第1話 予言された『勇者』ですがなにか?

「貴殿が『勇者』だと?!」


 驚愕の表情でもって投げかけられた言葉は、教室内だけにとどまらず、その音量からして外にまで響き渡っていることだろう。


 が、ここでそれをあえて指摘するものはいなかった。

 現在のこの状況が、どういった方向へと転ぶかの方に皆の関心が向いていたからである。


 質量でも伴っているかのような緊張感漂う空気が渦巻いている教室内にて、周囲が固唾を呑んで状況を見守っているなか。


 興味と興奮をまとった視線を一身に向けられ、いまなお浴びている青年は緊張感など露ほども感じさせない、どこか飄々とした涼しい顔をして佇んでいた。


 青年の表情からは、なにをどう考えているのかまでは読みとれず。

 生徒たちも、どう反応したらいいのか戸惑うほどであったのだが。


 先ほど彼に向けられた大絶叫に対する返答が、


「そうです、私が世界を救うと予言された『勇者』です」


 であったことに、寸分違わず周囲が一斉にぽかーんとまるで狐にでもつままれたかのような間の抜けた表情をする羽目になったのだが。

 当の本人は、その容貌に違わぬなんともキリっとした面持ちで答えていた。


 「それじゃ一切の説明になっていないし、ひと昔前あたりに流行った詐欺の手法かなにかか?」と周囲の誰しもが内心思いっきり突っ込んでいた。

 非常に残念なことではあるが、当人だけがその事実を知り得なかった。




  ◇◇◇◇◇




 冒頭から、あまりにも頓珍漢な返答をした青年がなぜか『勇者』であることを疑われる、などという展開に陥っているのだが。

 一応念を押していくと、その頓珍漢な返答をしてみせた青年は『勇者』なのである。


 もう一度声を大にして言っておきたいのだが、微妙すぎる空気を作り出している張本人が正真正銘『勇者』なのである。

 そのことを念頭に置いた上で、次の説明というか解説に移りたいと思う。では、なぜ彼らがこのような状況に立たされているのか。


 いな、なぜ彼らがこのような状況に立たなければならなくなっているのか。

 それ相応の理由がそこには存在しているのだが、どうして現状のような事態に陥ったかというとそれは少し前の時間にまで遡ることになる。



 プレスフィールド魔術学院。

 この国唯一にして、世界でも指折りの魔術師育成に特化した教育機関である。


 その歴史は未だ浅いながらも、「賢者の塔」とも称される世界最高峰の独立研究機関、プレスフィールド総合学術研究院を母体として設立されたこの学院は、それゆえに数多の国々の注目、関心を集めていた。


 その学院に、編入生が入ってくるということで、教室内は朝からザワめいていた。

 その理由はいくつかあるのだが、通常この時期に─正確には、この学院に─編入生などというものが入ってこないということが挙げられるだろう。


 この学院の教育体制もさることながら、学院の教育レベルに耐えうるだけの知識と技能を有している必要があることが起因している。


 編入生が入ってこない理由。

 高度な魔術教育をしているだけあって、そもそもの技能・知識がある程度必要であり、それを有する人工数が少ない。


 また国内唯一の魔術師育成・教育機関であり、高度な魔術教育を施していることから、国内外から王侯貴族子女が多く通っている。

 というより、この学院に在籍している学生の多くが王侯貴族出身なのである。


 端的にいってしまえば、学費がバカ高いゆえに裕福な家の子息・子女が通うような学校であることはもちろんのこと。

 またそもそもが高度な魔術教育に耐えうるだけの技能・知識の修得─恐るべきことに入学時点で、である─が必須となっているのだ。


 とてもではないが、一般庶民が通えるような学校ではなかったのは自明の理であろう。


 加えて、魔術師育成・教育機関であるからして魔術師になるだけの魔力を保有していることは必須事項であり。

 学院が求める一定の魔力量を有していることが最低条件となっているのである。


 以上のことから、学院に入学を認められるだけの資格を有した人口の絶対数が少ない、ということが最大の理由となっていることはおわかりいただけただろうか。


 であるからこそ、時期はずれの編入生がやってくることが非常に稀な事態であることもあり、生徒たちは朝からさんざめいていたのである。


 だが、それだけではなかった。

 生徒たちが朝から興奮気味に囁きを交わしていたのには、まだ理由があった。


 それこそ、本日クラスに編入してくる生徒が「西の大帝国」と称される帝国からやってきた人物、であったことだろう。

 きちんとした協定を結んだ友好国という位置づけにあるとはいえ、この大陸もとい世界にその名を広く轟かせている軍事大国である。


 帝国の名前を聞いただけで、裸足で逃げ出したくなるような大人も多いなか、やはり子供たちは暢気なものであった。

 編入してくる人物に向けた生徒たちの好奇心は、陰鬱とは真逆の代物であり、大変友好的な目線のものだった。


 友好国である軍事国家にして、「西の大帝国」と呼称される大陸随一の大国である帝国からの編入生が学院に入ってくるというのだ。

 歴史が浅い影響もあるが、この学院に帝国からの編入生が入ってくるのは初めて、ということも彼らの興味を引き、また好奇心をくすぐったのだろう。


 そこかしこで交わされている囁きも、比較的好意的なものばかりであった。

 といっても、姦しい囁きも好奇心が徐々にヒートアップしている教室内のザワめきには、辟易してしまいそうなものがあったことはここに明記しておく。


 が、それもまた娯楽の少ない学生という身分の彼らからすれば、致し方ないものであったのだろう。


 編入生の到来をいまかいまかと心待ちにしている生徒たちの、期待に満ち満ちた教室内の騒々しさを切り裂くように、当の編入生が担当教諭につれられてやってきたのはそんな時だった。


 同時に、生徒たちの興味と関心と興奮も最高潮に達していた。

 このクラスの担当教諭につれられてやってきた編入生が、ただの少女というよりまさに美少女、と称するに差し支えない容貌と体格をしていたからだ。


 その容貌はまさしく美少女と呼ぶにふさわしく、未成熟ながらも将来大輪の花を咲かすであろうと推測するに足る、繊細でありながらも端麗で優美なものであったし。


 体格こそ小柄ではあったものの、その所作は落ち着いたなかにも、優雅さとしなやかなを感じさせるには十分なものだった。

 癖のない真っ直ぐの灰青色の髪に、同色のけぶるようなまつ毛に縁どられた琥珀色の双眸は、少女のあどけなくもそこはかとない儚さをまとっていた。


 だが、琥珀そのものをはめ込んだかのような彼女のその双眸だけは、儚げな容貌を裏切るかのごとく意思の強さで輝いており、それがなお一層のこと彼女の魅力を引き立たせていた。


 編入生のその様子に、生徒たちは言葉もなく息を呑んで見つめているので精いっぱいになっていた。


 彼らは知るよしもなかった。このあと思いもよらぬ事態が彼らに降りかかることを。

 それを引き起こすのが、この目の前にいる美少女であることを、この時点では誰ひとりとして予想していなかった、いや予想できなかったのだ。


 生徒たちの興奮も冷めやらぬなか。

 編入生が担当教諭からの簡単な紹介の後に、彼女がまず最初に口にしたのが己の自己紹介などではなく、『勇者』に対する挑発であったのだから。


 なんと、編入生は学院への編入一日目の開口一番にして、驚くべきことに『勇者』に喧嘩を売り出したのである。

 これには、編入生の様子を注視していた生徒たちも、完全に虚をつかれたのは言うまでもない。


 唖然とした表情を各々浮かべながらも、先ほど編入生の口から放たれた言葉が聞き間違いだったのではないか、と回らない思考のなかで必死に考えていたのである。


 しかしながら、彼らの聞き間違いなどでは当然のことながらなかった。

 彼女──編入生であるリーゼロッテ・ヒュルツ・ジークフレードの口上は、皮肉に嫌みが何重にも包み込まれて絶妙に絡み合う、実にウィットに富んだ内容だった。


 彼女の口調は、その容貌と外見とは裏腹に随分と尊大かつ端的。

 どこかはすっぱに感じてしまいそうなその言い回しも、威風堂々とした佇まいによって違和感を抱かせないほどであった。


 だが、未だ驚愕に彩られた表情をしていながらも、聞き手側の生徒たちにとっての関心は、残念ながらそこではなかった。

 というより、彼らは戸惑っていたのである。どう反応したらいいのか、わからなかったのである。


 その彼らの戸惑い含めた教室内のざわめきを、どう受け取ったのか。

 リーゼロッテは徐々にヒートアップしながら、『勇者』への罵詈雑言を慇懃かつ丁寧な言葉に、これでもかとくるんでみせつつも訥々と述べ続けていた。


 それを耳にした生徒たちが、ますます困惑を募らせていっていることにも気づかず、彼女の独壇場は誰にはばかることなく継続していっていた。

 生徒たちの困惑を、ものの見事に置き去りにして。


 このまま誰にも制止されることなく、リーゼロッテと生徒たちの間に横たわる認識の相違が、断崖絶壁のごとく広がっていくか、と思われた。

 と、彼女の一方的とも言える『勇者』に対する演説が一旦休止となる。


 しかしながら、それは彼女が自らの主張を総て口にできたからではない。

 その証左に、リーゼロッテはこれまでの無表情もかくや、というような嘲弄をその秀麗なかんばせに浮かべると、決定打となる一言を口にしたのである。


「『勇者』などと持ち上げられているようだが、しょせんは人殺しだろう?」


 これには、さしもの生徒たちも唖然というよりは愕然となり。教室内の緊張感も頂点に達した。

 ちょうど、その時。


 救いの手が差し伸べられた、といいたいところではあったのだが。

 救いの手にならないどころか、事態をさらに膠着させうるだろうトドメの一撃が、そうとは知らず、また知らされないままに差し出されてしまったのである。


「はぁ、やっとたどり着けた」


 なんとも軽い調子とノリの声音とともに、教室の扉がカラカラと軽快な音を立てながら開かれた。

 室内に渦巻く緊張感などどこ吹く風。


 教室のなかに充満していた緊張を孕んだ空気をまったく読むことなく、むしろことごとく吹き飛ばす勢いのそれに、先ほどまでリーゼロッテに向けられていたはずの注目が、突然開かれた扉の方へと集中する。


 そこには、少年というには若干成熟しており、青年と称するにはまだ幼さを残していながら、驚くほどの美貌を有した男─身なりと体格からしておそらくそうだと思われる─が教室内に堂々と入ってきていた。


 室内にいたリーゼロッテ含めた生徒たちが、思わずぽかんと口を開ける勢いで彼を見上げてしまったのもある意味で致し方ないことなのだろう。


「うぃ~、みんなのお待ちかね。この俺がやってきましたよぉ~」


 空気が抜けるそうな口調とセリフを零す人物に、さらに室内の緊張感が失速するのをひしひしと肌で感じながら生徒たちの視線が集まっていく。

 痛いほどの視線を浴びながら、彼はそれを気にした様子もなく、飄々とした風体で教室内を闊歩する。


 どこかおどけたというかすっとぼけたへらへらとした笑みを、その美麗と呼ぶに相応しい容貌に浮かべている。

 が、その美貌に不釣り合いな締まりのない表情ゆえか、どうにも胡散くささが拭えない。


 というか、全身から胡散くささが滲み出ていた。


 とにかく胡散くさいのだ。悠々とした優雅ともいえそうなその歩きですら、どこか胡散くさいのだから相当ではないだろうか。


「ちょうどよかったわ、リーゼロッテさん。彼があなたの待ち望んでいた『勇者』よ」


 これまで傍観者に徹して、一言も言葉を発していなかった担当教諭──マリー・ドルッセンが、相変わらずのにこにことした邪気のない笑みでそう零す。


 無邪気そのものといった微笑を浮かべているが、このクラスの間違いなく担当教諭であるマリーことマダム・マリーは、担当教諭というよりは生徒だと言われた方がしっくりくる外見をしている。


 ゆるく波打っている麦わら色の髪に萌葱色の瞳をした彼女は、『勇者』と紹介した青年とリーゼロッテを眺めやっては、未だおっとりとした曇りのない笑みを口元に携えている。


 マリーの発言を受けたリーゼロッテが、思わずといった体で目を見開いて、未だ扉前でへらへらとした微笑を浮かべた人物へとその視線を差し向けた。

 その陰で、緊張感が幾分抜けた教室内でほっと安堵の息がそこかしこでつかれていた。


 そうなのである。

 お察しのことと思うが、リーゼロッテに『勇者』について散々罵倒され、侮蔑されていながら、生徒たちが怒りでも敵意でも侮蔑でもなく。


 困惑を浮かべていたのは、なんてことはない、当事者たる『勇者』本人が教室内に不在だったから、なのである。


 まぁ、実際は当事者である『勇者』当人が不在だったことよりも、『勇者』である彼の中身について色々と思索していたがゆえ、なのだが。

 この場においては、完璧に些末事なので割愛する。


 そんなことは露知らず。

 視線を差し向けられた青年は、怜悧ともとれる双眸をぱちくりと瞬かせながら、編入生たるリーゼロッテを真っ直ぐ見つめ返している。


 優美を呼称されてしかるべき顔貌をしていながら、どこか力の抜けるようなチャラチャラとした様子に見えるのは、穿ったものの味方ゆえか。

 いや、そんなことない。


 絶対チャラい、なにをしてもチャラい、どう考えたってチャラい。

 上に、めちゃくちゃ胡散くさいし、やっぱりその表情はどこから見ても胡散くさい。


 青年のチャラさと胡散くささは一旦置いておくとして、リーゼロッテがあれほど扱きおろしていたにもかかわらず。

 反論の言葉の一つもなかったのは、この『勇者』として紹介された彼が不在だったからである。


 当事者不在のなかでの罵詈雑言など、ただの陰口でしかない。

 しかも、本人はその一端ですらも耳にしていないので、怒ろうにも怒ることもできはしないのだが。


 この男、なかなか強運というか運がいいというか、なんというかだったのである。

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