第18話 『勇者』は決闘を開始する

「それでは、決闘を開始する」


 決闘開始となるエミーラの宣言に、リーゼロッテはその表情を真剣なものへと変え。

 アーサーも飄々とした態度のなかにも、気を引き締めたかのような雰囲気をまとわせ、互いに相手へと向き合う。


 それまで騒がしかった観客も、エミーラの宣言と二人の様子に試合の開始を悟ったのだろう。

 一気に喧噪が静まっていくとともに、ピンと張りつめた緊張があたりを包んでいく。


「はじめっ」


 落ち着いた声音ながらも、周囲にしっかりと響き渡るような決闘開始の合図厳かに告げられる。

 同時に、リーゼロッテが迷いなく大きな一歩を踏み出した。


 リーゼロッテは、『西の大帝国』と称されるツヴァイメギア帝国においても一・二を争う名門騎士家系の出身である。

 武勲で名声をあげた名門騎士の一族の名に恥じぬよう、女性の身ではありながらも幼い頃より剣術を当然のようにたしなみ、兵法も身近なところで学んできた。


 騎士の名家として、誰よりも騎士たらんと研鑽してきた剣術は、いまでは大の大人でも敵わないほどの腕前となっている。


(先手必勝っ!!)


 相手の力量と手のうちも、わかっていないのはお互い様。

 だが、リーゼロッテの敏捷さと剣術の鋭さがあれば、相手が動き出す前に仕留めることができるはず。


 その確信をもって一切の躊躇もなく一歩を踏み出し、そして速攻の一撃を振り抜く。

 それで、相手はなす術もなく敗北し、この決闘も終わりになる。

 そのはずだった。


「勝負あり!」


 気づけば、リーゼロッテの首筋に剣が突きつけられていた。


「勝者、アーサー!!」


 それも、鞘つきのままの剣が。

 刹那の出来事ゆえに、理解が追いつかなかった。

 己の身になにが起こったのかも。


 理解できない、いや理解したくなくて、己の首筋に剣を当てているはずの決闘相手アーサーを振り返ることができなかった。


「はい、俺の勝ち」


 なんとも軽い声音で告げられた言葉に、わかりたくもなかった事実を突きつけられて、リーゼロッテの脳裏でさまざまなものがよぎっては弾けていく。

 一瞬の後に、首筋から遠ざかっていった剣に一体なにを思ったのか。

 結局、リーゼロッテにはわからなかった。


「んじゃ、そゆこと……」


 軽快な調子で語られる言葉が不自然な途切れ、その音に被さるようにギィンという重苦しい音があたりに響いた。

 首筋から遠ざかる剣を目にした瞬間、リーゼロッテのなかからあふれた感情のままに、鋭い一撃を放ったからだ。


 しかしながらより正確にいうなれば、鋭いリーゼロッテからの一撃を、これまた鋭い剣筋で流して弾いた際に出た音であり。

 彼女からの剣筋を無駄なく捌いたアーサーは、再度リーゼロッテの首筋へと己の剣を突きつけた。


 間違いなく勝負の決め手となる決定打を受けながら、アーサーの剣が遠ざかるタイミングで放たれた一撃にも、彼の表情は微動だにしなかった。

 魔術訓練場の観覧席につめかけた観客は、まさかリーゼロッテが勝負を喫した後にも、再度アーサーへと一撃を加えるとは思っていなかったこともあり。


 未だに事態をうまく呑み込めていないのか、呆気にとられているだけでなく、反応らしい反応もとれずにシンと静まりかえっていた。

 想定していた以上に、リーゼロッテとアーサーとの決闘が瞬時に勝敗を決してしまった、ということも多分に影響していたのもあるだろう。


 そんな周囲の反応にも我関せずといったところか。

 アーサーはなにも変わらなかった。

 態度も表情も、その身にまとう雰囲気ですら。


 それが、さらにリーゼロッテのなかのなにかを刺激したのだが。

 哀しいかな、そのことを周囲の観客が察することはなかった。


「勝負あり、勝者アーサー」


 遅れてエミーラの静かながらあたりに響く声音が落とされ、勝敗が再度もたられている間。

 三度周囲に響く、金属同士がこすれてぶつかり合う音に反応できていた観客はいなかった。


 そして、それは三度だけにはとどまらなかったことも、この場にいる誰もが予想できていなかったことだろう。


「勝負あり、勝者アーサー」

「えっとぉ?」

「勝負あり、勝者アーサー」

「えぇ~~~」

「勝負あり、勝者アーサー」

「いやいやいやっ」

「勝者アーサー」

「ちょっと待てっ」

「勝者アーサー」

「ちょっと、待ってって!」

「アーサー」

「ちょっと待ってってば、だからぁ!!」


 腹の底に響きそうな音が周囲に散らばっていくなか、アーサーは絶叫をあげた。

 その間もちょくちょく彼は口を挟んでいたのだが、それが取り上げられることはなかったのは、彼の日頃の行いゆえか。


「ちょっと、ちょっとエミーラ先生ぇっ」

「アーサー」

「ねぇ、これいつになったら終わんの!」

「アーサー」

「あと、途中から名前だけになってるからぁ~!!」


 さっきからずっと勝ってんの、俺よ?!

 自らの勝利を主張しながら、激しい剣戟の合間にもアーサーはエミーラに渾身のツッコミを入れる。


 決闘の勝敗が喫してから、目にも止まらぬような剣によるぶつかり合いと勝者の名前が挙げられ続けていた。

 それも間断なく、である。


 今こうしている間にも、リーゼロッテから容赦のない一撃がアーサーに向かって振りおろされているものの、それをアーサーは己の剣でうまくいなして流し、さらにとって返しながら有効打を決めている。


 実に流れるような、流暢かつ一分の隙も無駄もない洗練された動きであった。

 まるで舞踊を舞っているかのごとき、美しくも優雅な剣筋をアーサーは躊躇もなく流れるように繰り出している。


 だがしかし、その一打を受け続けていてもリーゼロッテの動きは一向に止まらず、再度鋭い剣筋を有した一撃を振るい続けている。

 いってしまえば、延々とそういった状態が続いているのだ。


 それもアーサーが勝利した一振り、いやエミーラから勝負開始の合図が始まってからずっと、である。


「なに?! なにすればこれ終わるの??!」


 いつまで経っても終わらない決闘に、アーサーが悲鳴じみた声音をついついあげてしまうのも無理らしからぬもので。

 むしろ、そんな情けない発言をしている間も、リーゼロッテからのおそるべき一振りを完璧に受け流して、有効打を決め続けていることがいかに驚愕に値するか。


 ちゃっかり有効打をリーゼロッテへと入れ続けている一方で、泣きが入っているアーサーに対し、リーゼロッテの方は変わらず鋭すぎる一撃が放たれ続けてはいるのだが。


 決闘が始まってから、一度として勝利判定を受けていないためであろうか。

 徐々にその剣筋が大振りに、なおかつ乱雑なものへと変わっていっていた。

 その彼女の変化を、魔術訓練場のアリーナから距離を置いた観覧席で、決闘を見守っていたとある一群は見逃さなかった。


「なぁ、副委員長?」

「俺ら、ちょ〜っと思うんだけどさぁ」


 軽い調子で語られた言葉とは裏腹に、どこか重苦しい雰囲気をまとった生徒たちは、どこか躊躇した様子で彼らのクラスの副委員長へと呼びかける。

 その副委員長ことグレイズは、彼らの言いたいことを素早く察知すると、冷静な様子でそれを肯定するように言葉を発する。


「そのようだな」

「ということは、つまり?」


 未だに白熱した展開─ただし、一方的な内容─を見せている様子を、固唾をのむように見守っている同級生たちに、こんな時でもグレイズは淡々とした冷静な声音で応じてみせる。


「編入生が押され始めている」


 きっぱりと宣うグレイズの言を受け、同級生たちはこの瞬間も続いているアーサーとリーゼロッテの決闘へと視線を向けて、複雑そうな表情を見せている。

 彼らの視線の先では、どうあっても有効打を入れられないリーゼロッテの焦燥に気づいているのか。


 アーサーの剣は相変わらず、リーゼロッテからの容赦のない一撃ももろともしていない。

 どころか、きっちりと彼女の鋭すぎる一撃を捌きながら、これまたきっちりと有効となる一撃を入れ続けている。


「一撃たりとも有効打は入れられていないが、それでも編入生のあの剣は速く、鋭く、怖いほどに精確だ」


 だからこそ、この段になってのあの剣の乱れようは異質以外のなにものでもなかった。

 いま現在も激しい剣戟を交えさせている彼らほど、技量があるわけではないものの。


 グレイズにも、貴族の嗜みといってしまえばなんだが、多少の心得や技量はある。

 その彼からしてみても、異次元であるほどにはリーゼロッテの剣の技量は凄まじく、正しく騎士となるべく磨き上げられた剣であろうことは明白であった。


 ただ、そのリーゼロッテの技量をもってしても太刀打ちできないほどには、対するアーサーの技量が圧倒的であったというだけで。

 つまりは、そういうことである。


「すっげぇ。強い、強いとは思ってたけど」

「あぁ、王子ってこんだけ強かったんだな」

「けど、なんか見てるこっちが痛々しくなるっつーか。なんでだろうな?」

「当然だな。彼はそうでなければ、生きてはこられなかったのだから」


 唖然とした調子の同級生に、グレイズはあくまでも事実を告げる。

 リーゼロッテもよくアーサーに食らいついている。


 が、グレイズからすれば両者の実力差はただただ絶望的なまでに開いているのだ。

 ゆえに、この現状も彼からしてみれば、ある意味で当然といえば当然の事態であった。


「王子に食らいついてはいるが、時間の問題だな」


 いまなお、眼下で行われている激しい剣戟の嵐から一切視線を逸らすことなく、グレイズはビン底と称されている眼鏡の位置を直しながらそう評する。

 それをもって、というわけでもないのだろうが。


 一応の均衡状態を保っていた試合がとうとう崩れ、一気にアーサーの側が加勢となる。

 それを誰よりも身近に、そして理屈や理性でもなく本能に近い肌で感じていたのは、皮肉なことにもアーサーと対峙しているリーゼロッテ本人であった。


「ふっざ……っ」


 リーゼロッテの低く、唸るような叫びが周囲にこだまする。

 と同時に、なにかに気づいた様子のアーサーが踏み込もうとした動きを急停止する。


 アーサーのまとう空気が、遠目からでもどこか尖ったものであることを察した面々─といっても、観覧している客の中でそれに気づいたものはほんの僅かではあった─が、こちらも緊張をはらんだ視線を周囲へと投げかける。


 その一人であるグレイズは、変わらぬ冷静さをまといながらも、内心焦燥に駆られつつアリーナを一心に見つめていた。


「マズいな」

「……副委員長?」


 ぽつりと零したグレイズに、クラスメイトたちが不思議そうな視線を向けてくる。

 彼らの視線を意に介することなく、事態を察したうちの一人であるグレイズは、訓練場の様子を見つめながら鋭い視線をアーサーへと注ぐ。


「っけるなーーー!!」


 リーゼロッテはその小柄な体型からは考えられぬ、少女の声音でありながら低く轟くような絶叫もとい咆哮が周囲へと響いた。

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