて瞬きをする。
「ああ、やっぱりわたしって貴方の千里眼に視えてないのね?」
「知らなかったのか」
「そうだろうなとは思ってたけど、確証まではね」
肩を竦める魔女をバケモノはじっと見詰める。そして額の目だけを開いたままにして左右二つの目を閉じた。
魔女の姿は千里眼にはぼやけて視えた。そこにいるのにそこにいないような、変な視え方だ。
「何故、お前の姿が千里眼にはっきりと視えない?」
「そうね。魔女がどういう生物種なのか、貴方は勿論知っているでしょう?」
バケモノは眉を顰めた。
魔女は一つの生物種であるのは当然知っている。しかしその種族を成立させているのは肉体ではない。
魔女は魂の在り方で定義される生物である。しかし魔女と定義される肉体の遺伝子は存在しない。
魔女とは生まれる時に宿った肉体の種族と、魂としての魔女という種族という二重の生物種分類を持つ生き物だ。
未知の魔女もその体は間違いなく人間という生物種である筈だ。
「そもそも、貴方の知らない
魔女の一言にバケモノは口をへの字に曲げた。
この世界の統べてを知るバケモノの知らない言葉であるなら、それは違う世界のものである、という魔女の発想は突飛なものではない。
そしてそれを知る魔女の魂が何処から来たのか、という話にも繋がる。
「わたしの魂はきっとこの世界とは違う世界から流れ着いたものなんでしょうね。だから、この世界を視る貴方の千里眼には視えにくいんでしょうよ」
その存在の三分の一を占める魂がこの世界のものではない。だからバケモノの額の目で見られるものの範疇にない。
残り三分の二だけで視るから、全知のバケモノが千里眼で未知の魔女を視ようとしても、存在は曖昧にしか捉えられず、遠くに離れるとそもそも視えなくなってしまう。
自分の持つ機能が万全に適応されない目の前にいる魔女が、とても遠い存在にバケモノは思った。
「オマエは気味が悪い。オレの分からないことを言い、オレが分からない存在だ」
恐れるようにぼやくバケモノに向けて、魔女は艶然と赤い唇を持ち上げた。
「あら、貴方以外は誰もがそうやって分からないままに誰かと関係を持ったり生きていたりしているのよ」
これでようやく特別でなくなったわね、とくすくす笑う魔女が、バケモノはどうしてだか恐ろしくは思っても嫌いには思えなかった。
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