魔女に相応しい寝具
魔女は満月が東の森を掻き分けて登って来るのを、窓越しにぼんやりと見ていた。
今日は流石の魔女も疲れた。瞼は半分落ちて、虚ろな瞳に月明かりを映す。
そんな脱力した魔女の体を、不意にバケモノが掌で掬い上げた。
「寝室に行く」
バケモノは言葉少なにそれだけ言ってゆっくりと、慎重に魔女の体が揺れないように、足音も忍ばせて歩く。
魔女はくすりと笑って、大きなバケモノの掌にしな垂れかかった。
バケモノが魔女を連れてきたのは、かつて王妃が使っていた寝室だ。天蓋付きの瀟洒なベッドが置かれている。もちろん、布団は柔らかく眠る体を優しく受け止めてくれるだろう。
そんな夢のようなベッドを見下ろして、魔女は一言だけ告げた。
「趣味じゃないわ」
バケモノは自分の掌の上に寄り掛かっている魔女を物言いたげな顔で見詰める。
けれど魔女は背中に刺さる三つの目の視線など素知らぬ顔ですっかり馴染んだ大きな掌の上で寝転んでいる。
バケモノはそれはもう重たくて大きな溜息をゆっくりと吐いた。
「この城で一番豪華なベッドだが」
「わたしに相応しい寝具は他にあるもの」
そう言って魔女はバケモノを指差した。
バケモノは魔女が言わんとすることが分からず、空いている左手の指で同じように自分の顔を指す。
「わたしは、貴方の背中で寝るわ」
「……オマエは一体何を言っているんだ?」
本気の顔で言ってくる魔女に、真顔でバケモノは言い返す。
「あら、貴方は夜に寝ないの?」
「……毎晩寝る。人間と睡眠時間はそう変わらない」
「じゃあ、眠る貴方の背中に身を埋めて寝るの。わたしにとって、きっと最高のベッドになるわ」
「潰されても知らんぞ」
「貴方の骨格から言って寝返りを打つとは思えないけれど」
確かに魔女の言う通り、四肢を体の下に収めて蹲って眠るバケモノはこの生涯で寝返りを打ったことなど一度もない。
寝た時と起きた時で体勢は全く変わらないままに一夜を過ごす。
それを見越して、魔女はバケモノの背中で眠ると言っている。
理屈は通るが正気の沙汰には思えない。
それをバケモノは白い目で魔女に対して無言で物語る。
「あら、魔女なんて生き物が狂ってないってそう思ってたの?」
そう言われるとバケモノは反論が出来ない。
バケモノが額の眼で視てきた魔女は誰も彼もが常識に囚われない狂気に満ちた者ばかりだった。
そして一度自分が言ったことは必ず実行するような我の強い者の割合が多いのも、魔女という生物だ。
全知のバケモノはここに至って自分がどんな説得をしようが掌の上の魔女が意志を変えることはないと理解してしまった。
そんなバケモノの顔色を読み取り、魔女は勝ち誇って赤い唇ににんまりと笑みを浮かべる。
「わたしはもう疲れて眠いのだけれど、まさか寝かせないなんて魅力的なことは言ってくれないのよね?」
バケモノは不遜な魔女に溜息を零し、掌を床まで降ろした。
優雅にバケモノの掌から魔女が降りると、バケモノはその場で蹲る。
「オレももう今日はオマエの相手をして疲れた」
だから自分の意志で寝るのだと言外に言い捨てる。
そんな男のしょうもないプライドを魔女は可愛いと思って微笑みながら、バケモノの背中に攀じ登った。
そして翼の間に体を納めて、羽毛を被さり、獣毛に身を埋もれさせる。バケモノの筋肉がしっかりとした固さで魔女の横たえた体を支えてくれてちょうどいい感触だ。
魔女はバケモノの毛を握り締めて瞼を閉じる。
「ふふ、思っていた以上に寝心地がいいわ。いい夢が見れそう」
バケモノは自分はもう眠ったのだと言い聞かせて、魔女に言い返さないように牙を噛みしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます