第二章『勇者覚醒編』
第8話『オルレール・アヴェン』
セントラル国首都アイギス。
国王の座する政の中心にして、各地方へ分散している辺境軍とは別の主力部隊──中央軍の常駐している都市部は、最優先で復興すべく多額の保障が行われている。
そのためか、三年前に魔王討伐が成されてから最も早く立ち直っており、今では週末に宴会が披露されることも珍しくない。
「酒、酒~……」
陽気な雰囲気に包まれた道路を歩く一人の少年。手には空の酒瓶が握られ、背中を丸めて歩く様はアンデット系モンスターを彷彿とさせる。
賢者の服装こそしているものの、彼の姿を見て勇者パーティーの一員。賢者に座するタナト・クリファと認識することは殆んど不可能であろう。
「酒~、酒だ、酒を持ってこーい……」
勇者パーティーは魔王討伐以降、最大の好景気を極めている。
地方にはワーウルフやアークデーモンを筆頭とした軍の手に負えない魔物が無限に湧き立ち、住処を潰しては別の住処へ赴くのを繰り返す日々。そこに強盗誘拐何でも御座れな盗賊の出現報告も重なれば、勇者に休暇を与える余地すら怪しい。
しかしタナトが一人で酒を求める理由は久々の休暇でも、ましてや療養でもない。
思考力の放棄。
アルコールを過剰に摂取することで得られる虹色の虚無、深く沈む酩酊こそがタナトの酒類を求める理由であった。
「駄目だ、思い出すな。考えるな……酒、酒さえあれば全部忘れられる」
賢者にあるまじき失策。
悪逆に屈し、奸計に手を貸し、謀略の片棒を担いだ。
アーポロ達程に開き直れる訳でもなく、そして自死を選べる程の勇敢さもないタナトはただ酒に逃げる日々を繰り返す。
不幸にも奴らが放つ魔物達の練度は低く、酩酊感に包まれたタナトにすら得物が届くことはない。故に死を以って詫びる余地すらもなく、今もこうして酒を求めるゾンビと成り果てている。
思考に中途半端な理性が戻り、忘却を希求したが故か。
「ん、あれは……」
酒焼けした喉が意味のある音を発する。
視線を向けた先に立つのは、寂れた教会。
神の従順なる教徒が居を構える根城。信仰の拠り所であり、魔王が興誠を極めている時代には救世を望んだ人々が殺到した祈りの注がれ口。
かつての繁栄が失われた神のステンドグラスの前には、一人の少女が両手を組んで祈りを捧げていた。座して頭を下げる様は、敬虔なる信徒そのもの。
偶然にも半開きの扉から伺えた光景が、タナトの関心を掴んで離さない。
「あら、勇者様の一行ですか?」
「んあ?」
扉の先へ注視していたタナトに話しかけたのは、一人のシスター。
酩酊状態で外を出歩いている彼を高名な存在と同一視するなど至難の技なのだが、何故かシスターは正確に正体を言い当てた。
「僕、タナト・クリファって言います。酒、くれますか~……?」
「私はシスターエル……随分と酔ってますね。教会兼孤児院のここにそんなものがあるとお思いですか?」
「孤児、院……孤児院……?」
反芻するタナトの目尻に涙が浮かぶ。
思案してはならない。思考を回してはならない。賢者としての本領など、発揮していいはずがない。
愚物に成り果てろ。ゾンビの真似をしろ。酒だけをただ希求しろ。酩酊に飲まれ、頭を虹の景色に溶かして混ぜろ。
そうすれば、今のままでいられる。
「あぁ、オルレールですか。
……彼女は数か月前の魔物襲撃で故郷のバイデントを焼かれ、両親や懇意にして貰っていた辺境軍の方を亡くしたらしく……あれ以来、食事の時以外にはずっとあぁして祈りを捧げています」
しかし不幸はシスターの冴え渡る直感か。
扉の隙間へ注いだタナトの視線から、祈りを捧げる少女が紹介される。
「バイ、デント……魔物ッ……!」
「ち、違いますッ。勇者様のパーティーを批判するような烏滸がましい真似をする訳では……!」
酒瓶が地面に触れ、いとも容易く砕け散る。
それを自らの見えざる場所での被害を知ったがために錯覚し、エルは慰めの言葉を慌てて綴る。
が、違う。違うのだ。
今、タナトが直面しているのは届かなかった腕の先ではなく、突きつけられた罪の具現。
勇者達の傲慢が、強欲が、尽きることなき金銭への欲求が。一人の少女が享受するはずだった尽くを蹂躙し、浅ましき金の塊へと還元してしまったのだ。
「あ、あぁ……!」
伸ばされた腕は虚空に触れ、一瞬怖気づくように引き返す。
そしてシスターを置き去りにして走り出した。
距離にして十数メートルとない距離が、いやに遠く感じられたのは酩酊感か。もしくは自覚的な罪がそうさせたのか。
「……エル様ですか、そんなに急いで何を……」
音に気づいたのか、オルレールは起き上がると二つ結びの白髪を揺らして振り返る。
振り向き様の一瞬、祈りを捧げていたとは思えぬ深い憎悪の炎がタナトへと注がれる。が、彼女の憎しみは決して彼個人へと向けられている訳ではない。
正確には、森羅万象一切合切へと注がれている。
家族と故郷、知り合いを奪った魔物。
騒動に乗じて火事場泥棒を働く盗賊。
国民を守護する役目を完遂できないセントラル軍。
敬虔なる信徒を見捨てる神に、神に縋るしか能のない国民。
何よりも、憎悪の炎を辺り一面に撒き散らすしか成す術のない自分自身。
すぐさま平時の顔色を取り戻した少女はしかし、眼前に立つ人物が既知のシスターではないと知り、警戒を視線に滲ませた。
「エル様じゃ、ない……誰ですか?」
「ぼ、僕は……裁かれるべき罪人だ」
「は?」
いきなりの意味不明な告白に、オルレールは素直な反応を零す。
だが、タナトは彼女の困惑など知らぬとばかりに罪を告白する。
「僕は皆の愚行を止められなかった……追従した、肯定したッ。賢者として、僕こそが正しい判断を下さねばならなかったのにッ。
僕が皆を死罪へ導いたにも等しいッ!」
「ちょっと、なんでそんなことを私に……!」
懺悔ならば神父のいる時に懺悔室で行って下さい。
そう告げようとした少女を無視して、タナトは滝壺の如き涙を流す。
「君の住むバイデントを襲った魔物は、僕らが支援したものだッ!」
「…………は?」
理解の外、埒外に位置する言葉が、栄光なる勇者の仲間から告げられる。
冗談にしても質が悪すぎる上、不謹慎にも程がある。勇者様が相手だろうとも拳を握り締めるべき言葉に、オルレールは右手の開閉を繰り返した。
彼女の心情など知らぬとばかりに、タナトの口から溢れる言葉の濁流は止まらない。淀んだ心を抑え込んでいた酒気のダムは決壊し、止め処なく罪過の念が水面を揺らす。
「皆が金を求めた、だから悪魔に手を貸したッ……奴隷を殺して魔素をばら撒き、自作自演の敵を作る……
そういう手筈だった……もう、死にたい」
膝を折って項垂れるタナトを見下ろすオルレールの眼差しに、徐々に困惑から明確な憎悪が籠る。
拳が握られ、食い込んだ爪から血が滴る。
慮外の激情に眩暈がし、心臓が一鼓動するごとに血管が焼き切れんばかりに加速する。
身体を内側から焼く憎悪の炎が、吐き出す息に気が狂わんばかりの熱量を加えた。
「悪魔……誰、です。それは……!」
動悸に震える肩を抑え、何とか言葉を紡ぐ少女。歯の隙間から零れる息が、怒気の程を伺わせる。
「モスト・バビエンテ……」
「モスト、バビエンテッ……!」
人心を乱す魔王の存在。
神にすら牙を剥く狂気的な信仰の念。
神聖なる聖地を濡らす血。
全ての条件が、揃う。
救世を担う神の剣。祈りの代弁者。具現化した人々の意志。
「モストバビエンテ……!」
異変が起きたのは、オルレールの髪。
白絹の如き白髪が燃え上がる。内包する魔力を、内心を焼き尽くす憎悪の念に呼応するかのように。
「モストバビエンテ、モストバビエンテ、モストバビエンテ……!」
一言ごとに、名を呟くごとに。
怨敵に対する憎悪の念を深く刻みつける。内心を焼く熱量に薪をくべ、己の激情が尽きぬように。
神の意を反映するが如く、自らの意志とは異なって動くのは、右腕。
真横に伸ばされた掌の下から炎熱が渦を巻き、内側に何かを生み落とす。
炎を閉じ込めた刀身に、鍔には魔王の手で零れ落ちた鮮血を結晶化した宝石。人の力ではなく意志を以ってのみ鋳造の叶う形を持った奇跡の集合体。神によって選ばれし魔王を討ち取る存在こそが担うに相応しき聖剣である。
紅蓮の髪が圧に揺れ、夜闇の寒風すらも舞い上げる炎熱が剣を通じて教会を包み込む。
男性もののシャツにサイズの合わないズボンを紐で無理矢理腰に巻きつけた服装は、年頃の少女には程遠く、避難民にこそ相応しい。
が、タナトの眼前で誕生した存在は、避難民の枠組みに収まるものでは断じてない。
生み落とされた聖剣を固く、固く、潰さんばかりに握り込めば、オルレール・アヴェンを一つの存在へと昇華させた。
「ゆ……」
一部始終を目撃していたタナトは、新たな神の現界を目撃したかのように放心し、一つの単語を呟いた。
「勇者、様……」
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