龍の首の珠

神在月ユウ

竹取の翁、その数年前—――

 むかしむかし、あるところに、竹取の翁という者がおりました。

 ですが今回、『竹取』は忘れていただきましょう。

 これは、竹取の物語が始まる、数年前のお話です。



 筋骨隆々で太刀をいた老人と、煌びやかな衣装で悪目立ちしている若い男が浜を歩いていました。

「本当にこの辺りなのか?」

オレの情報に狂いがあるわけなかろうが、たわけが」

 疑いの目を向ける老人と不遜な物言いの若い男は、周囲を、特に海を見つめます。


 海の底にあるという龍の住処『竜宮城』、そこに住まう海神たる龍を求めてのことでした。

「龍は儂が探しておく。みかどは下がっておるがいい」

「何を言うか。そうしている間に龍を見逃したらどうするつもりだ」

 今さらっと言いましたが、この若い男はこの日ノ本の帝です。

「その帝に何かあったら困るから言っている」

「その帝に危険がないようにするのが近衛大将である貴様の任であろうが」

 そして、この太刀を佩いた老人—――周囲の人間は本名ではなく畏敬の念を込めておきなと呼ぶ—――は、その帝を警護する近衛大将です。

 なぜこんなところに二人でいるのか。

 帝が「龍が出るらしいぞ。見に行くぞ」と言い、翁がそれに付き合わされているのでした。御簾みすの裏で側近が代弁などまどろっこしいと言い、面白いと思うことには片っ端から手を出す、人に迷惑をかけまくる帝です。今回、他の側近たちは「危のうございます」とかなり離れたところで待機しています。

 それでいいのかお前ら。


 しばらく浜を歩いていると、数人の子供たちが亀をいじめていました。

 無視してもよかったのですが、翁は子供たちに向かって歩いてきました。

「これ、やめないか」

「なんだよ、おれたちの勝手だろ」

 子供たちは言うことを聞きません。

 仕方がないので翁は手近にあった大きな岩まで近づき、


 ゴゥン―――!!


 その拳で岩を砕きました。

 翁が振り返ります。

「ひぃっ」

 子供たちは、巌のような翁の顔と粉々になった岩を見て慄き、走り去りました。

「……助けていただきありがとうございます」

 いじめられていた亀は翁にお礼を言いました。

 若干翁に引いていましたが。

「竜宮城でお礼をさせてください」

「ほう」

「うむ」

 亀に連れられて、竜宮城に向かいました。



「ようこそおいでくださいました」

 美しい妙齢の女性が、竜宮城へとやってきた翁と帝の前に現れました。

「わたくし、この竜宮の主、乙姫と申します」

 恭しく出迎える乙姫は、柔らかな笑顔を浮かべ、二人を歓迎します。

「ささ、こちらへ。亀を助けていただいたお礼に、宴でおもてなしをさせていただきます」

 本当にここが龍の棲む竜宮城かと疑いますが、

「うむ、ご苦労。このオレをもてなす栄誉をくれてやる」

 どこまでも偉そうな帝はほいほいと乙姫についていきます。

「……」

 対して、翁は乙姫、というよりはこの場の雰囲気を訝しみながらも、帝に続きます。

 翁は見逃しませんでした。

 ここにやって来たとき、門番の虎魚おこぜが緊張の面持ちで自分たちを見ていたことを。

 そして、周囲の生き物たちが、並々ならない緊張感に加えて、ある感情を滲ませていたことを。

(あれは……恐怖と、わずかな怒り、か?)



 宴は大変華やかなものでした。

 ひらめ海月くらげの舞を見ながら、青魚の刺身を肴に酒を飲み、帝は大変上機嫌です。きっと何をしに竜宮城に来たかなど忘れていることでしょう。

 それにしても帝が食べること食べること。

 次々と皿を空にしては乙姫が立ち上がって「次を持ってまいります」と宴席から外れ、その度に室内の魚が呼び止められ、悲壮感と共に乙姫に連れられていくのはなんとも言いがたいです。

「おい、少しは遠慮したらどうだ」

 ちびちびと酒を飲む翁は、隣で上機嫌になる帝を窘めますが、

「何を遠慮することがある。オレは帝だぞ」

 聞く耳を持ってはくれませんでした。


「乙姫よ、次はだ」

 とうとう帝は料理のリクエストまでし始めました。

「承知いたしました」

 恭しく礼をすると、乙姫は舞を踊る鮃の一匹に声をかけて連れていきます。

「そ、そんな、乙姫様ぁ…!」

「なにか?」

「い、いえ……」

 鮃は一瞬声を荒げますが、乙姫に笑顔を向けられると、俯き、諦めたように黙りました。

 帝には、周囲の魚たちから避難がましい視線が向けられますが、当の本人は気にした様子がありません。


 どれだけ時間が経ったでしょうか。

「もう十分だ。帰るとしよう」

 翁は乙姫に告げました。

「あら、もうお帰りに?泊っていったらよろしいのに」

 さも残念そうに、小首を傾げながら乙姫は言います。

「そうだぞ貴様。こんないいところ、早々に引き上げることもあるまい」

 帝も帰る気がなさそうです。

 しかし、そうもいきません。


 のですから。


「いくぞ」

「おい、何をする」

 翁は帝を引きずる勢いで立ち上がらせると、宴会場を出ようと歩き出します。

「お待ちください」

 乙姫は翁を呼び止めると、小箱を差し出しました。

「お帰りでしたら、こちらの『たまて箱』をお持ちください」

「ほう、手土産とは、いい心がけだぞ」

 帝は上機嫌でしたが、翁は首を横に振ります。

「結構だ。気持ちだけ受け取っておこう」

 翁は帝の腕を掴みながら出口に向かって早足に歩いていきます。


「そうはいきませんわ」


 場の空気が凍った。

 そう錯覚するほど、乙姫の声音は冷めきっていました。

「ここまで時間を取らせておいて、お帰しすることはできません」

 乙姫の輪郭が歪んでいきます。

 珠のような肌は鱗に覆われ、体は蛇体のように長くなり、白魚のような指は凶悪な鋭い爪を生やし、笑みを浮かべていた口からは鋭い牙を覗かせています。

 体長二十メートルを優に超える巨体。首元にはきらりと光る宝玉。

 それは、紛うことなき龍の姿でした。

「大人しく宴を楽しむなり『魂手箱たまてばこ』を受け取るなりすればよかったものを」

「どちらにせよ、結末は碌なものではあるまいて」

 翁は帝を後ろに下がらせて、太刀を抜きます。

 帝は驚きながらも、

「ふ、ふん、ようやく正体を現したな龍よ。さ、最初から正体はわかっていたぞ!」

 ビビりながら何か言っていますが、もう翁は聞いていません。

 何せいつものことなので。

 

 翁の判断は早い。

 帝を物陰に潜ませると、部屋の隅まで走り、体の半分ほどの高さのある大きな瓶を片手で持ち上げ、乙姫に向かって振りぬきます。

「なにを!」

 龍は数十キロある瓶を巨体で弾きます。

 しかし、その弾いた瓶に続き、翁が飛び込んできていました。

「ふんっ―――!」

 翁は太刀を横一閃。

 鋭い斬撃が龍の長い胴を薙ぎます。

 しかし、ガギン!と鉄同士がぶつかったような音がするだけで、その体に傷をつけることができません。

「どうした、ひ弱な人間よ!」

 吠える龍は、お返しとばかりに鋭い爪を翁に振り下ろします。

「くっ」

 それを太刀で受け止め、しかし勢いを殺しきれずに真下に叩き落され、更に勢いよく振りぬかれた尻尾による追撃を食らい、翁の体が部屋の隅まで吹っ飛び、背中を強かに打ちつけられます。

「何をしている!さっさと斬り伏せろ!それでも近衛大将か貴様ぁ!」

 陰から顔を出してヤジを飛ばす帝ですが、龍に睨まれると再び隠れました。

「簡単に言ってくれるな……」

 翁はゆっくりと立ち上がります。

「海原を統べる王たる海神、神格の部類相手だというに」

 目前の龍—――乙姫は、この海の監督者であり支配者たる龍神であり、その鱗はあらゆる攻撃から身を守り、爪は万物を裂き、その牙で全てを嚙み砕く。そんな存在を、人の身でどうにかしようというのだから、翁は馬鹿馬鹿しくて笑ってしまいます。

「この秘剣、どこまで通じるか……」

 

 翁の姿が掻き消える。

 気づくと、龍の眼前まで迫っていて—――


「秘剣壱—――〝うつろ〟……!」


 先ほどよりも鋭い一閃が、龍の鱗の合わせ目を狙います。

 龍はそれを体を捻ることで狙いを逸らし、鱗で受け止めます。

 その動きの意図を、翁は見逃しません。


「秘剣参—――〝おぼろ〟……!」


 目にも止まらぬ鋭い突きが、狙い違わず鱗の合わせ目に突き刺さります。

「ぐ、き、さまぁ!」

 龍は怒り、鋭い爪で引き裂こうとしますが、思っていたよりも離れた場所にいた翁はさっと後退して回避しました。

 龍の首元には、うっすらと亀裂が入り、一筋の血が申し訳程度に流れています。

「あの一撃を受けても、この程度の傷しか負わせられぬとはな……」

 翁の額に冷や汗が滲みます。

 これまで数多の敵と戦ってきた翁ですが、この龍は間違いなく最上位に属する存在です。殺されてもおかしくない。自身の死を想起させる存在でした。


「仕方あるまい……」


 翁は身を低く、床に片膝がつきそうなほど身を屈め、断頭を待つ罪人のように頭を垂れ、目を瞑りました。

「諦めたかぁ!」

 龍が、長い体をくねらせながら尻尾を振り上げます。

 これまでよりも勢いのついた、必殺の一撃。

 あれを食らえば、いかに強靭な翁の体でも粉砕されてしまうはずの、その猛威は、


 ただ、床を砕くだけに終わりました。


「なっ!?」

 何が起きたのかわからないまま、龍は目を見開きます。

 その目に映るのは、舞い上がる自分の血液の紅。


秘剣ノ極ヒケンノキワミ—――〝紅無くれなし〟」


 龍の後方で、翁は膝をつきながらも太刀を納刀しました。

 それは、勝利の確信—――ではなく、これ以上の戦闘に耐えられない自分の体、それを知った上でのでした。

 

 龍は血飛沫を上げながらその場にくずおれました。 

 ころころと、宝玉が転がり、帝の元まで辿り着きます。

「ほう、これが世にいう『龍の首の珠』か」

 帝は満足げに頷きました。

 翁はふらつきながらも帝の元まで歩いてきます。

「ご苦労だったな。褒めて遣わすぞ」

「いいから、早くここを出るぞ」

 上機嫌の帝に、翁は緊張を解かないまま告げます。

は一時的に倒れているに過ぎん。龍神の力を侮るな」

「ならばトドメを刺せばよかろうが」

「あの蛇体を刻んだところで神格の本質は斬れん。儂もまだまだ、だな」

 翁の体はボロボロでした。

 最初に受けた尻尾の一撃すら、常人であれば即死ものだったところを、鍛え抜かれた翁の肉体だからこそ耐えきれたものでした。それに加えて翁の修めている一子相伝の秘剣、その極み―――奥義の使用が翁の体を酷使しています。

 しばらくは、動くこともままならないことでしょう。



 最後の気力を振り絞り、翁は他の魚たち同様遠巻きに様子を見ていた亀を捕まえて地上まで送らせました。

 実は普通に帰ると竜宮城と地上の時間の流れが違うため遥か未来に辿り着いてしまうのですが、帝が手にしていた龍の首の珠の力でその因果を歪め、時間差なく戻ることに成功していました。

 この度唯一の帝の貢献でした。





 そして、数年後—――

「…………りゅ、『龍の首の珠』がほしいです!」

 娘のかぐやが求婚を迫られた際に、咄嗟に口にした秘宝の名を聞いて、翁は当時のことを思い出しました。


 あれからしばらくして、「もう付き合いきれん」と宮仕えから離れ、紆余曲折を経て竹取をして暮らしています。

 あれから、『秘剣』を繰り出すことはなくなりました。

 専ら太刀は竹を切るくらいにしか使いません。


 普通は竹を切るのに太刀など使いませんが。


 熊に襲われれば鍛え抜かれた肉体から繰り出す拳で顔面を陥没させ、村が野盗に襲われれば素手で撃退し、行き倒れていた妖狐を躊躇いもせずに匿ったりと、正真正銘『無敵の人』として暮らしていました。



 それから十日と待たずに再び『秘剣』を繰り出すことになるのですが、それはまた、別のお話です。







※尚、こちらがその別のお話です。

『竹取物語』

https://kakuyomu.jp/works/16817330651621640538

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