第9話 『勇者』だって色々あった(過去形)

「だから、そういうことも平気で言えちゃうんだ。違う?」


 淡々とした口調とニヒルな笑みを浮かべて紡がれるアーサーの指摘。

 確信をもったその発言に、真っ先に反応したのはリーゼロッテだった。


「戦闘行為全般禁止?」

「そう。編入生は知らないだろうけど、俺ずいぶん前から公私問わず戦闘行為全般が禁止されちゃってんの」


 耳慣れぬその単語を訝しげに口にしたリーゼロッテに、アーサーはごくごく軽い調子で返答する。

 へらへらとしたチャラい笑みにこそ変化はないが、同時にアーサーの緑柱石のような双眸のなかに、硬質な鋭さを感じさせる気配が燻っているのも見てとれた。


 だが、アーサーの発言によってさらに困惑が増したリーゼロッテの様子も、発言者の視界には入ってこないのか。

 へらりとした微笑はそのままに、彼は未だ困惑を拭いきれていないリーゼロッテからマリーへと視線を移す。


 そもそも、彼にはリーゼロッテの困惑に応えるつもりが毛頭ないのだろう。

 先ほどのアーサーの発言の内容では、耳慣れぬ「戦闘行為全般禁止」という単語に対する説明─どころかその詳細の解説ですらなかった─とは言いがたいものであったが。

 それ以上の事情や説明をする気は、アーサーにはさらさらないようだ。

 彼の視線は変わらずマリーへとまっすぐ向かっていて、まるで射抜くかのごとき鋭さでもって注がれていたのだから。


 これでは、先ほどの「戦闘禁止令」についての詳しい内容を聞くことは難しいかもしれない。

 リーゼロッテは内心嘆息を吐きながら、どうしたものかと思考を逡巡させた。


「気にしないで、リーゼロッテさん」


 柔らかな声音で紡がれた言葉に、思考の海へと沈みかけていたリーゼロッテははっとして意識を浮上させる。


 声がした方向に視線を向けると、臙脂色の髪に茜色の瞳をした少女というより、まさに美少女と言って差し支えない女生徒がリーゼロッテへと穏やかな微笑を見せていた。


「ごめんなさいね、その人本当に不親切だから」


 穏やかな微笑のまま、件の臙脂色の髪をした美少女は肯定も否定もしにくい、実に返答に困る言葉をかけてきた。


「編入生、きみが知らないのも当然だ。あれが規定として定められたのも数年前のことになる」

「そうそう。だから、マダム・マリーが忘れてしまうのもある意味仕方ないことではあるのよね」


 眼鏡をかけた男子生徒が、リーゼロッテの心情をフォローするかのような言葉をかけてくる。

 合わせて、臙脂色の髪をした美少女がそれを肯定するように言葉を引き継いでいたのだが。


 一旦話を中断した彼らの視線の先には、未だ睨み合い─といっても、アーサーが一方的にマリーに向かってバチバチに火花を散らしているだけである─をしているアーサーとマリーの姿があった。

 それぞれ出ている態度と表情こそは多少の差異はあれども、呆れたような顔をして吐息を零しているのは同様であった。


「王子はともかくとして、マダム・マリーの方にも説明できるだけのゆとりはなさそうね」

「僕たちが代わりに説明しよう。王子はどちらかというと当事者というか、あれでも一応被害者の立場でもあったんだ。第三者からの客観的な説明の方が、彼にとっても色々といいだろう」

「確かにその通りかもね」

「?」


 眼鏡の男子生徒と臙脂色の髪の美少女が互いに頷き合ってやりとりするのを聞きながら、リーゼロッテはどうにも事情がわからずに彼らを交互を見つめやる。


 短い協議の末。アーサーとマリーから視線をこちらへと向けた彼らに対し、わずかばかりの緊張をまといながら聞いた説明を要約すると以下の内容となる。



 時はちょうど、アーサーが学院に入学してきた時分である。

 学院内外は言うに及ばず、国内外においても高名であり。

 また同時に有名でもあった『勇者』が、魔術学院に入ってくるということでだいぶ騒がしかったこと。


 当然ではあるが、学院に入った当初から『勇者』という存在に周囲が相当注目していたということ。

 さらには騒がしいだけにとどまらず、その『勇者』に向けられた注目のなかには、比較的あまりよくない類いのものも結構な数含まれていたこと。


 結果として、王子当人も許可を出さぬままに、数多くの私闘が昼夜問わず行われることになったこと。

 その内容は、噂の『勇者』の腕前を試したいという本気のものから、ものは試しというか腕試しとでもいうような気軽なものまでさまざま。


 そして、多種多様な思惑によって『勇者』ことアーサーに集中した喧嘩もとい腕試しの数々は、彼本人というよりも学院の施設や設備といった周囲に、実に多大かつ甚大な被害をもたらす結果となった。


 当たり前の帰結ではあったものの、学院の上層部にてすべからく問題となり、王子への戦闘行為の一切はどんな理由があれども全面禁止となった。

 また腕試しにかかわった者総てにも、平等に厳罰が処せられることでようやく事態が収束するにいたったのである。


「なんというか、それは、その……」

「ふふっ、無理にフォローなんてしなくていいのよ、リーゼロッテさん。その気持ちだけで十分」


 言いあぐねるリーゼロッテに、かの美少女が朗らかな微笑を湛えて言う。


「王子にしても、学院の上層部としても。まさかここまでの大ごとになるとは思わなかった、というのが本音だろうな。実際に『勇者』といっても、きちんと正規の試験をクリアした上でこの学院の生徒として認められ、また学院も『勇者』という肩書きのついた王子を、そうと知った上で受け入れたのだから」

「その通りではあるけど、あの事態を予想できなかったのも仕方ないとは思うわ。学院だって別に隠し立てしてたわけではなかったものの、『勇者』が表舞台に出ないまま十年という歳月が経ってからのことだったわけだしね。まぁ、見込みが甘かったのよね」


 眼鏡の男子生徒がやれやれといった嘆息をつくと、臙脂色の髪の美少女もまた呆れを含ませた表情に苦味を織り交ぜる。


「音沙汰のなかった『勇者』だったからこそ、学院に入ったところでそう注目されることはない、と?」


 リーゼロッテからのズバリと切り込んだ指摘にも、彼らは驚愕は滲ませはしたものの、嫌悪や軽蔑といった負の感情は見せず。

 どころか、ご指摘の通りとでもいうような視線を向ける。


「結局は、王子と学院側の予測が甘かったというオチだな。手痛いしっぺ返しを食らったのは当事者側だったわけだから、当時大なり小なり迷惑をこうむった生徒たちも溜飲を下げざるを得なかったが。それを経ての、『戦闘行為全般の禁止』だ」

「規則としてきちんと規定されているから、もしその規則を破ったらかなりの厳罰が課されることになるわ。それも規則破りに関わった全員にね」


 そこで、美少女はチラリと視線を横へと流した。いまなお、喧々轟々とやりあっているアーサーとマリーへ向けて。


 その視線は、これまでになく冷めたものではあったが、それを指摘するものはいなかった。


「だからこそ、王子はうっかりでも忘れていただろうマダム・マリーに相当ご立腹みたいだな。それも、ああやってネチネチと嫌味まじりに追及して、規則破りに絶対加担しないという強硬姿勢を見せて、だ。己の保身第一の王子なら、まぁ当然だろうな」

「保身第一……」

「関係者は全員処罰させられたって言ったでしょ? もれなく、王子も処罰されたのよ。しかも、問答無用で一番の重罪人判定されて重〜い罰が課されちゃうっていうね」

「……」

「そういうことだ」


 思わずアーサーを憐憫の眼差しで見つめてしまったリーゼロッテに、眼鏡の男子生徒がさもありなんという風に頷く。

 見込みがかなりはずれてしまった、という学院側の事情はあったのだろう。


 しかしながら、騒動の当事者とはいえども弁解の余地なく、厳罰に処されるにいたったアーサーは相当憐れではないだろうか。

 リーゼロッテだけでなく、美少女や眼鏡生徒までもが同情の視線をアーサーへと向けているところからして、当時の処罰はそれこそ想像を絶するようなものであっただろうことが窺われた。


「だとしても、王子個人にも心当たりがないわけじゃないんだけどもねぇ」

「ちょっとちょっと、そこのお二方! おっしゃる意味がわかりかねますが?」

「あなたのそういうところが問題なのよ、わかってるでしょ。ね、ロマニ?」

「キュゥ」

「……待って待って待って、それは卑怯だぞ。ていうか卑怯だろ、卑怯すぎねぇか?!」


 臙脂髪の美少女がなんとも悩ましい様子で、いつの間にやら美少女の傍へと移動してきていたロマニに同意を求めるように呼びかける。


 ロマニ自身は、なんとも言えない困ったような微妙な表情を浮かべている。

 が、美少女がロマニを巻き込もうとしていることに、これ以上はないほどの露骨な動揺を表したのはアーサーであった。


 いままでのすっとぼけたような、へらへらとしたおチャラけた雰囲気ではなく、どこか真剣な様子を垣間見せているアーサーに、リーゼロッテはわずかばかりではあったが、思わずといった体で瞠目してしまう。


「ていうか、もともとの元凶はマリーちゅわんでしょうがっ」

「うっ、サムい。本当サムすぎるし、気持ち悪いわ」

「本気でドン引くのやめてよっ。ていうか、そんなので誤魔化そうたってそうはいかないからね!」

「サムすぎるのは本当なんだけど。もぉ、しつこい男は嫌われるわよっ」

「いやいやいや、マリーちゃんのその態度の方がサム……ぐほぉっ」


 形成不利とみるや、早々に即時撤退するとともに方向転換するアーサーの判断力は評価してもいいだろう。

 さすが、そういったことに関しての嗅覚は異常に発達している男である。


 叶うならば、もうちょっと別の方向での嗅覚なり、人間性を伸ばしてもらいたいところではあるが。

 かなり難しいことは想像にかたくないので、ここでは割愛することとする。


 それよりも、ぷんすこと怒ってみせているマリーに、余計な一言を加えたアーサーの残念さについて語るべきか。本当残念な男である。


 しかしながら、非常に残念な男とはいえども彼は強かった。

 ある意味嫌な方向性でもって、といういまさらそれをいっても詮ないことではあったが。


「ふふっ、ふふふふっ」


 鳩尾を抉るような、見事としか言いようのないアッパーカットがクリティカルヒットしたはずなのだが。

 それにも臆すことなく、アーサーはうす気味悪い笑みを浮かべながらマリーを一心不乱に見つめている。キモい、果てしなくキモいぞ、この主人公。


「そうやって話を逸らそうたって、そうは問屋がおろさないぜ、マリーちゃん」

「ほほほっ、一体なんのことかしら?」


 主人公にあるまじき非常にニヤけたゲス顔を向けて笑むアーサーに、マリーは動揺することなく余裕綽々の微笑を浮かべて見遣る。


 互いに手の内を見せず、水面下での腹の探り合いをしながらも、相手の一挙手一頭足を注視している様子は、まさに狸と狐の化かし合いと称するに相応しい代物であった。


 一方が花さえ霞むような美貌に粘着質な微笑を浮かべているのに対して、もう一方が可憐ながらおっとりとした笑みを携えているという、天と地ほども異なる拭いがたい違いはあったが。


 それでも、アーサーには勝ち目が見えているのだろう。

 納豆もびっくりなねばっこい笑みを口元に刷いている。いや、本当にこの笑み気色悪いし、ねちっこさがヤバい、激ヤバだよどうしよう。

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