第三章『最終戦争編』
第11話『切り捨てるということ』
邪悪が漏れ出でる。
深淵の底より命あるものの敵対種、世界を己が色に染め上げんと迫る魔王の眷族が漏れ出でる。
其は骸の大翼を広げる邪龍。
其は龍の劣化個体。
其は翼持つ逆足の悪魔。
平原を見守る青空を塗り潰し、災厄の軍勢が列を為す。
主の命に従い、人類の生息圏を脅かすために。己が心命を以って、主の時間を稼ぐために。
連なり群れ為す黒点もまた同じこと。
迅速なる機動性こそなけれども、南部を災いの嵐を引き起こすには事足りる。
何より、地を侵略する数こそが彼らの持ち味なのだから。
誰が。否、何が最初に雄叫びを上げたのか。その疑問が意味を持つことは永遠にないだろう。
次々に大気を震わす咆哮は、視覚だけではなく聴覚をも以って脅威を殊更印象的に強調していた。
「報告します! 南部より魔物の大軍勢が出現ッ。確認できるだけでもゴブリン、スライム、ワイバーン、アークデーモン。そして、ドラゴンと思われる個体も複数視認できます!」
鬼気迫る声音でセントラル国の中心部、王宮に響き渡る兵士の報告に反応する者は皆無。
国王も。近衛兵も。賢者も。当世の勇者たるオルレール・アヴェンでさえも。
口を開け、声とも取れぬ空気の流れを漏らすのが精々。
常ならば性質の悪い冗談、もしくは幻術の類を疑われる報告である。だが、軍内部や政治の中枢にすら割り込もうとした狡猾なる魔王の存在が明らかとなった今では、遂に武力行使に出たのかと戦慄する他にない。
「私が迎撃しますッ。魔物はどこへ?!」
最初に放心から解き放たれたのは、紅蓮の髪を二つ結びにした勇者。
自身が勇者となった理由。今この瞬間も心を焼く復讐の業火を解き放ち、バイデントのような悲劇を繰り返さないためにも、果敢に声を荒げる。
しかし、続く兵士の言葉は少女の心に零下の如き冷水として届いた。
「そ、それが……ドラゴンを中心とした軍勢は南部を離れ、北部や東部、西部を目指す軌道を取っています。更にはゴブリンなどからなる地上部隊はそのまま北上して進路上の村々を襲撃。現在は辺境軍が防衛に当たっていますが、それもいつまで持つか……」
消え入りそうになる言葉は、兵士自身の忸怩たる思いが乗ったものか。
我欲で国を売る国賊など極少数。しかし、その少数がために大多数の同胞が死に瀕しているのだ。思う所のない軍人などいない。
そして、敵が分散して事に当たっているという事実は勇者に救うべき民を選別しろ、と主張する。
故郷を焼かれ、家族を奪われた少女に対して。
「ッ……!」
唇を噛み、オルレールは一筋の血を流す。
「でしたらここから一番近い目的地をッ。私が全部退治します!」
「無理です、勇者オルレールッ。数が多すぎる!」
それでもなお、あまねく全てを救おうと足掻く少女へ、賢者であるタナトは静止を訴えた。
「何故止めるのですッ?! 私は勇者、魔物に苦しめられる人々を救わねば、その価値がない!」
「貴女一人では精々地方一つを救うのが限界ですッ。そして残る土地には魔物が根付き、全てが終わる!」
「貴方がそれを言うんですか?!」
「僕だからこそ言うんです!」
互いに睨み合い、怒声をぶつける二人。今やたった二人の勇者パーティーだが、モストに、魔王
向けられる視線から溢れる憎しみの欠片を敏感に掴んだのか、賢者は目線を兵士へと逸らす。
「確認できたドラゴンタイプは何体ですか?」
「凡そ七、八体かと……ただでさえ大軍勢な上、ワイバーンも混ざっているため正確な数の把握は……」
「別れた中には何体ですか?」
どこか詰めるような口調に圧され、兵士は僅かに声を震えさせた。
「ほ、報告では二、三体と……」
「なるほど……でしたらドラゴンタイプとアークデーモンを我々で対処し、他の魔物には防衛線を下げて守りを固めるべきかと」
「守り? 防衛線を下げる? 民に故郷を捨てろと言うんですか?!」
「取り零しがないように防衛範囲を狭めろと言ったんですよ!」
タナトの助言は的確で、何もなければ国王もその案を軸に検討すべきと考えた。
しかし住む土地を追われる苦しみを知り、まだ勇者に選ばれて日の浅い少女には受け入れ難い提案でもあった。
「それは同じ意味ですッ。言葉が違うだけですッ。
あんな悪逆、絶対に許してはいけないことなんですッ。それができないのなら、できないのなら……!」
オルレールの脳裏に過るのは、故郷を焼かれ両親を目の前で殺害された日。
バイデントを埋め尽くす魔物の軍勢が、次は多数の地方を襲う。無数の自分を産み落とし、自分にすらなれない肉塊を量産する。
それを防げないのならば、勇者になった意味など──
「我々が迅速にやるべきは、洞窟から姿を消すはずのモストを止め、全てを終わらせることです」
少女の思考を妨げたのは、賢者が告げた一つの結論。
現状に於けるある種の最適解にして、どうしようもない次善策。
「モストを、止める……」
「僕ならテレポートで洞窟へ直接迎えます。きっとモストもそれを分かってるから、こんな時間を稼ぐような形で大軍を出してるはず。
……今一番恐れるべきは、モストがケール洞窟から姿をくらまし、魔素と共に行方が追えなくなること」
今後は翼持つ魔物を主軸にどこかの無人島に居を構える。
もしくは船そのものを拠点に移動しつつ活動を続ける。
或いはどこかの国と正式に手を結び、次は軍の士官にでもなるか。
魔素さえあれば幾らでも魔物の代えは効く。故に居場所が判明している今しかないのだ。
「奴らに、魔王に時間を与えてはならない。分かって下さいオルレール。
……恨むなら、貴女にこんな選択を僕を恨んで下さい」
彼の言葉は正しい。
だが。それでも。
多数の人々を見捨てるという答えを出すことは、未だ一五の少女には過酷に過ぎた。
一筋の滴が頬を伝い、床を濡らす。
それは、声に出すのが憚られる首肯であった。
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