第8話 悪魔にささやかれた決闘
「そう、あなたよ。リーゼロッテさん」
思わず見惚れてしまうような微笑であったが、しかしながらその微笑から発される圧はものすごく強い。
大したセリフを言ってもいなければ、わかりやすい脅し文句の類いを口にしているわけでもない。
にもかかわらず、彼女の目どころか口元や態度もまとっているその雰囲気でさえも、本当の意味で笑っているわけではないことがヒシヒシと伝わってくる。
この場で唯一ご指名を受けているリーゼロッテが、動揺のなかにも緊張感を強く匂わせた表情をしたのがその証左だろう。
「リーゼロッテさんは王子と決闘したくない?」
「えっ、いえ、それは……」
「これは数少ない機会なのよ」
「……機会?」
リーゼロッテがしどろもどろながらも相手の真意を探ろうとしているのも気にせず、マリーは怒濤の勢いでたたみかけてくる。
マリーの勢いに気圧されて、というわけでもないのだろうが、彼女の言葉に反応したリーゼロッテにマリーは上機嫌な様子でうなずきを返した。
「ええ、絶好の機会よ。リーゼロッテさんはいまはまだ納得はできていなくても、彼が『勇者』であることは、ここにいる私たち全員が保証するわ」
「……はぁ」
「『勇者』と直接手合わせできる機会なんてそうないのよ」
にっこり微笑んだマリーに、リーゼロッテは未だ緊張感は手離してはいないものの。
その表情が、時を経るごとに困惑に色濃く彩られていっている。
リーゼロッテのその隠しきれない困惑を受けてか、マリーの微笑がさらに一段深くなる。
「当然よね。『勇者』であるからこそ、そう簡単に手合わせだなんてできるはずがないもの。『勇者』と手合わせしたいっていう人は後を絶たないけど、実際にできた人の方が少ないわ」
「……」
「ねぇ、リーゼロッテさん。『勇者』の実力をその目で確かめたくはない?」
いきなり話を振られて戸惑った表情を拭えなかったリーゼロッテが、マリーのその一言に顔つきを一変させる。
マリーは相変わらず柔和な笑みを浮かべてはいたが、その双眸には獲物を狙うハゲタカのごとく、決して逃がさないという強い意思が宿っていた。
「もう一度言うわね、リーゼロッテさん」
本当に王子が『勇者』かどうか自分で見極められるせっかくのチャンス、活かしてみない手はないんじゃないの?
綺麗な微笑を口元に刷きながら、リーゼロッテを耳障りのいい言葉で誘惑し、煽りたてるマリー。
リーゼロッテからすれば、まさしく悪魔の囁きというやつであったろう。
その甘く誘う蜜のような甘言は、確かにリーゼロッテの心の琴線に触れたのだろう。
戸惑いと緊張に彩られていたリーゼロッテの秀麗なかんばせが、揺るぎない意思と覚悟を感じさせるものへと変じていく。
周囲がその変化に気づく間に、リーゼロッテは一気にアーサーとの距離をつめる。
と、事態をただ静観していただけのアーサーの目の前に立つや、これまでにない強気な視線を向ける。
「貴殿に決闘を申し込む!」
リーゼロッテの豪胆態度からのきっぱりとした宣言に、クラス中が一斉にざわめき出す。
それも当然だろう。いつの間に取り出したのか。上等な布地で作られただろう手袋を、アーサーに向かって勢いよく投げつけたのである。
一瞬の出来事であったが、アーサーは甘んじてその手袋を胸部に受けた。
ものがものであったこともあって、もちろんのことたいしたダメージを受けることはなかった。
が、しかし。この状況における脅威は、手袋を投げられたことによるダメージではなく。むしろ、手袋を投げつけられたというその行為こそが問題であったのだ。
それすなわち、西の大帝国においては、決闘を意味するものだったのだから。
「貴殿が真に「勇者」だというのならば、正々堂々と闘い、それを証明してみせよ!」
衆目環視の中においても、リーゼロッテの威風堂々とした態度は微塵も揺るがない。
それはいっそのこと、潔く、また小気味よいと称されるべき姿であっただろう。だが、
「無理」
「……は?」
「俺、そういうのだめなんだわ。めんご」
風が吹けば吹き飛びそうな口上で、だが断ると言外に滲ませたアーサーが悪びれもせずに宣う。
それもなんとも軽そうな調子で、なおかつ謝罪とも思えないような謝罪の言葉を口にして、である。
へらりとした軽薄そうな笑みを浮かべ、なんの気負いもなくそう口にするアーサーに、周囲の方が目が点になったのは言うまでもなかった。
一応彼への弁護をするのであれば、謝罪してみせたことから彼なりの誠意というか、正式な作法にのっとって申し込まれた決闘を断ることに対して思うところはあったのだろう。
が、いかんせんそれにしてはアーサーの表情と態度は問題があった。
胡散くさいと称する他ない笑みに、誠実さとは縁遠い軽薄そのものといった飄々とした雰囲気。
なによりも、
「だから、これ返すわ」
「はい」と、投げられた手袋をあっさりと投げた本人に、堂々と返却するという無神経すぎる態度。
アーサーのこの行動は、それなりに厄介ごとに慣れた生徒たちにも、言葉にこそ出してはいなかったものの。それ相応の衝撃が走ったのは当然のことだろう。
実際、彼自身は申し込まれた決闘に対して、ひと匙の罪悪感すらも抱いていないのだからして、彼のこの対応は当然といえば当然のものであった。
しかしながら、そのあっさりとした調子での発言が、リーゼロッテにとってはどのように感じられたかについてはさまざまな議論の余地があろう。
この場においては、王子のその態度と発言はリーゼロッテの怒りに油を注ぐ行為、ととられても致し方ないものであったのは違いなかった。
「貴様……」
「ん? どした?」
「ふざけるのも大概にしろッ!!」
リーゼロッテの渾身の怒りを間近に受けてなお、アーサーの飄々とした、一部においては胡散くさいと称される表情は小揺るぎもしなかった。
至近距離からリーゼロッテの怒気をあてられているにもかかわず、どこか余裕を感じさせる表情と態度は、さすがと評していいのか不明ではあった。
が、かなりの胆力があるといっても過言ではないものだった。
「この後に及んで、無理だと?! 貴様に拒否権などあるはずがないだろうっ」
「いや、そんなこと言われてもさぁ……」
激高するリーゼロッテに、多少なりとも面倒そうな様子を見せるものの。彼女の怒りに逆に怒り出すでもなく、かといって萎縮するでもなく。
リーゼロッテの憤怒をあっさりと受け流してみせながら、アーサーはふと視線を未だ怒髪天をつく勢いのリーゼロッテの方へと差し向ける。
「ところで、さぁ」
「なんだ?!」
怒りの形相で返すリーゼロッテにも怯える様子もなく、アーサーは実に暢気な調子で言葉を紡ぐ。
「どこかで会ったことあるか?」
その瞬間。リーゼロッテだけでなく、教室中の目が点になった。
アーサーは思案するような様子を見せつつも、未だケロリとした態度のまま、リーゼロッテの返答を待っている。
が、遅れてアーサーの言葉を理解したリーゼロッテが、再度怒気を顕わにしたのも自明の理であろう。
「王子っ。いくらなんでもこの状況でその発言ヤバいって!」
「どうしてだ?」
「さっき決闘を申し込むとかなんとかやってたじゃんっ」
「それは断った」
「それで終われるのは王子だけだから!!」
「えっ、なんで?」
幾分真顔の中に、不思議そうな色合いを見せるアーサーに、生徒たちたちがここぞとばかりに助言してくる。
が、そのどれもこれもをアーサーは木っ端微塵にし、文字通り灰燼と化していく。
まったくもって、フォローの甲斐もなければ助言を口にするだけの苦労も報われないだろうことはわかっていたが、それでも級友たちは止まるわけにはいかなかった。
というより、彼らが仲介に入らずして、すでに相当こんがらがっているアーサーとリーゼロッテの間が、より拗れるのは目に見えていたからである。
「てか、なんで編入生はこんなに怒ってんだ?」
「「「おまえのせいだろがッ!!」」」
なにげなく嘯いたアーサーの発言に、教室内がこれまでになく意見の一致をみせる。
だが、生徒たちからすれば正直そんなことはどうでもよかっただろう。
アーサーのまったく空気を読まない発言のおかげか、むしろその発言のせいとでも言おうか。
余計にリーゼロッテは怒り狂っているし、元凶のアーサーは不思議そうな表情こそ浮かべているものの、変わらず飄々とした胡散くささ全開状態であった。
付け加えるならば、「なんで怒ってるのかさっぱりわからない」とかいうふざけた─ただし、アーサー当人はまったくもって真剣なのだから本当にタチが悪い─としか思えないような、実にいらないことを考えているのが丸わかりな顔をしている。本当に勘弁してほしい。
そんな状況下ということもあって、リーゼロッテの怒りと生徒たちの苦労がおさまるところを知らないという阿鼻叫喚状態に陥っていた。
「キュゥゥ」
「? どした、ロマニ?」
地獄絵図といっても過言ではない状況のなか。
かわいらしい声というか鳴き声が響いて、それまで胡散くささ全開だったアーサーの表情が、僅かではあったがどこか柔らかいものへと変化する。
教室内の騒々しさにもめげずに、ロマニはいつのまにかアーサーの肩口に移動していたようだ。
紫がかった白銀のふわふわとした毛並みを波打たせ、ロマニがピンク色の双眸をまたたかせながら、どこか咎めるような視線をアーサーに向ける。
と、とたんに軽薄さを絵に描いたような色の瞳が、若干気まずげに視線を逸らしたのだが。それを目撃できた人間はごく限られた人数であった。
「ちょっと、王子どういうつもり?!」
「ん? なになに、どしたの、マリーちゃん?!」
「リーゼロッテさんがせっかく、不真面目で胡散くさそうで軽薄そのもののあなたの態度どころか、存在にすらも目を瞑って決闘を申し込んでくれたって言うのに」
「あれ? これ、俺ディスられてる? ディスられてるよね?!」
「その彼女の誠意と覚悟を、そんなふざけた対応で台無しにするなんて! 見損なったわっ、王子!」
「えぇぇ~~っ」
「あなたが、そんな悪逆非道な人間だったなんて。知ってたけど、ここまで悪辣だとは思わなかったわっ」
さっきまでの上機嫌さはどこへいったのか。
いまにも滂沱しそうな悲愴な表情を浮かべたマリーが、お涙ちょうだいとばかりに捲したててくる。
「うぇ~、なにこれ。なんでこうなんの?」
一方的に攻められているアーサーが、げぇ~と言わんばかりの面倒そうな顔をしてぶつぶつ文句を言っている。
しかしながら、当のマリーにはそれらは一切届いていない、というより完全に無視しているようで。
アーサーの反応など気にもとめず、哀しそうな中にも非難するような視線を彼へと向けている。
「男らしくないわよ、王子っ」
「いやいやいや、おかしいで……」
「言い訳なんて聞きたくない」
「俺の方こそ、せめて最後まで聞いてってさっきから言ってんだけどぉ」
「ひどい、ひどい」と一方的にアーサーをなじっているマリーに、どこかうんざりとした様子のアーサーが投げやりながらも突っ込む。
「ごめんなさいね、リーゼロッテさん」
「むっ」
「この人、悪気はないんだけど悪意があるような態度しかとれないのよ。根がひねくれちゃってるから」
「ほんと辛辣ね、マリーちゃんっ」
「だって、本当のことでしょ? あっ、この人のことを誤解するのは大いに結構だけど、私たちをこの人の同類だとは思わないでほしいわ。それだけは我慢ならないから」
「ねぇ、俺そろそろ泣いていい?」
いつのまにか取り出したハンカチで涙を拭っている─実際に涙が出ているのかはわからなかった─マリーは、フォローするようにリーゼロッテに儚げな微笑みを見せる。
これでもかとこき下ろされているアーサーは、淡々と反応されることのないツッコミを入れている。
「ていうか、マリーちゃん。なんで、そういう煽ること言うかなぁ~」
軽薄そうな雰囲気は変わらずも、アーサーはどこかマリーを責めるような調子で言う。
実際、表情こそはへらりとしたチャラさを伴ったものではあったが、その視線はマリーをまるで射貫くかのように剣呑さを含んだものであった。
「俺が公私問わず戦闘行為全般禁止されてるの、知ってて言ってる?」
ていうか、忘れてるんでしょ?
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