第16話 鞘つきでの決闘

 エミーラの事務的ながら、柔らかな調子の声を耳に入れつつアーサーは緩く笑む。


 「先生」とアーサーが呼びかけていたように、彼女はこの学院における教諭の立場にあるのだが、いかんせん年齢が若いということもあってか、上の立場のものから厄介ごとを押しつけられることも多かった。


 対外的にはどうであれ、年功序列の風潮があるのはどのような職場においても同様か。

 それも、彼女が優秀かつ律儀で真面目という点が評価されてのことなのだが、押しつけられた方はたまったものではないだろう。


 加えて、今回は突如決まった学院公認下での決闘の審判兼立会人、という面倒ごとの割には旨みのあまりないような立場へ任じられたのだ。


 やるからには己の役割を全うしようとする、彼女の潔さと生真面目さには大層好感が持てるが、アーサーに好かれたところでエミーラ自身喜ぶべきところなぞ無いに等しいのではないだろうか。


 そんなことよりも、この決闘の関していえばエミーラがどちらかというと、優秀な魔術師でありながら武術もおさめているという、彼女の武闘派としての側面を持っていることを買っての配役であろうことは想像にかたくない。


 が、それにしても彼女にとってはありがた迷惑以外のなにものでもないに違いないと思うのはアーサーの穿ちすぎであろうか。


 生真面目そうな顔つきや態度から、堅物との印象が強いがエミーラは決してお堅いだけではなく、きちんとこちらの話に耳を貸す度量の深さや臨機応変さも持ち合わせている。


 審判兼立会人を彼女が務めることになったのも、彼女の性質を正当に評価した上での采配であり、予定調和といえなくもないだろう。

 当のエミーラによって、つらつらと挙げられる決闘流れについては、思いっきり聞き流しながら胸中のみでそんなことを思う。


 当たり前だが、対しているのがリーゼロッテであり、見守っているのがエミーラということで、その胸中を悟られるような愚行はおかさない。

 どんな状況・場合であろうとも、リスク管理は重要なのであり、アーサーは己の分をわきまえているのである。


 これまで静かに佇んでいたリーゼロッテが、いざ決闘となるや否やその表情を殺気一歩手前の真剣みを帯びたものに変えたのを、目の端に止めながらアーサーは深く深くそう思う。


 つまりは我が身大事、保身第一万歳である。

 ところで、やはりこの主人公、ゲスでクズすぎやしないだろうか?

 そうこうしている間にも、エミーラの説明の大半を聞き流していたアーサーだったが。


 決闘のルールに関しては、決闘を申し出たリーゼロッテ側からきちんと事前に提示されていたため、アーサーもそのあたりはきっちりと把握している。

 リスク管理は非常に重要なのである、大事なことなので何度だって言いたい、それぐらいリスク管理は大事なのである。


 エミーラがここで決闘時のルールの説明を、強調するように口にしているのも、最終確認という意味合いを持っているからである。

 決闘ルールの内容は、学院側も事前にしっかりと吟味して検討した上で承認したものとなっている。


 学院公認下での決闘の開催なのだ。

 なにかあった場合、困るのは当事者であるアーサーやリーゼロッテよりも、承認を出した学院側、特に上層部に所属する面々であろうことは間違いない。


 要は、後でいちゃもんをつけられては困るから、というただそれだけのことである。

 至極単純にして明瞭簡潔な自己保身に走った理由は、いっそ清々しいのではなかろうか。


(そういった考え方、嫌いじゃないけどねぇ、俺は)


 変更点があれば聞く心づもりではあったが、おそらくそうはならないだろうと考えていたアーサーの予想通り、特に変更点もない内容が最終の学院側の決定事項として語られている。


 変更点はなし、と胸中のみで呟いていたアーサーの耳に、エミーラの生真面目そうな声が割り込んでくる。


「何度も言うが、魔術の行使は不可。即ルール違反で、相手の勝利となる」

「決闘に使用できるのは剣のみ。相手に回避不能な一撃、もしくは付添人の棄権、どちらかの一方の意識消失によっても勝敗が決まる」

「そのほか、審判である私が判断した場合でも勝敗を喫することになる。以上で不可解な点や異議はあるか?」


 一つ一つ丁寧に、だが了承後の反論は一切認めない、という意図を滲ませた声音に、リーゼロッテは表情を引き締め、アーサーは飄々とした顔を崩すことなく応じてみせた。


「異議なーし」

「ありません」


 エミーラの確認に対してアーサーは軽快な声音で、リーゼロッテは重々しい声音でそれぞれ返答する。

 エミーラが確認のために一つうなずいたのを皮切りに、アーサー・リーゼロッテともに移動し、一定の距離を置いてから互いに真正面から相対する。


「剣はどうした?」

「ん?」


 そこで、始めて気づいたと言わんばかりの様相で、リーゼロッテが問いの言葉を口にする。


 アリーナで姿を見た時から手にしていた、華美にはならない程度の装飾を施された、けれどしっかりと使い込まれていると思しき剣を迷いなく構えながら、リーゼロッテから遠慮の欠けらもない剣呑な双眸が投げかけられる。


 鋭いその琥珀色の双眸の奥に、怒りの炎が陽炎のように揺らめいているのを察しながらも、アーサーは捕らえどころのない姿勢を崩さぬままにリーゼロッテを見つめる。


「こたびの決闘は剣技で決着をつける、と事前に申告していたはずだが?」

「ああ、ちゃ~んと俺にも通達がきたよ」

「ならば、なぜ……?」


 カラカラとした重さのない返答を口にするアーサーに、リーゼロッテがさらに双眸を鋭くさせながら懐疑的な視線を向けてくる。

 視線こそは、いますぐにでもアーサーを射殺してしまいそうな物々しさがありながら、彼女の声音は冷静そのもの。


 というより、絶対凍土のツンドラのごとき凍てついた温度を多分に纏っていたのだが。

 アーサーはその冷たい調子の声にも我関せず、飄々とした表情のままにリーゼロッテに対した。


「今回の決闘が剣技で勝敗を決める、っていうのは俺だって理解してるさ」

「……」

「けど、そうだな。俺がいま剣を持っていないからって、この場に剣が持ってきていないわけじゃないんだぜ?」

「……なに?」


 アーサーのどこか遠回しな物言いにも特に反応らしい反応を見せないながらも、彼が口にした内容にわずかばかりではあったが、訝しむようにリーゼロッテは眉を顰めた。


「先に出しておかなかったのは悪かったかもしれないが、そう目くじら立てなさんなって」


 俺の剣は、ちょっとばかし特殊仕様だからさ。

 軽薄そのものといった表情を湛えながら、アーサーがおもむろに前方へと手を差し出す。

 と、手のひらを下へと向ける。


「来い、ゴッドフリード」


 気負いのない淡々とした呼びかけに応えるように、周りの空気を巻き込むかのように風が集まっては、ちょど下へと向けられていたアーサーの手のひらへと集束していく。


 だけでなく、その手のひらからバチバチっと弾ける火花と電撃がほとばしり、なにも存在していなかったはず手のひらから、ゆっくりとなにかが抜け出してくる。


 驚愕している間にも、アーサーの手のひらから生えてくるかのように、みるみるうちになにか─ある程度抜け出てきたところで、それが鞘であることが判明した─がどんどんとその姿を現していく。


 かと思えば、鍔らしきものが出現して最後にはキンとした高い硬質な音を響かせて、なにもなかった空間に振って湧いたように一振りの剣がその場に顕現する。

 その刀身も、鞘も、鍔でさえも、闇のように深い漆黒。

 装飾は派手ではないものの、一目で価値のあるものだとわかるような代物で。

 まさに質実剛健といった仕様であった。


 しばし、その全貌を知らしめるように、出現した剣は空中にて制止した状態を保っていた。

 が、これまた硬質な音をたてながら地面へと鞘のままで突き立った。


 一瞬の出来事であるとはいえ、驚愕の光景に呆気にとられるリーゼロッテとは異なり、周囲の観客は驚愕というよりは興奮する様子を見せていた。

 彼らの傍で、成り行きを無言で見守っていたエミーラ自体にも、驚いたような態度や表情は観客同様に見られなかった。


「これが俺の愛剣、って言っていいのかな。つっても、今のところこれしかないんだけど」


 前半はともかくとして、後半に関しては一人呟くような音量だったため、周囲にはまったく聞こえなかった。


「これ以外の剣を使って言われると、正直困っちゃうんだけどねぇ」


 その言葉通り、アーサーはほんの少しだけ困ったような表情を見せてリーゼロッテを垣間見た後、エミーラの方へと視線を向ける。


「エミーラ先生、今回の決闘はこの剣使ってもいい?」

「話には聞いているが、大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫大丈夫。これ認めてもらえるなら、ノープロブレムっ」


 突如湧いて出てきた剣を、当然のような自然な動きで己のたなごころにおさめながら、アーサーはエミーラに軽い調子で許可を求める。


 事前にそのあたりの話を聞いていたこともあって、エミーラも一切動揺した様子もなく、アーサーのたなごころにおさめられた鞘も鍔も黒い剣を、わずかばかりの興味を滲ませながら眺めている。


「で、もちろん事前に検査は受けているんだろうな?」

「エミーラ先生ぇ、聞くとしたら普通はそっちが先なんじゃないの」

「通常検査を受けていない剣の持ち込みなど、するはずがないからだ。一般常識のある人間であるならばな」

「その辺は大丈夫。ちゃんと検査受けてるから。俺、一般常識あるしね〜」


 実に生真面目な様子で、念を押すように問うてくるエミーラに、飄々とした物言いでアーサーも応じる。

 彼の発言に気分を害したわけではないようだが、エミーラは理解できないものでも前にしたかのような複雑な表情でもってアーサーの方を見つめている。


「そだそだ。あと、もう一個の方もあるんだけどぉ」

「ああ、あの件か。私はかまわないが、編入生はかまわないか?」

「……かまわない、というのは?」

「あれ、話いってない? 今回は事情があって鞘つきで決闘に臨む、っていう特例対応をお願いしたいんだけど。いいよな、編入生?」

「……は?」

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