第4話 『勇者』にも諸事情ある

 アーサーはとにかくうるさく喚き散らしているが、それをフォローしようという気概のある生徒は当然のことながら誰一人としていなかった。


 このクラスの担当教諭であるはずのマリーですら、生徒たちの発言こそ肯定してはいなかったが、アーサーの発言に対して同意するというような様子もなく。

 どちらかといえば、生徒たちの発言を支持するような姿勢を見せていたのだから、アーサーの嘆きも喚きもひとしおと言えるだろう。


「こんな理不尽なことがあって、本当にいいのか?!」


 相変わらず泣き叫び─あくまでも、泣いているのはフリではあった─ながら、本人はいたって真剣な様相で割り当てられた自席に蹴倒す勢いで座る。

 座るやいなや、流れるような所作でちんまりと机上に鎮座していたロマニを、これ幸いとばかりにもふもふし始める。


 あまりにも滑らかかつ自然な動きすぎて、うっかり見逃してしまいそうになるほどに、おそるべき匠具合だった。間違いなく職人芸の域である。


 その一連の行動を見て、周囲の生徒が呆気にとられている─むしろ、アーサーの勢いと行動に引いている─間にも、ロマニのふわふわとしたその極上の毛並みをアーサーは思う存分堪能している。


「……おーい、王子〜。世の中の理不尽について嘆きたいなら、もうちょっと殊勝な態度見せようぜ」


 正当なツッコミが入るものの、特に柔らかいだろうロマニのお腹の毛並みに顔を埋めるようにもふもふしているアーサーの耳には一切入っていないようだ。

 相も変わらず、一心不乱にロマニをもふっている。その様は、どこからどう見ても不審者もとい危ない人間そのものであった。


 決して、絶世の美貌を持った人物がしていい行動でも、表情でもなかったことは明らかだった。


 一方、もふられているロマニの方はといえば。若干どころか、かなり迷惑そうな雰囲気を見せているものの。

 アーサーの行動を止める素ぶりもなければ、逃げ出すような様子もなく。大人しく、アーサーにされるがままにもふられている。なんとも健気である。


「この隙に、ロマニちゃんに慰めてもらおうという下心が透けて見えてるのが逆にイタいわよね」

「だが、どんな時も己の利を追求するその姿勢やよし!」


 生徒たちのヒソヒソとしているようで、一向に隠れる気配のない陰口にもめげることなく。アーサーは、実に恍惚とした幸せそうな表情をしているのが正直なんとも言えない。


 どことなく、スーハースーハーと呼吸する音がここまで聞こえてきているような気がしないでもないが、精神上の安定のために見ないフリが一番である。

 というか、そういうのは隠れてやってもらいたいものだが、いまのアーサーにそれを聞き入れるだけの諸々があるのかははなはだ疑問である。


 そんなアーサーの変態行為を横目で見ながら、教室にいる生徒たちは慣れた様子で顔色一つ変えることなく彼を揶揄し、容赦なくディスっている。

 実際、慣れているのだろう。動揺の欠けらすらも、生徒たちに見受けられないのがその証左である。これに慣れる、というのもどうかとは思うが。

 

「ちょっと待てっ」

「んあ?」


 誰もが触れたくない、とばかりに遠巻きにアーサーたちを見ていた状況で。そこに一石を投じたのは、リーゼロッテであった。


 先ほどまでの茫然とした状態こそ脱してはいるようだが、リーゼロッテはその秀麗な容貌にどこか困惑したような表情を浮かべてアーサーを見つめている。


 未だ困惑は拭えないものの、彼女もようやく現実を受け入れ始めてきたのか。

 はたまた、生徒たちの忠告通り現状について色々と諦観したのか、そう色々と。


「貴殿が本当に『勇者』だとして、その外見はどう説明する?」

「外見?」


 一瞬顔を強張らせ、けれどもそれを振り払うように口にしたリーゼロッテに、生徒たちが一斉に疑問符を頭の上へと浮かべる。


 それもそうだろう。真実アーサーが『勇者』だとして、それに彼の外見が一体全体どう関わってくるのかが生徒たちにはわからなかったのだから。


 そこで空気を読まない発言が、アーサーがアーサーたる所以である。さっきまでもふっていたロマニを離すことなく、実に真剣な面持ちをしたアーサーが口を開く。


「俺の顔がいいのは生まれつきです」

「うぁ〜、出たよ出たよ。そういう意味じゃないって、ほんと」

「めっちゃ真顔で言ってるけど、マジないわ。マジでないわ〜」


 先ほどまでの締まりがない顔が嘘のように、アーサーがこれまたキリッとした凛々しくも、キラキラと周りに星が舞っていそうな顔つきで断言する。


 しかしながら、リーゼロッテの困惑はさらに深まっていっているようだ。

 というより、キラキラしい真顔のアーサーに対して、リーゼロッテの表情が大層苦々しいものになっていると言うべきか。


 周りの様子もリーゼロッテの反応を肯定しているのだが、当のアーサーはそれに微塵も気づいていなかった。さすが、アーサー(空気読めないさん)である。


「違う、そういうことじゃないっ」

「んんっ?」

「より正確に言うならば、『勇者』の年齢に対して貴殿の外見には齟齬があるのをどう説明するのか、だ」


 若干ぐったりしているように見えなくもないが、リーゼロッテは実に頭痛が痛いというような表情でさっきの己の発言に捕捉を入れてくる。


 教室のそこいらから、リーゼロッテに向けて同情の眼差しが寄せられているが、その大本にこそその自覚が一切ないのは世の常か。


「『勇者』が『災厄の魔女』を討ち、世界を危機から救ったのは今からおよそ十年前だ」

「うん?」

「世界を滅亡に陥れるとされていた『災厄の魔女』を討つとなると、当時の『勇者』がどんなに若くとも、十代前半から中盤ぐらいだと推測できる。そうすると、現在『勇者』は少なくとも二十代前半〜後半だと考えられるが、貴殿はどこからどう見ても十代だろう?」

「ふぅむ」


 精神力でもって、強引にでもさまざまな立て直したのか。疲労した様子は垣間見えるものの、リーゼロッテは理路整然と己の考えを主張する。


 それを、アーサーは真面目な様子で聞いているが、実のところなにをどう考えているのか、まではその顔つきから読めなかった。


「つまり、貴殿が『勇者』だというのならばその外見と年齢ではおかしいんだ。『勇者』と貴殿の齟齬を、どのように釈明するつもりだ?」


 彼女の表情は、説明できまいと思っているものであった。


 リーゼロッテの指摘通り、『勇者』は『災厄の魔女』を討ったことで世界の救世主となり、一躍時の人として祭り上げられた。


 それから十二年の時が経っているのだから、どう考えたとしても実際の『勇者』とアーサーの外見と年齢に齟齬がある以上、アーサーが真実『勇者』であるということを立証するのは難しい。


 そのはずであった。しかしながら、何事にも例外というものは存在する。

 周囲に重苦しい空気と静寂が満ちるなか。おもむろに、アーサーは口を開いた。


「諸事情ありまして」

「…………………………は?」


 ぽかんと口を開いたリーゼロッテに同調するように、周りの生徒たちの目を丸くしてアーサーを凝視している。


 実に真剣である。まったくもって、アーサーは真剣そのものの表情をしていた。

 あまりにもキリッとして、凛と澄ました表情をしているせいで、先ほどの発言が夢幻の類いであるのかのように思えるぐらいだった。


 だが、いかんせんその発言内容自体は大変しょぼかった。というか、しょうもなかった。しょうもないにもほどがあった。 


 「ちょっと待って。なに言ってるのかわかんない」という雰囲気でアーサーを見つめる生徒たちを取り巻く重苦しい空気と静寂が、また一段と重苦しさを増している気がしてならない。

 が、それをあえて口に出せるような空気を読まない強者はここには存在し得なかった。


 室内に渦巻く雰囲気に合わせるように、リーゼロッテの表情もまたぽかんとしたものから、時を経るにつれて苦虫を噛み潰したような苦いものになり。


 眉間には、これでもかと盛大な皺が刻まれていっているのだが。

 もちろんのこと、それを指摘できるだけのメンタル強ェェな人物はいなかった。


 そのような状況のなか、おそろしく重たい緊張感を切り裂くように、軽やかな声音があたりへと響く。


「リーゼロッテさん、ちょっと発言させてもらってもいいかしら?」

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