第19話 リーゼロッテの暴走

 リーゼロッテの少女らしい外見とはほど遠い咆哮の後。

 少しずつ集まっていた魔力が急速に形を成し始め、リーゼロッテの背後がゆらりと陽炎のように揺らめいている。


 その間にも、莫大な魔力が彼女の周りをまとうように蠢きながら、目にも止まらぬ早さで術式が編まれ、組まれていく。

 リーゼロッテの激昂した様子と、周囲を渦巻く密度の高い魔力の圧力に、観客の表情が一変したのは言うまでもなかった。


 この時点で、リーゼロッテは決闘時に提示された決闘のルールを逸脱したことにより失格になっているのだが。


 そもそも多少なりとも冷静さがあれば、こんな馬鹿げた事態を引き起こすはずがなかった。

 それも、彼女のような高名な騎士の家系が。

 であるからこその、この異常事態であり、異変なのである。


「王子っ!」


 実際は怒鳴りつけてるような声量─周囲が騒々しいのもそれに拍車をかけている─だったのだろうが、距離があるせいでかろうじて聞こえたという音量の声が発せられたと思しき方向に、アーサーは惹かれるように視線を差し向ける。


 そこには、思っていた通りの人物の姿があって、自らの緊張と警戒レベルを下げることなく、アーサーはいつものニヘラッとした笑みを彼へと向けた。


「ちょうどいいところに。副委員長っ、そっち頼むわ」

「わかっている!」


 短くて簡潔なやり取りのみであったが、彼は自分の言わんとするところを理解してくれたらしい。

 互いに意思疎通を視線でも交わすや、すぐさまそれぞれの役割を果たさんと行動へと移していく。


(さっすが、副委員長〜!)


 想定外の事態のなかでも、冷静さを一切失っていない彼の様子に、安堵を覚えながら胸中のみで称賛の言葉を述べる。


 リーゼロッテの突然の暴挙に、観客たちが若干パニック状態に陥っているが、それは観覧席にいる副委員長とクラスメイトたち、そして魔術学院の教諭たちにお任せ、という名の丸投げをすることにするとして。


 そういえば、貴賓用の特別観覧部屋にはマリーの姿もあったはずだと思い出したアーサーは、なおさら彼らに避難関連のアレソレは一任する方向にして、自らは目の前の状況への対処を最優先にすることを即決する。


 アーサーは即座に目の前の対処へと意識を向けているものの、特別観覧部屋でアルコールを呷っていたマリーだけでなく、観覧席にいた教諭たちも慌てず騒がず観客の誘導へと動き出していた。


 それを視界の端で捉えたアーサーは、己の判断の正しさにそっと安堵するとともに、観覧席から眼前のアリーナへと視線も意識も完全に差し向ける。


 正直なところ、ただの学生であるところのアーサーには、避難誘導をどういった手順や方法で実施するのかはわからない─指示されてどう逃げるのかぐらいは彼にもできるが、その程度である─どころか、素人同然の不明さであった。


 ので、無駄に首を突っ込むよりもそういったことにより適した人材にお任せする、ということに反論も異議もなかったのだが。


(でも、実際問題面倒なんだよなぁ〜、ああいうのって)


 現状、避難誘導が最重要であることはわかるのだが、とにもかくにもアーサーにとってはそれらが非常に面倒だ、というそれ以外の感想が一切湧き上がってこないわけで。


 つまるところ、押しつけられる人間を即行で見出したアーサーは、これ幸いと適材適所という都合がよくも耳触りのいい言葉と大義名分を掲げて、面倒ごとからの全力の遁走を図ったのも道理だといえただろう。


 そういったところが、アーサーがアーサーたる由縁ではあるのだが、本当にこの主人公ゲスすぎやしないだろうか?


 だがしかし、彼には彼にしかできない対処というか役割というものが存在していたこと、またアーサーのゲスな考えが総て彼の脳内でのみ展開されていたということもあって、彼の最低さを周囲に露呈しながら撒き散らすという最悪の事態は避けられたのだった。


 話が一瞬逸れてしまったが、アーサーが現在最優先で対峙しなければならない事態は、要するに避難誘導などではなく。

 いままさに、彼に向かって練り上げられ、術式が展開されている魔術の方だということである。


 一方、同じ事態に直面しているところのエミーラは、といえば。


「?! 火魔術かっ」


 リーゼロッテの組んでいる術式を素早く見て取り、当の術式が火魔術であるとわかったことで苦々しい表情を浮かべていた。

 それが補助魔術でもなければ拘束系の魔術でもなく、よりにもよって攻撃特化型の魔術だったからなのだが。


 さらには非常に頭の痛いことではあったのだが、目の前でいまもなお展開されている途上のその魔術が、注ぎ込まれている魔力量と質から予測するに、なんとも厄介極まりないことに中級以上の広範囲魔術であったのだ。


 リーゼロッテの背後がゆらゆらと、揺らめく陽炎のように揺蕩って見えているのは、ひとえに他者の視界に影響を与えるほどに、リーゼロッテが現在進行形で扱っている魔力が強大であり、莫大であるというその証左であろう。


 術式を構築中のリーゼロッテから、多少の遅れをとってしまったとはいえ、エミーラとてこの魔術師育成の最高峰にも数えられている魔術学院の教諭である。

 いまさら、リーゼロッテが展開している真っ只中の術式の発動を止めることはできないが、彼女が放った魔術を防ぐことは十分可能だ。


 もともとこの中規模魔術訓練場は、魔術の実地訓練を想定した訓練施設でもあるため、魔術に対する防御策も十全にとられている。


 とはいえども、その防御策がいかなる魔術にも対応し、万全であるというわけではないことも彼女は理解していた。

 魔術訓練場はその広さにかかわらず、あくまでも学生が実施する実地訓練に合わせられた防御策だからである。


 しかも、間の悪いことにリーゼロッテの放とうとしている魔術は、広範囲ながら中級ではあるものの、そもそもその魔術に込められているリーゼロッテの魔力量が尋常じゃなく膨大なのだ。


 リーゼロッテの魔術に対抗するため、素早く防御魔術を編み上げ展開させながらも、エミーラは内心冷や汗をかいていた。

 はたして、間に合うだろうか。


「エミーラ先生!」


 突如かけられた声に、ハッとした様子でエミーラは声の主の方へと視線が引き寄せられる。


「いまは術式に集中っ。他は考えなくていいから」


 真剣な表情ではあるものの、どこかあっけらかんとした調子で寄越されたアーサーの言葉に、エミーラは自身が随分と緊張していることに気づく。


(そうだ、いまはそんなことを考えている場合じゃない)


 エミーラは、脳裏に浮かんだ悲観的かつ消極的な己の考えを即座に打ち消すと、目の前のすべきことに自らの焦点を合わせていく。

 彼女がいますべきことは、ただ一つ。

 そのために、全力を尽くすのみ。


 そう覚悟を決めるやいなや、エミーラは己の魔術に意識を集中させる。

 もちろん、リーゼロッテが放つだろう魔術に対しての防御魔術の構築である。

 膨大な魔力をまとっているリーゼロッテの姿から意識をはずすことなく、エミーラはあたりの様子も窺いながら最速最大量の魔力を自らの魔術へと込めていく。


 そんなエミーラの状態を眺めながら、アーサーは内心のみで安堵の息をつく。

 先ほどまでのどこか悲観的な様相から一転。

 うまく気持ちを切り替えたのか、おそるべき集中力でエミーラは自らの魔術に意識を一心に傾けている。


 この調子なら、例え万が一の事態に陥ったとしても大丈夫だろう。

 そう思わせるくらいに、本来のエミーラが持つ魔術の安定感は素晴らしく、自らの魔術に集中している彼女は頼もしかった。


(こうなってくると、俺の立ち位置をどうするか、だなぁ)


 目の前のリーゼロッテの魔術に焦点をあてながらも、周囲を俯瞰するように眺めやっているアーサーは、この場においてエミーラ以外にも防御魔術を展開できるよう準備している人物がいることに気づいていた。


(さすが委員長っ。こういう時、ほんっとに頼りになるわ~)


 アーサーでも舌を巻くほどの繊細かつ丁寧、そして緻密な術式の構築はさすがの一言であった。


 それも、リーゼロッテの後手に回りながらもほぼリーゼロッテ同等の構築スピード、いやリーゼロッテの構築スピードに合わせた術式の構築は、魔術学院においてもそうそういないのではないかと思える玄人具合である。


 まさに職人芸である。

 感心した様子でチラリと向けたアーサーの視線に、アメリアはどこか怒っているような様子で返してくる。


 いつも通りのその反応に、わずかばかりの笑みを零してアーサーはリーゼロッテと対峙する。

 意識して大きく深く一つ深呼吸すると、アーサーもまた己の集中力を高めていく。と、そこへ。


「キュッ」

「ロマニ?」


 決闘の最中にはどこかへと姿を消していたロマニが、いつの間にやらアーサーとの距離を縮めているだけでなく、その肩口へと俊敏な動きで駆け上ってくる。

 それに目を丸くしつつも、アーサーはロマニが落ちないように注意しながら、至近距離にある彼女と視線を合わせる。


「もしかしなくても、心配してきてくれたのか?」

「キュゥ」

「大丈夫。やらなきゃいけないことはしっかりやるよ。ありがとな、ロマニ」

「キュゥ〜」


 気遣うように頬へと顔をこすりつけてくるロマニに、笑みを向けて応えると手に持った剣をゆっくりと構えながら眼前の光景へと集中していく。


(重要なのは、魔力量でも剣術の技量でもなく、タイミング)


 眼前の光景からは一切視線も集中すらも途切らせることなく逸らさず。

 しかしながら、アーサーの意識はここからは遠く離れた彼方へと、時を遡った先へと向けられていた。

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