第9話『落日の勇者』

「しっかし、タナトのヤツはどこほっつき歩いてんだ」


 アイギスに数多ある宿屋の内一つ。貴族も私的な逢瀬の目的で利用することの多い高級店で、アーポロはパーティーの一員が未だに酒を買いに行ってから帰っていない事実に不安を抱いていた。

 シックな雰囲気を演出する木目の色合いも、同郷の友が帰還していない状況には効果が薄い。


「どうしたんスかねー、タナトさん」


 アーポロの言葉に同調するのは、パーティー内でもニュンペーに並ぶ女性メンバーである僧侶。

 ディケ・クリファは真剣さに欠ける、どこか間延びした口調で賢者の不在に顎へ手を当てる。何故か比較されることも多い僧侶と賢者だが、癒し手である僧侶と博識さが重要視される賢者ではパーティー内での役目も全く異なる。

 端的に述べれば、ディケにタナトの代役は務まらない。当然、漁師のトリトンや魔物使いのニュンペーにも。


「全く……明日は早朝から西部に飛ぶ必要があるってのに。ただでさえ酔って魔法やら判断力やら落ちてんだぞ、しっかりしてくれよ……」

「ヤバいスよね、タナトさん」


 昼夜、街も外も問わず酒を浴び続けるタナトは常に泥酔状態から酩酊の間を揺れ動いており、近頃は特に足を引っ張ってばかりであった。

 一昨日も取り扱うべく魔法を誤り、危うくパーティーも壊滅寸前の事態にまで及んだ。もしもアーポロ達が同郷ではなく、タナトに信頼を抱いていなければ既に三度は追放の命を下している。


「テレポートの精度も滅茶苦茶だし、このままじゃ馬車移動で無駄に費用が嵩むぞ……」


 こと金銭感覚に於いて、アーポロは外見から来る印象よりも遥かにシビアであった。

 そもそも勇者として魔王討伐を決めた理由も、クリファ自治区の貧民街で朽ち果てるよりはマシという金銭的な側面が大きい。

 金貨を一枚拾い上げると、世界を救済した勇者は愛おしげに眺めた。

 勇者パーティー五人を運ぶとなれば、距離も相まって相応の費用となろう。一人減って多少は安く収まるだろうが、タナトのテレポートを頼ればタダで済む。


「タナトを切……いやいや、何考えちゃってんの俺はッ」


 脳裏に過った提案へ被りを振ると、アーポロは金貨を麻袋へ戻す。

 しかし、それにしてもタナトは遅い。いったいどこまで酒を買いに行っているのか。


「ッ?!」

「な、何々ッ?!」


 平穏な時間を切り裂くは、紙障子の如く崩落する木造建築と雷鳴を彷彿とさせるけたたましい破砕音。

 魔王の存命時にしてもあり得ない首都アイギスへの襲撃。まして、今や魔物の大半はモストの管理下に置かれ、統制された上でセントラル国の端々を襲撃している。

 脅威を煽るにしても過剰なやり口は、理性的な彼女のやり口からは乖離していた。


「いったいどこの差し金だッ!」

「やはり、貴方達はそういうことなのですか?」


 背筋を走る冷や汗に反射で振り向くと、電線数本に吊るされた照明がナニカを照らして左右に揺れる。

 燃え盛る紅蓮の長髪に炎熱を閉じ込めた刀身。暗がりでも分かる、一度目にすれば脳に焼きつく名剣だが、一方でその服装は村娘の延長線上に立つ。


「宿を半壊させる一撃を見てどこの差し金……これをただの暗殺ギルド無勢が行えると、あの勇者様が本当にお思いですか?」

「そ、それは……ってか、お前は誰なんだよッ。要件を言えや、要件をッ」

「要件? あぁ……これは答えはなりますか、聡明なる勇者様?」


 どこか皮肉げな口調で語る少女は、左手で何かを放り投げる。

 場違いな音を立てて何度か跳ねる球状の物体は、アーポロの足元にぶつかると動きを止めた。

 目線が、あった。

 そう、足元に転がる目と。


「ト、トリトンッ。ニュンペー!!!」


 仲間の頭を刎ねた下手人は、鋭利な眼差しで勇者を見つめる。


「賢者から聞きました。貴方達が魔物を扇動する者と共謀し……バイデントを、私の故郷を焼いたと……!」

「バ、バイ……なんだって?」

「ッ!!!」


 逸る激情に呼応し、際限なく溢れる魔力につられて二つ結びの髪が逆立つ。子を奪われた野生動物の如き表情が、アーポロを射殺さんと睨みつける。

 腕だけで無造作に背後へ刃を振るい、蹲ったままのディケを切り裂く。

 残った壁面に飛び散る血飛沫は、同郷の友がまた一人戦死したことを意味する。


「ディケッ、お前ェッ!」


 如何に僧侶といえども、魔王との戦いを切り抜けた女性にあるまじき呆気ない最期は、アーポロに素早く剣を握らせた。

 黄金に輝く聖剣は彼が勇者に選ばれた際、神より賜った世界に二つとない得物。クリファ自治区の貧民から、世界の救済を義務付けられた勇者へと昇格した最大の証明である。

 握る柄に力が籠る。

 真空を切り裂く神速の刃が二振り、衝突の衝撃で半壊した宿が更に揺れ動く。


「知り合いが殺される気分、少しは分かりましたか。勇者様?」

「なんだ、なんなんだお前はッ!」


 弾け、刃を振るい、再度鍔競り合う。

 甲高い重低音が夜闇を吸い込まれ、さながら夜明けを告げる鐘の音を思わせた。

 瞬きの間に重なる剣戟は数十を超え、百に至る。

 無論、戦闘を前提に構築している闘技場でも崩落する衝撃の乱舞に高級といえども木造の宿が持つはずがなし。貸し切りにしているが故に死傷者は勇者の仲間に限られるものの、見る見る間に宿は原形を無くす。


「これが人の死に方ですか。あれが正しい人の最期ですか。あんなもののために貴方達は魔王と戦ったのですか?」

「うるっせぇなッ、タダで守ってもらった癖に文句まで垂れてんじゃねぇよッ。そこまで世話焼く義理があるのかよッ?!」

「守ってやったから殺してもいいとでもッ?!」


 炎熱の一振りが夜闇を照らし、地上に日輪の現界を告げた。

 アーポロの担う黄金など眩暈程度にしか思えぬ、目を焼くばかりの眩さが刃を通じて熱を放つ。

 彼女の胸を焼く憎悪の炎が、空想より根を下ろした証左として。人の道を外れた魔物共を屠る、真なる勇の具現として。


「ッ……!」


 慮外の力に押し出され、剣を弾かれたアーポロは体勢を崩す。

 間隙を見逃すつもりのないオルレールは更に一歩踏み込み、懐へと距離を詰める。

 薪には父と母と、辺境軍と故郷をくべて。

 少女は己が身を焼く業火を解き放つ。


「燃え尽きろ……罪の一滴までッ!」


 少女には剣術の筋など分からない。

 数刻前に勇者へ目覚めたばかりの彼女にとって、剣など如何に力と魔力を込めて振るうかのみ。

 故に少女は全霊を以って刃を振るう。せめて首都アイギスの地形を変えぬよう、掬い上げる軌道を取って。

 そして、地上より生まれたる龍が夜空を上る。

 流星の軌道に逆らい、天上の世界へ旅立つように。



「さぁ、次はどこへ行こうかしら。ダイモン」


 クリファ自治区。サルモーネウスを後にした無腕の少女、モスト・バビエンテは酒気の雰囲気を漂わせて道を歩む。背後には黒衣のスーツを纏った男性、ダイモン・パンドーを従えて。

 夜も深まり、今から食事を提供できる店は限られるだろう。

 ダイモンはある程度の理解が及んでいるものの、道路をダンス会場にでもしかねない調子のモストはそこにまで至らない。


「ねぇ、面白いでしょう。

 腕のない芋虫みたいな女の子に、国も勇者も媚びへつらうのよ。だって私には力があるもの。暴力に財力、コネだってたっぷりソースをかけたステーキみたいに!」

「あぁ、そうだな」


 そのステーキのソースでワンピースを汚した少女は平時から乖離した調子で言葉を綴る。

 酔っ払いとの会話など無味無臭と既に知っているダイモンは適当な相槌を返しつつ、視線を周囲へと配った。

 人影など皆無。

 時間も時間、既に街並を歩く者などいない。

 やや過剰にも思えたが、用心棒として雇われている以上は完遂するのが務めというもの。それに万が一を警戒せずにモストが討たれたとあっては、後味が悪い。


「ん、連絡石か」


 スーツの内側に入れていた水晶が明滅し、夜闇に等間隔の光を照らす。

 指定の魔力を登録することで遠く離れた地でも連絡を取れるように構築されたそれは、現段階では勇者など一部の可及的速やかな連絡を要求される地位にのみ支給されている。

 モストが有しているのは、彼が国と掛け合って入手したもの。

 ストラップ状の部分を押すと、ダイモンは登録されている唯一の魔力の持ち主と対話を開始する。


「おいアーポロ、どうし──」

『貴方が、モスト・バビエンテか……?』

「ッ……!」


 地の底、冥府より来たる声。

 そして極々少数にしか知られていないはずの少女の名に、ダイモンは僅かな動揺を示す。

 恨みを買う事業ではある。が、故に名前は一般へ広まらないよう細心の注意を払ったはず。にも関わらずの漏出は出所への疑問を抱かせ、そして首を横に振る。


「どうしたのかしら、私を呼ぶ声が聞こえたわねぇ」

「馬鹿ッ……」


 慌てて水晶へ割り込んだモストを押し出すも、既に連絡先の双眸には顔が映ってしまっている。


『貴方が、モスト・バビエンテッ……バイデント、私の故郷を焼いた張本人ッ』

「それはおかしな表現ねぇ。火を放ったのは魔物なのでは、何せ私には火を放つための手が……」

『そんな理屈を聞きたいんじゃないッ』

「へぇ……」


 連絡石に映る少女の激高に、モストは口角を吊り上げる。酔いによるテンションの狂いではなく、一つの組織を率いる長としての笑みを。

 一方の相手は紅蓮の髪を振り乱し、悪鬼羅刹の表情で少女を凝視する。


『貴方が国を混乱へ導き、人心を煽り、軍を、勇者を堕とした張本人かと聞いていますッ』

「その問いならば、肯定で応じましょうか。尤も、私は催眠術や洗脳の類を有してはいないのですが」


 勿体ぶった物言いに、連絡先は怒気を爆発させて応じる。側に顔があれば、唾がかかっていたと確信を抱く程に。


『私はオルレール・アヴェンッ。貴方達魔王を葬る、真なる勇者だッ!』

「私達は人造的人類脅威ファントム・ペイン。貴方達が認知する必要のない、存在しない痛み」


 直後、不意に割り込む破砕音の刹那に連絡石の通信が途絶える。

 オルレールを名乗る勇者が握り潰したと予想するのは、容易い流れであった。

 先程まで叫んでいた勇者の声が嘘のような静寂が、道路の一角へ取り戻される。警戒を緩めていないダイモンは改めて左右へ首を振ると、額に手を当てて嘆息した。


「何名乗ってんだ、この馬鹿女……」

「誰が馬鹿女よ……ダイモン、今すぐ洞窟へ戻って計画を練るわよ。今までとは違う、対勇者を前提に加えた戦略を」


 喉を鳴らすモストの声に従い、上空を旋回していたワイバーンが着地する。

 竜を従える魔王の時代。世界に影を落とす存在を象徴するように。

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