第6話 沈黙は金とはいうけれど
マリーの勢いについていけていなかった生徒たちは、ぽかんとした間抜けな様子で見つめることしかできなかった。
それも致し方ないだろう。マリーの言動は理解不能なシロモノだったのだから。
あえて、この場で彼らの現状を例えるのならば未知との遭遇、UMAとのエンカウント、宇宙人との初交信、といったところだろうか。
彼らの戸惑いと動揺具合は、推してしるべしである。
しかしながら、それでも彼らはマリーが担当している生徒なのだ。
マリーに対する免疫が皆無のリーゼロッテに比べて、彼らが現実へと立ち戻ってくる時間は早かった。
それが、果たして幸か不幸かについての議論の余地はあるだろうが。
「なぁ、一体全体どうしてそうなったのかさっぱりわからないんだけど。決闘する意味ある?」
「なくない? ないよね?! まさか、意味あったりすんの?!」
マリーに隠れるように、ヒソヒソと潜めた声音でやりとりする生徒たち。
どこか唖然とした状況のなか、それでも少ない情報を整理してどうにかこうにか現状を把握し、呑み込もうとしているのだろう。
が、生徒たちがどうにか冷静かつ客観的に状況を把握しようとしているのを、嘲笑うかのように事態は刻一刻と予断をゆるさない方向へと急速に進んでいっていた。
それも、マリーというある意味最凶の先導者を経て。
「坊やたち、ここでは私が法律で正義よ♡」
かなりイイ笑顔で断言したマリーに、逆らえるような強者どころか否を唱えられるような度胸のあるものはいなかった。
しん、と一瞬にして静まり返った室内を、これまで以上に重苦しくて全身にまとわりつくような、プレッシャーを伴った雰囲気があっというまに広がっていく。
マリー・ドルッセン。このクラスの担当教諭にして、その可愛く可憐な外見に反して非常に優秀かつ有能な魔術師である。
それこそ、魔術教育に特化したこの魔術学院はもちろんのこと、ありとあらゆる学問・学術について研究している「プレスフィールド総合学術研究院」においても、彼女の優秀さは折り紙つきである。
研究院における三傑の一角としてその名が挙げられ、「鉄の女皇」などという物々しくも怖ろしい異名で呼ばれていることからしても、マリーの立ち位置を推しはかることは十分に可能だろう。
その実力が伊達ではないことは、この学院どころか研究院に名を連ねているものならば誰でもが知っている。
ゆえの、さっきの暴君のごとき発言である。絶句しながらも、反論の一言が生徒たちから一切出なかった状況もさもありなんであろう。
なんというか、つい先ほど垣間見せたイイ笑顔が非常に似合う女性であることは相違なかった。
そう、ラスボス感溢れるというかそういう方向性のアレソレが、大変魅力的に見えるほどに。
マダム・マリー=ラスボスという図式が、言葉はなくとも生徒たちの共通見解として共有されたのは想像にかたくないだろう。
イイ笑顔を保ったままのマリーが、今回の完全なる思いつきと間違いなく気まぐれの発端となった当事者たちを、順繰りと見渡しながら意味深に双眸をしばたたかせる。
「それに、納得できていないのはリーゼロッテさんだけじゃないようだし?」
なんとも思わせぶりな表情と目線で、マリーはアーサーの方へと向き直る。
それに、「俺?」と視線のみで応えた青年に、マリーも頷いてみせることで返答とする。
「王子も、どうしてだかさっぱりとわからないんだけど、納得できていないんでしょう?」
「いや、俺は単にクラスの対応が解せないっていうそれだ……」
「だったら、もう決闘しかないと思うの!」
「聞いてよ! 聞いたなら、せめて最後まで言わせてくれたっていいじゃんっ。ていうか、マリーちゃんの方から聞いたんだから、責任もって終わりまで聞くのが義務でしょうがっ?!」
思わせぶりな視線を向けてくるマリーの様子も意に介さず、冷静に返していたアーサーだったのだが。
貴重すぎる真面目な対応を、マリーの勢いと全開スルー力によってあえなく総スルーされた、まではよかったのだ。
まったくもってよくはなかった、ということは一旦脇に置いておくとして、である。
そこから完全に食い気味の被せ気味で遮られてしまったのでは、さすがのアーサーも堪えきれずにノリツッコミのテンションで盛大に突っ込んだ。
当然のことではあるが、マリーはそんなこと知ったこっちゃねぇとばかりに一切聞いていないし、一向に効いていない。
どころか、アーサーの発言などまるっと存在ごと無視して、己のアイデアに瞳をキラキラと光らせて綺麗な微笑を浮かべている。
「お互いのことをきちんと理解し合うためにも、一度拳を交えてみるのもいいと思うの」
「本気で聞いてないね?! てか、なんでそういうことになんの!」
「まぁ、リーゼロッテさんは女性だし、王子はクズだし胡散くさいけど、これでも一応男性のカテゴリーには入っているしねぇ」
「重要なのはそこじゃない…って、マリーちゃんっ。ねぇ、聞いて?!」
悩ましげな表情を見せるマリーに、アーサーは果敢─ある意味無謀ともいう─にも突っ込む。
しかしながら、そのことごとくは当たり前のように片っ端から無きものにされていく。
哀れなり、アーサー。だがしかし、残縁なことにこれがマリーの通常運転である。
その証左に、マリーはう〜んとどこか思い悩むような様子を見せている一方で。
いまなお捲し立てているアーサーには、一向に取り合うどこか気にかけるようなそぶりですら微塵も感じさせてはいないのだ。
「同性同士ならまだしも、男女で殴り合いっていうのはやっぱり色々難しいと私だって思うわよ? でもでも、決闘するのは譲れないわよね!」
「待って待って待って、いつからそんな話になったわけ? それに、俺そんなこと一言も言っ……」
「ねぇ、一体なにで決闘したらいいと思う?」
「だから聞いてよっ、俺の話!!」
教室内に、アーサーの心の底からの叫びが響き渡る。
完全に巻き込まれ事故の様相を呈してきているが、マリーの食い気味のハイテンション具合を前にどうしたらいいのか。
リーゼロッテはただただ困惑した様子で、状況に流されるままになって碌な反応を示すことすらできていなかった。
マリーのわけのわからない雰囲気にあてられて、ぽかんとするしかなかったともいえる。
マリーとアーサーのマシンガントーク─しかも、内容が斜め87度上方向という微妙具合だった─を前に、口をはさむだけの理由もなければ、二人を仲裁するだけの義理もなかったからなのだが。
完全な置いてきぼり状態であるのだけれども、マリーもアーサーもそれに気づくような様子もなければ、片方に関してはその余裕すらなかったのは明らかであった。
生徒たちからは憐憫の視線がリーゼロッテへと向けられているが、この勢いとテンションのマリーを食い止めることはおろか、冷静に諭すというのも難しいのだろう。
彼らの視線には憐憫が感じられたものの、この現状を止めとうとするような人物はいなかった。
碌な反応ができていないという観点でいえば、アーサーの方もいくら言葉を募ろう─一部正論を述べよう─とも、ろくすっぽ話を聞いてもらえずにただのツッコミ要員と化してしまっている。
とはいえども、マリーとの付き合いも一日の長があることもあってか、アーサーは彼女のテンションさに流されてはいないようだ。
ただし、話が聞いてもらえないどころかまともに取り合ってもらえていないおかげで、リーゼロッテといい勝負をしている。
その時点で、どのように弁護しようとも結局のところリーゼロッテとどっこいどっこい。同じ穴のむじなであり、大差ないことには変わりがないのが非常に残念である。
残念なイケメン、略して残メン。
「んもぅ〜、案外肝っ玉の小さい男ねぇ」
「……マリーちゃん、さりげなくディスるのやめて」
「でもでもでも! 二人とも色々と納得できてないんでしょ?」
情け容赦なくアーサーの精神を抉りながら、頬をぷくっと膨らませたマリーが、アーサーとリーゼロッテに確認するかのように双眸を差し向ける。
妙齢の女性がそんな顔をしても、通常であれば可愛げなどないし、もちろんあざとさだけを狙った態度にドン引き、あるいは呆れるようなところであろう。
しかしながら、どこか拗ねたようなその表情はマリーの容貌にも雰囲気にも大変合っている。
それだけでなく、彼女をより魅力的に見せていた。主に小悪魔的なものの方向へと。
ちなみに、ここで彼女の年齢に言及するのは決して得策ではない。
なぜなら、「マリーちゃんがそういうことしても、あざといだけで可愛くもなんとも……ぐはっ!」というその手に関することをすでに口にして、容赦ない肘鉄を鳩尾へと食らっている男がいるからである。
本気でおすすめしない。本気の本気のマジでおすすめしない。
賢い諸君であれば、ここで口を噤むことのその意味を理解していただけることと思う。
沈黙は金、言わぬが花、口は災いの元、である。
言うに及ばず、正直ものこそ馬鹿をみるの典型例だろう。
「へいへい、真面目に答えればいいんでしょ、真面目に答えれば」と、マリーからえげつない肘鉄の直撃を受けながらも、アーサーは若干顔をしかめるにとどめて、ぶつぶつ小声で文句を言う。
完全に油断していたところを的確についた、正確無比かつ情け容赦ないほど見事な先ほどの攻撃にも、ダメージらしいダメージを受けていない様子には実のところかなり驚くべきものがあった。
が、当人は淡々とした調子で己の考えをまとめるように中空を視線を彷徨わせながら、マリーの質問に答えようと口を開く。
「んん〜。まぁ、そりゃ詳細も知らされずに納得しろって言われて、そう簡単に納得できそうにもないのは当然のことだし? 編入生の戸惑いはわかるっちゃわかるから、俺からはなんとも言えないけど」
「ほんっと煮え切らない男ねっ」
「……相変わらず、俺に対してめちゃくちゃ厳しいよね、マリーちゃん」
その返答が、マリーのお気に召すものではなかったのは自明の理である。
彼女のぷぅっとした膨れっ面や、不機嫌そうな雰囲気にも動じた様子はなく。どころか、面映そうな表情をのぞかせながらも、アーサーは訥々と口調で言い募る。
「でも、本当のことだろ? いくら耳ざわりのいい言葉で取り繕ったところで、編入生にどうあっても事情を説明できないのは変わらないし、納得してもらえなくてもこれ以上の情報を与えることもできやしない。それが俺の本意か意思かだなんて関係なく、な」
先ほどまで垣間見せていたおちゃらけた態度を拭い去ると、アーサーは真剣な表情と声音をマリーに向ける。
「それがどれだけ傲慢なことか、一応理解してるんだぜ、俺だって」
「……そう」
「だからこそ、俺からはなんにも言えないし、言わないし。言えるわけないだろ? 誠意も尽くせないのに、理解しろ納得しろって強要だけするとかさ」
これまでになく真面目な様子を見せて、彼はリーゼロッテを慮り、気遣う内容を淡々とした調子で口にしていく。
ふざけた様子や揶揄うような素ぶりもなく、彼が心底そう思っていることを、持っている総てで表そうとしているかのようであった。
ただし、それが彼の本心であり誠意というのであれば、という注釈がつくが。
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