閑話2 ─副委員長の場合─

 中規模魔術訓練場内における観覧席で、いまかいまかと決闘の開始を待っている観客のボルテージは、すでにMAXともいえるような状態にまで高まっている。

 あまりの盛り上がりぶりに、さしもの彼──グレイズも思わず眉を顰めてしまうほどだったのだから。


 神経質そうな表情で周囲へと視線を走らせている主の名は、グレイズ・リーマ。

 鳶色の髪とヘーゼルの瞳を持った、一応青年と分類していいだろう年頃の男子生徒である。


 アーサーの所属しているクラスの委員長がアメリアであるならば、副委員長を務めているのがこのグレイズであった。

 役職柄というわけでもなさそうだが、実に生真面目そのものといった雰囲気を身にまとっている。


 だが、彼の外見含めた印象においてもっとも特徴的であり、特筆すべきポイントとして挙げるのならば、想定上に小さな顔に乗っかっているビン底眼鏡だろう。

 あまりにもその存在感を主張しすぎている眼鏡、というよりは分厚すぎるレンズによって、まるでのび◯くんのような印象を相手に抱かせるビン底眼鏡。


 ものすごく大事なことなので強調しておくが、ビン底眼鏡と称するに実に相応しいビン底眼鏡具合なのである。

 むしろ、彼自身の存在よりもビン底眼鏡の存在感によって彼=ビン底眼鏡、ビン底眼鏡こそが彼の本体なのではないか。


 そのような錯覚を相手に抱かせてしまいそうなほどには、彼のかけているビン底眼鏡はあまりにもビン底眼鏡すぎたのだ。

 というか、よく顔に載せていられるなと思わず感心するぐらいのビン底眼鏡である。


 レンズの分厚さにより、眼鏡は相当の重量を伴っているように見えるが、彼はそのようなことにも気にした様子はなく、平然とした表情で周りを睥睨している。

 さすが本体が眼鏡、眼鏡こそが彼そのもの、な人物である。


 それはそうとして、訓練場内の賑わい加減である。

 現在訓練場外にも出店がところ狭しとつらなっており、まるでお祭りさながらの騒がしさと賑やかさになっている。


 だけでなく、観覧席から出たコンコースにおいても、さまざまな店が簡易的に出店して軒を連ねている。

 そこここで出している商品を声高に喧伝している店員、お目当ての商品を買い求める客でごった返している状況に、グレイズでさえも驚愕のあまり目を瞠ってしまったほどである。


 決闘自体は、朝方にこそ開催が決定─というか、無理やり開催にこぎつけられたというべきか─したものの。

 実際に決闘開催の実施許可を魔術学院側から得たり、決闘場所となるこの中規模魔術訓練場を押さえたり。


 ましてや、肝心要の規定としてしっかりと定められている戦闘行為全般禁止令を、今回の決闘に関しては不問とすることを学院側に認めさせなければならなかったのである。


 マリーが一体どのような手段を使って、学院側からその許可を強引に取りつけたのか、については随分と議論の余地がありそうなものだが。

 今回の件については蛇足になる可能性が非常に高かったため、グレイズは迷うことなく早々に意識を別の方へと差し向けた。


 つまりは、商人たちの商売にかけた情熱、だろうか。


 学院側から認可がおりることも含めて、諸々が最終的に決着して決定したのは、マリーがどれだけ優秀だろうとも朝方以降─決闘の開催はこの時にようやくまとまったのだからして、それに付随する許可やら認可をとるのは当然それ以降のことになる─のことだろう。


 にもかかわらず、決闘が開催されるという情報を事前にしっかりとキャッチした嗅覚、その上で情報を精査して利益を出せると判断した情報分析力。

 なによりも、やるからには儲けようという商魂の逞しさに加え、きちんと学院に入る許可をもぎ取って商売しているという商人の根性。


 商人たちの商売における諸々を、純粋に尊敬しつつも大変感心しているグレイズである。

 さすが、儲けどきを虎視眈々と狙い、常に鼻をきかせている商人たちである。


 実行に移す際の素早さと実行力の高さも、実に素晴らしい。

 そんなこんなを無表情という仮面の下で考えながら、グレイズはなんとはなしに観覧席や決闘場所となるアリーナを眺めていた。


「おっ、いたいたっ。副委員長〜!」


 自らを呼ぶ声に、グレイズは眼下へと向けていた視線を声のした方へと向ける。

 その彼の視界に、手を振りつつちょうどグレイズのもとへとやってきている生徒数名の姿が映り込んでくる。


 基本的に、副委員長という職についているためか、グレイズのことを名前で呼ぶ生徒は少ない。

 というか、副委員長と呼ばれることが圧倒的に多いことからして、すでに「副委員長」という単語を耳にすれば、それはすなわち己のことを指していると判断しているグレイズである。


 例に漏れず、近づいてくる生徒たちにその怜悧な視線─ただし、肝心の視線は分厚いレンズに阻まれてしまい、生徒たちからは哀しいかなビン底眼鏡の表層しか見えていない─を向けていると、グレイズが気づいたことを察した生徒たちが彼の周囲を取り囲むようにして立ち止まる。


「ちょうど良かった、副委員長! 賭け、どうよ、賭け!」

「編入生と王子、はたしてどちらが勝つのか?!」

「賭けの結果次第では、一攫千金もあるかもよ〜? どうする、副委員長!」


 なんともはしゃいだ様子で捲し立ててくる生徒たちに、若干呆れたような双眸をグレイズは向ける。

 賭けの内容がどうとか、というよりも以前の問題というかお話である。


 本来ならば、賭け事などという不純なものに興ずるべきではないはずの学生が、興奮した様子で賭けを持ちかけるほどにまで、浮き足だって浮かれきっているということに対して、もはや呆れるしかなかったのだ。


 「そんな場合じゃない」とか「学生でなくとも、賭け事の類いは禁じられている」というような、常識的かつ根本的な指摘を口にすることはせず、グレイズは思考を整理するかのように眼鏡を直す。


 そうしたわずかばかりの沈黙の後。

 彼が口にした言葉が、


「賭けにならないだろう?」


 という至極あっさりとした言葉であった。

 グレイズのなんともあっさりとした調子ながら、キッパリと断言した第一声に、周りの生徒たちは反発するどころか一様に落胆した様子を見せる。


「副委員長も賭けに反対〜?」

「反対か否かでいうならば当然反対だが、そもそも賭けが成立しているのか疑問だな」


 しゅんと項垂れた様子の生徒の疑問に、グレイズはバッサリとした口調で対応する。

 そのあまりにもバッサリしすぎな淡々とした調子に、疑問を口にした生徒だけでなく周りの生徒たちもがっくりとなっていく。


「やっぱりそうなるよな、そうだよなぁ。そうなっちゃうよな〜」

「その様子だと、賭けにすらなっていないのか」


 生徒たちの悲愴感すらも抱かせるような様子から、聞くまでもなく察したグレイズはこれまた


「うぬぬぅ〜、おっしゃる通りですぅ」

「聞いてくれよ、副委員長〜。まったくもって賭けにならねぇんだよぉ」

「ここまで賭けにならないといっそ笑えてくるっていうぐらいには、賭けになってない。あぁぁ〜」


 生徒たちの肩の落とし具合から鑑みても、賭けが成立しないぐらいの状態になっているようだ。

 グレイズが推測するに、どちらか片方に賭けが偏りすぎていて賭けどころの話になっていないというところだろうか。


 とんだ醜態ぶりではあるが、正直なところ今回の賭けの対象が悪いとしかいえなかった。

 致し方ないことではあるとはいえども、賭けが成立しないことなど指摘されるベくもなく予想の範疇であったろうに。


 それがわかっていながら、どうにかこうにか賭けを成立させようと試みる方がとどのつまりおかしいのだ。

 要は、彼ら自身にも適正な判断が下せなくなっているほどには、今回の決闘に昂揚し、興奮しているという証左なのだろう。


 が、それにしてもグレイズからしてみれば、お粗末と言わざるを得ないものであった。


「あぁ〜。なんとなくそうなるんじゃないかと思ってたけど、いざそうなってみるとなんだかなぁ」

「根本の話になってくるが、決闘の勝ち負けは別としてそもそも賭け事の類いは禁じられている」

「それはそうだけど、ちょっとぐらい見逃してくれたっていいじゃん、副委員長ぉ〜」

「知らぬ存ぜぬを貫き通してもいいが、学院にバレた場合の処罰は軽くはすまないぞ? それでもいいなら止めないが」

「そこはなにがなんでも止めるって言ってよぉ、副委員長。てか、ですよねぇ。どうあっても、ダメってことかぁ〜」


 実にがっかりした様子を隠そうともしていない生徒たちに、グレイズは淡々と事実と己の意見のみを冷静に述べていく。


 賭けそのものが成立しないのだからして、自分の所属しているクラスの生徒が賭け事に興じようとしたことを、わざわざ学院側に伝えようなどという、手間暇がかかることをするつもりは微塵もない。


 が、禁じられている事項を破った時のアレソレについては、きちんと生徒たちにも理解していてもらいたいとは思っている。

 賭けがお流れになってしょんぼりと意気消沈している生徒たちだが、グレイズは大人しくしていた方が身のためだと再度釘をさしておく。


 自らの責任問題も多少かかわってはくるが、グレイズとしてはそんなことよりも面倒ごとによる徒労の方が気になっていた。

 ただでさえ、アーサーという火種というか問題児というかトラブルメイカーをクラスに抱え込んでしまっているのである。


 すでに、今回の決闘開催というイレギュラーな事態をそのトラブルメイカーが引き起こしていることもあって、さらなる面倒ごとは勘弁してほしいと内心思っていたことは致し方ないことだろう。


 胸中に渦巻くあれやこれやを、より胸の奥深いところへと仕舞い込みながら、未だしょぼくれている生徒たちを前にグレイズは緩く嘆息を吐く。

 と同時に、これまで以上の歓声が周囲から響き渡ってくるのに、強引な引力によって意識をそちらの方へと引かれていく。


 アリーナへと視線を転じた際に、ちょうどアリーナへとやってきたらしいリーゼロッテとアメリアの姿を目に入り、グレイズは瞬時にこの湧き立つような轟音にも似た歓声の理由を察する。


 あまりにも騒がしい場内の雰囲気に、リーゼロッテが怒り出さないといいが〜などと思いつつ、アリーナを進んでいく小柄な少女の姿をじっと見つめる。

 小柄なせいかどこにも幼く見える彼女だが、周囲にまとっている雰囲気が若干神経質なものに感じられるだけに、リーゼロッテは可愛らしい見た目に反して気難しい一面を有しているのだろう。


 そして、彼女は気難しさ以上に間違いなく真面目な性質だとグレイズの直感が告げている。

 その気質ゆえに、お祭り騒ぎというかバカ騒ぎしているような場内の空気が、彼女の癇にさわりはしないかとグレイズなりに心配ではあった。


 なにせ、彼女はこれから決闘という一大イベントを控えている身である。

 ただでさえ昂っている気が、さらに昂って怒りへと変換されたとしてもおかしくはないだろう。


 なによりも、真面目という彼女の良いはずの一面がここにいたって、このお祭り騒ぎを眼前にして目くじらを立て始めたとしてもなんら不思議ではないのだ。

 そんなことを考える一方で、グレイズの思考はまた別のところへと飛んでいっていた。


(まさか、この段になってまで逃げサボるなどという選択肢はないとは思うが……)


 彼がいままさに考えていたのは、もちろんのことこの決闘のもう一人の当事者──アーサーことトラブルメイカーのことであった。


 いくらあの問題児にしてトラブルメイカーアーサーであるとはいえども、ここまで大々的に喧伝されているなかで、よもやそんな暴挙には出ないと思う。


 出ないとは思ってはいるのだが、相手はあのアーサートラブルメイカーである。

 常識なんてもの弁えていないどころか、理解していない上にまったくもって信用が置けないのだ。


 少しも安心できないし、油断ができないとグレイズが考えてしまうのも仕方ないことであろう。

 グレイズのその思考を余所に、刻一刻と決闘の開始時間は迫っているのだが。


 はたして、決闘は何事もなく無事開始することが叶うのか。

 それとも、……。

 彼の心配は尽きることがなかった。

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