第7話 地図と首飾り

(どこの山だ、これ?)


 フレイヤが机に寄り掛かる様にして倉庫の中を眺めているその横で、俺は椅子に乗って机の上に広げられたままの見知らぬ鉱山の地図に目を落としていく。

 その地図が鉱山のものだと一目で分かったのは何も当て付けと予想では無く、山の標高を表す線の各所に坑道の番号が記されていたからである。そして、その地図の書き込みはそれに留まらず、赤や青の文字で記号の様な印が幾つも付けられており、メモがピンに止められてたくさん貼られていた。


(ぁ〜……、簡単な字しか読めない……)


 メモの字が汚いからとか、その人にしか分からない走り書きだからとか、そういった理由からではない。

 俺がまだ字を教わっていないのである。

 鉱山の麓にあるド田舎の村には絵本もなければ雑誌も漫画も小説も何もなかった。俺が簡単な字を辛うじて読めるようになったのは、つい最近のことだ。難しい文字や長文なんかはさっぱり分からない。自信を持って読めるものと言ったら、ダイアスが溜め込んでいる仕事の納品書と作業手順に書いてあることくらいだ。


 それが読めれば十分だって?


 ところがどっこい。

 そこに書いてあることは簡単な単語と絵図ばかり。単語の本来の意味を知らずとも察することができるくらいの難易度だ。


 なぜ大人達がそんな書類を使っているのかと言うと。


 俺に限らず、この村には文字を書いたり読んだりすることができない者はザラなのである。学校なんてのは金持ちしか行けない場所だから識字率が上がることはない。この村に暮らす者にとっては最低限、仕事をして生活に不自由のない程度の読み書きができれば十分なのである。

 鉱山村の主本は健康な体そのものというわけだ。


 おそらくフレイヤのお爺ちゃんとやらは、教養がありとても読み書きに長けていたのだろう。メモに書かれている文字は知らない単語や文法のオンパレードだった。おそらく、役場で事務をしているフレイヤの母カトリーヌですら読めるかどうか怪しい。


「なに顰めっ面してるのよ」

「あ、いえ、別に」


 どうにかして読めないか思案しているとフレイヤが声を掛けてきた。俺はすぐに地図から顔を逸らし、掃除の準備を始める。こんなところでどやされたらたまったものではない。フレイヤの機嫌は本当に変わりやすい。地雷を踏んだ末に、最悪、この倉庫に閉じ込められ、二、三日は平気で放置しようとする可能性すらあり得る。

 そうして、俺がせっせか掃除し始めていくと、フレイヤが何事かをぽそぽそ呟いている声が聞こえてきた。


「16番坑道。三つ目の……分岐の奥、ライアムフルダイト。8番坑道。崩落の恐れ……あり。タザンアニウム・クォーツは24番坑道で……」

「っ!?それ読めるの!」


 俺はつっかえながらメモを読んでいくフレイヤに驚き、手にしていた埃叩きと箒を捨てるように置いて椅子の上に膝立ちしている彼女に駆け寄った。


「えっ!?」

「すごいっ!これ分かるの!よく読めたね!」

「なっ、なななによ!?いきなり、こっち来るんじゃないわよ!これくらい読めて当然よ!そんな、別に普通だし」


 フレイヤは俺の勢いに押されながらも、後ろ髪をばさっとてで払ってそう言った。

 そうか……これが普通か。俺の認識が少し違ったのかな?これではフレイヤに馬鹿にされても仕方がなかったというわけだ。……いや、全然仕方なくないけど。


「いいや、僕なんて少しも読めなかったよ。誰に教わったの?やっぱりカトリーヌさん?」

「その通りよ!ママが知っておいた方がいいって言うから。だからなによ」

「へえ〜、勉強頑張ってるんだね!」

「は!?別に、頑張るとか、こここんなのはね、当然なのよ!私には簡単だわ!ふんっ!」


 いやあ、盲点だった。そうだよ、カトリーヌさんは役場で事務仕事をしているじゃないか。今度俺も頼んで教えてもらおう!

 前世でできたことくらいは、最低限身に付けておきたい。


「…………。あんた、この地図のどこを読みたかったのよ」

「え?」


 いきなりフレイヤからそんなことを聞かれて、俺は質問の意味も意図も上手く理解できなかった。


「あの、それはどういう?」

「なんで分からないのよ!あんたが読みたかったところを読んでやるって言ってるのよ!早くしなさいよ!」

「え、あああっ、えっと、えーと!」

「どこよ!」


 いや、どこって言われても。できれば全部読みたいけどさ。

 俺はフレイヤのまさかの申し出に焦って地図へ視線を走らせて、適当なところを探した。


「あっ、ここ、これなんて書いてあるの」

「ふん、そんなのも読めなかったの?『レビオノス鉱山』って書いてあるわ」


 レビオノス鉱山?

 ダイアスから聞いたことあるような、ないような……。


「その山ってどこにあるの?」

「あんた、主人に向かって口の利き方がなってないんじゃないの」

「ひっ!」


 やべぇ、つい勢いで普通に話しかけてた。お仕置きされる!

 俺は咄嗟に腕を前でクロスさせ、苦し紛れの防御体勢をとる。

 しかし、一向に何もこなかった。


「……ふんっ。まあいいわ」


 あれ?まじで?関節技してこないの?ほんと?やっぱり後でとかやめてよ?

 おそるおそる、顔を上げるとフレイヤが首に掛けていた首飾りを手に取り、それを俺に見せてきた。

 星の瞬く紫紺の夜空の様な色をした石が紐の先に付いている。


「なにそれ、すげぇ綺麗な首飾り……すご……」


 そう俺が独り言の様に素直な感想を述べると、フレイヤが初めて俺の前で笑みを見せた。


「そうでしょ。私の宝物よ」

「お父さんに貰ったの?」


 フレイヤは首を横に振った。


「違うわ。お爺ちゃんよ。一昨年、私の誕生日にくれたの。この形はお爺ちゃんの手作りなのよ」


 シンプルな菱形をしていながら細かい掘り込みが見え、それがこの名も知らぬ鉱石の魅力を余す事なく引き出している。俺から言わせれば、すげぇディテールでマジでエッジの掘り込みがエロい、という表現に尽きる。


「あのっ、フレイヤ様っ!よよよろしければもっと、もっと見せていただけませんか?」


 つーか、一回貸して!持たせて!舐め回せるほど眺めさせてっ!!


「やだ無理キモい」

「……………掃除してきます」


 ふぅ、5歳児ですら俺をキモがるとか将来有望かよ。

 

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